一夜明け、大夫人は福寿院の前庭で早朝から物思いに耽っていた。

断頭台の上で嫁は勇敢だった。

彼女は涙も見せず一切取り乱さなかった。

徐家の犠牲となっても毅然とした礼節を失わないその姿はその場にいた人々の心に刻み込まれた。

それでも歳若い彼女が死への恐怖を断ち切る事は不可能だったろう。

執行人が大刀を振り下ろす瞬間に彼女は意識を失っていた。

その十一娘は未だ目覚めない。

あわやの時に皇宮から陛下の令牌を携えた禁軍の兵が到着しすんでのところで刑の執行は取り消された。

陛下より賜わった馬で駆け付けた令宣が十一娘の縄を解き放ち彼女を抱いて断頭台から降ろした時には身体から一気に力が抜けて大夫人は地面にへたり込んでしまったのだった。

周囲の人々から歓声の上がる中、令宣は気を失ったままの十一娘を抱いてついに徐邸へと凱旋した。


彼女をずっと誤解していた。

都広しと言えど十一娘以上の嫁は居ない。

令宣の見る目は正しかった。

自身を投げ打って徐家を救おうとした十一娘は徐家の誉れ、宝だ。

私はその宝である嫁をこれまで理解しようともせず散々に傷つけて来た。

その罪は一朝一夕に消えるものではない…

十一娘、、私はこれからはずっとお前を大切にしこれまでの過ちを償ってゆくからどうか赦しておくれ……。


姥やが尋ねに来た。

「四奥様の昨日の衣はどう処理致しましょう?」

「燃やしておくれ、、」

「はい」

辛い牢獄の日々を思い出させるような物は十一娘の目に触れさせてはならない。

これまでの分も報いて彼女を平安に過ごさせてやりたいのだから。


昨日は徐邸に戻るとすぐに徐若夫人の身を案じた陛下の命で太医院の待医が遣わされて来た。

家族が心配しつつ見守る中、待医が診脈し徐ろに令宣と大夫人を振り返ると平伏して告げた。

「永平侯爵、大奥様、おめでとうございます!若奥様は懐妊なさっておられます」

家中が二重の喜びに湧く中、令宣と大夫人はただひたすら十一娘の身の安泰を願った。

待医によると十一娘は囚われていた疲労により深く眠っているが脈拍は力強く母胎に心配はないとの診断で二人は一先ず胸を撫で下ろしたのだった。


西跨院の寝室に朝一番、冬青が小走りに入ってきた。

「旦那様、奥様まだお目覚めになりませんか?」

令宣は妻の手を握りしめたまま黙って頷いた。

十一娘の頬を朝陽が照らしまつ毛が影を落としている。

冬青が見つめていると十一娘の瞼がゆっくりと開いた。

「奥様が目覚めました!旦那様!」

ここは何処なの?

もしかして此処があの世とやらなのか?

だけど今冬青の声が聴こえた…

十一娘が首を巡らすと令宣の顔が見下ろしている。

「旦那様……」

私は生きているの?

「食事をお持ちします!」

冬青は跳ねるように飛び出して行った。

十一娘が身を起こそうとすると令宣が優しく手を貸してくれた。

「旦那様、、わたし、、」

「大丈夫だ。陛下が刑を取り下げたのだ」

「一体何があったのですか?」

「陛下に証拠をお渡しした。すぐに真相が明らかになるだろう」

徐々に霧が晴れて行くように頭がはっきりとしてきた。

旦那様は証拠を捜す為に福建に行かれて、その後消息不明に…

ではそこで証拠を見つけ私の為に命懸けで戻って来られたのか。

私を覗き込む旦那様の顔には疲労の色がうっすら見える。

どれほど多くの苦難を重ねて帰って来られた事だろうか…。

十一娘は胸がいっぱいになり涙が滲んだ。

「…旦那様…お疲れでしょう」

令宣は首を振った。

すまない十一娘、お前にどれだけの苦労をかけただろう。

辛うじてお前を冤罪から救えたのだから天に感謝しこそすれ疲れなど感じない。

そして、私は誇らしい。お前のような妻を持てたことを。

「母上から聞いた…お前は刑場でも怖がらずに勇敢だったと」

十一娘は照れて恥ずかしそうに答えた。

「何が起こったのか分からなくて急に眼の前が真っ暗になりました。けして勇敢なんかじゃありませんよ」

「けして臆病じゃない……十一娘、お前は身籠っているのだ」

十一娘は目を丸くして自分のお腹を見下ろした。

令宣が労るように彼女のお腹に手を当てた。

「私が…?」

驚きで声が掠れた。 

私に子どもが。本当に?

十一娘ははっとした。

「では、あやうく…」

旦那様の子どもまで失うところだった…。

急に怖ろしさが襲って来て身内が震えたが令宣がしっかりと彼女を抱きしめてくれた。

「天のご加護だ…」

まるで夢のようだ。

だが耳元に響く夫の声が現実だと教えてくれる。

彼の胸の温かさが怖れをかき消してくれる。

冬青が膳を抱えてやって来るまでの長いあいだ二人は抱き合っていた。


靖遠候府邸は鎮まり返っていた。

徐羅氏の刑の執行が取り消されてから慌ただしい動きがあり昨夜から屋敷は三司の官兵が交互に見張りに立ち事実上封鎖されていた。

刑部の李尚書は内部告発があり朝令で罷免され大理寺の牢に収監されたという。

靖遠候はその日も朱参謀を相手に碁を打っていた。

御史台の官兵が雪崩を打って邸内に入り込んで来た。

衛国公任坤が先頭に立っていた。

「靖遠候爵、お出でを願う」

靖遠候は手にした白い碁石をジャラリと壺に戻して誰に言うともなく呟いた。

「結局のところ、私はこの勝負に負けたのだ・・」

長年陛下を欺き賊や官吏と結託する者は九族皆殺しとなり最も罪深い。

靖遠候爵家は断絶した。

別室では励行夫人が励行の位牌を胸に抱いて服毒し果てていた。


数日を経てすっかり回復した十一娘は冬青を連れ刑部の牢獄に彦行を訪ねた。

先日まで彼女自身が収監されていた場所を訪れる事を令宣は懸念した。

けれど夫婦とも彦行には恩義がある。

一目会って礼を言いたいと言う妻の願いに結局は令宣も折れて刑部に手配してくれた。

彦行は薄暗い牢の片隅に座り背中を見せていた。

「区公子」

彦行は十一娘の声に振り返った。

「・・ここを出たならもう二度と来るべきじゃありません」

「貴方が助けて下さらなかったら私と徐家は終わっていました。どんなに感謝してもしきれるものではありません・・」

「私はそんなに良い人間じゃありません。とうに父の犯罪の証拠を掴んでいました。けれど貴女を犠牲にして区家を守る事にしたんです。貴女を刑場に行かせたのは私なんです。分かってますか?」

「でもそれならどうして夫を助けてくれたんですか?夫が持つ証拠は区家を破滅させると知っていたはずです」

彦行はゆっくりと立ち上がると十一娘の前に立った。

「父が・・永平候爵を殺す為に無辜の人々まで殺害した事を知った時、いくら家族の為でも父にこれ以上の罪を犯させる訳にはいかなかったのです・・」

「貴方は靖遠候爵の罪と関わっていません。貴方は潔白です。夫はこれを陛下に伝えると言いました。暫くすれば貴方は釈放される筈です」

「いえ、無用です。これは私の罪です」

「区公子、、」

十一娘がそれ以上言おうとするのを彦行は遮った。

「今まで私はずっと思っていました。君は私と境遇が似ている。趣味も感性も一緒だ。君には永平候爵より私のほうがずっと似合うだろうと。でも今になって分かりました。お二人の間には困難があったけれど候爵の君への愛はずっと変わらなかった。彼は自分の将来と命を犠牲にしても君を救った。その強い思いは私などとは比べられない。私は彼に負けたんです・・十一娘、どうか幸せになって下さい」

彼の言葉は本心から出た偽らざる真の心情なのだとその表情からも読み取れた。

十一娘は彦行に微笑みを返した。

「ありがとうございます、公子」

感謝を表す以外の言葉は見つからなかった。


靖遠候爵は詮議の上死罪、

区彦行は功罪相償いにより死罪を免れ、区家子女と共に流刑と決まった。

流刑の日、琥珀も彦行と共に塞外に行く為に都を後にした。


その日永平候爵徐令宣は諭を連れて徐家の荘園内にある古びた屋敷を訪れた。

文姨娘を迎えに行く為だった。

文姨娘は走って来た諭を抱きしめて泣いていた。

令宣は諭の後から現れた。

「旦那様、、!」

「文家の事は調査した。区家と内通して裏で操っていたのは秦姨娘だ」

「秦姨娘・・ですか!?」

まさかあの大人しい秦姨娘が裏切っていたとは・・。

一瞬驚きながらも文姨娘は殊勝だった。

「そうだとしても、やはり私自身に悪い考えがあったからなんです。罰を受けるのは当然です」

「元はと言えば私のせいだ」

「・・・」

「もう少しお前のことを考えてやれば、お前もあんな事はしなかった筈だ。お前を妾にしたが大切にしなかった」

「旦那様・・」

もしかしたら旦那様は私の事を・・。

「だが、愛は自分の意思でどうにかできるものではない・・」

文姨娘は落胆した。

やはり旦那様の心には奥様しか居ないんだわ。

「十一娘と相談した。今後の事だがお前が徐家に残りたければお前の暮らしは任せてくれ。・・もし徐家から離れたければ十分な金子を渡そう。今後何をしても徐家は干渉しない。商売をしたければ十一娘と私も協力しよう」

「旦那様、私を捨てるのですか?」

「追い出すんじゃない。選んで欲しいのだ。秦姨娘と柊姨娘には償えないが、お前ならまだ間に合う」

令宣は彼女の肩に優しく手を添えた。

「お前は諭の母親だ。お前に幸せになって欲しいのだ」

文姨娘は涙をこらえた。

「旦那様、こんなに優しく話して下さったのは初めてです・・」

令宣は胸が痛かった。

だが痛くともここで文姨娘を説得しなければ彼女を不幸にするばかりだ。

「将来の事は考えられません・・」

「焦らなくていい、、ゆっくり考えればいい。時間はある」

「諭は?諭はどうなるんですか?」

諭は徐家の大切な子どもだ。

だが文姨娘は諭を遠い謹習書院へ行かせるのを嫌がっていた。

「楽山から連絡があり諭を早く就学させよと言って来た。近日中に行かせるつもりだ」

「旦那様、諭ちゃんはまだ幼いです。一人で楽山に行かせるのは不安です。私が一緒に行ってもいいですか?私がお世話をします」

文姨娘は分かってくれた。

令宣は安堵して頷いた。


長くなりましたので区切ります。

次回こそ最終回てへ😅