その時、獄の扉が開いて順天府の役人が呼ばわった。
「尚書殿がお呼びだ。出ろ!」
この役人は尚書の直属の部下だろう。
十一娘を屋敷まで捕えに来た役人とは随分態度が違って横柄だった。
十一娘は李刑部尚書の前に引き出され長い時間をかけて尋問された。
「徐羅氏、仙綾閣の密輸は徐令宣の指図か?言え!」
案の定、李尚書は徐令宣の名前を出した。
目的はやはり旦那様だった。
十一娘は辺りに置かれた拷問の道具を見た。最後にはあれを使うつもりかも知れない。
だが彼女の心は此処に来る前から決まっていた。
例え爪を剥がされても舌を抜かれても嘘は言わない。
「先ほども言いました。私は正当な取り引きしかしていません。密輸はしておりません。徐殿は仙綾閣とは一切関わりがありません。李尚書殿はどうして徐殿に罪を着せるのですか?どんな意図があるのでしょうか?」
旦那様を罪に陥れたいのならばこの尚書は旦那様の政敵だ。
ほぼ間違いなく靖遠候爵の息がかかっている。
こんな若い女に政事の裏側など分かるまいと思っている尚書は鼻白んだ。
「生意気な!密輸船に仙綾閣の刺繍品があった。取り引き明細書もな。銭明とお前が企んだと海賊が証言している。物証人証が揃っておる。それでも詭弁を弄するのか!・・お前は永平候爵の夫人だろう。ならばこの件徐令宣が関わっているに違いない!白状しろ!」
十一娘は毅然と李尚書を見返した。
「李尚書殿、私は罠に嵌められたのです。どうかご明察ください」
「妄言を申すな!」
配下が傍に寄って尚書に耳打ちした。
「靖遠候爵がお見えです」
尚書はギクッとして脂汗をかいた。
靖遠候は何故こんな場所まで来るのだ。
目の前にいる女が徐候爵夫人で、徐令宣は靖遠候の政敵だと誰でも知っている。
この私が靖遠候に肩入れしていると周りに知れたらどうするのだ。
徐令宣を潰したいのは分かるが靖遠候も焦り過ぎる。
靖遠候に良い報告をしようと粘っているがこの夫人が先ほどからしぶとい。何時間尋問しても埒があかない。
刺繍ばかりしているか弱い女で拷問道具をちらつかせて脅しあげればすぐに音を上げるだろうと高を括っていたのが大間違いだった。
拷問すれば話は早いが、相手は軍功著しい大臣の夫人だ。
逸っては墓穴を掘る。

尋問の間から出ると靖遠候爵が待っていた。
李尚書は福建に赴任した妻の弟が汚職に関わった事件を靖遠候爵に揉み消して貰った。
あれが露呈しておれば義弟は打ち首だった。
その恩を疎かには出来ない。
実は李尚書を陣営に引き入れ自在に操る為に義弟の赴任先を斡旋し汚職へ誘導したのは靖遠候だった。
裏のからくりを李尚書自身は知る由もなかった。
李尚書は言葉を詰まらせた。
「これは、候爵、お越し頂き恐縮です」
「私に来られて迷惑なら遠慮せず言えばいい」
「何を仰います。靖遠候爵には福建で助けて頂きました。その恩を忘れた事はありません。ただ、、」
「困っているのか」
「人証物証は揃っているものの、徐羅氏はそれを嵌められたと言い頑として認めようとしないのです。」
靖遠候は水を向けた。
「ふむ・・李尚書は女一人で海賊と密輸出来ると考えておられるのか?」
「とんでもありません。女一人でそのような。恐らく裏で永平候爵が指示したものと思われます」
靖遠候は無表情にその言葉を聴いていた。
李尚書は続けた。
「永平候爵は国を思う義人と尊敬しておったのですが、賊と談合したとあっては取り除かねばなりません」
「徐令宣は陛下に信頼されている。どうしても徐羅氏にその罪を認めて貰わねば徐令宣の罪を証明出来ないだろう。このままでは陛下がどう思われるか・・」
「靖遠候爵、ご安心ください!罪状を認めるよう私が全力を尽くします!」
靖遠候はやっと笑顔を向けた。
「そうか、それでいい。私心を捨てて公務に全力を傾けなさい」

十一娘が牢に戻されたその時、獄吏が「もう一人を連れ出せ!」と命じた。
「あ!止めて!話を聞くなら私だけにしてください!」
「十一娘!」
「先生!先生!」
簡先生は乱暴に連れ出され、十一娘は必死に叫んで抗議したが無駄な抵抗だった。
恐らくは私が罪を認めないので周辺から攻め落とそうとしているのだ。
十一娘は血の気が引くのを覚えた。

実際簡先生は拷問を受けた。
手足を縛られて鞭打たれ尋問された。
「密輸は重罪だ。だが素直に白状するならなるべく罪を軽くしてやる。
言え、この件は徐令宣の指示だな?」
簡先生は怯まなかった。
「もう言いました・・仙綾閣は正当な取り引きしかした事がありません。それ以外は知りません」
李尚書は帳面を見せた。
「海賊が持っていた取引帳簿だ。仙綾閣の印が押してある。これはどういう事だ!」
簡先生の声は拷問によって掠れていた。
「この取引は私がやりました・・徐候爵とも徐夫人とも関係ありません・・」
この女一人に罪を被られては困るのだ。
聞きたくない答えに李尚書は激怒した。

「先生!」
獄に戻された簡先生はいきなり床に倒れ込んだ。
身体中のあちこちに血が滲んでいる。
申し訳なさに十一娘の声が震えた。
「お怪我をなさってます!、、、ごめんなさい先生、私のせいです。私が先生を巻き込みました!」
簡先生はひたすら優しい目で彼女を見た。
「十一娘、そんな事言わないで、、。私はずっと一人で生きて来た・・貴女が居てくれたから私は幸せになれたのよ。貴女が居たからこそ私の夢が叶えられた・・私は貴女に感謝しているの」
十一娘、貴女は私の大切な娘であり、親友であり、弟子であり恩人でもある。
貴女はそんな存在よ。
「先生、もう喋らないで・・休んでください」
「安心して、、今回の商売はすべて私一人でやったと伝えたわ・・貴女には・、」
「先生!なんて事を」
「貴女には関係ない・・」
十一娘は簡先生が自らを犠牲にしようとした事に慄然とした。
「先生!どうしてそんな事を言ったの?先生は何も知らないって約束したでしょ!?」
簡先生は息も切れ切れになりながら何とか思いを伝えようとした。
「十一娘、貴女は私にとってただの弟子じゃない、家族なの・・貴女に牢屋に居て欲しくないわ、・・しっかりと生きて・・刺繍の技を広めてね、、それで沢山の人を助けられる・・」
簡先生の声はそこで途切れた。
「先生!しっかりしてください!仙綾閣には先生が必要です!私もです!」

先生は長い尋問の疲れと出血の痛みで失神していた。