「開けて頂戴」
「はい」
冬青が見張りの姥二人に命じると姥達は恐縮したように頭を下げた。
すっかり立場が入れ替わり納屋の中に囚われているのは琥珀だった。
殺風景な部屋の中で琥珀が一点を見つめて座っていた。
冬青は入るなり琥珀を問い詰めた。
「琥珀、あんた何故私を使って奥様を害するのよ!」
あの時は混乱の極みにあって琥珀の提案が奥様を救うかのような錯覚をしてしまった。
冷静になってみれば私が旦那様の妾になって奥様が喜ぶ道理がないし、なってはいけないのが道義だ。
愛しあっている夫婦にくさびを打ち込むのはとんだ裏切り行為じゃないか。
奥様を裏切る位なら余所に売られるほうが百倍もましだ。
琥珀が何故私を奥様を裏切る道具にしようとしたのかどうしても理由を聞かなければ気持ちが収まらない。
「信じて貰えないだろうけど、私には奥様を害する気持ちなんかこれっぽっちも無かったわ。私はただ奥様にこの家を出て自由に暮らして貰いたかっただけよ」
「琥珀、それじゃ聞くけどあんた私を密告して大奥様が私を売ってしまうかもって考えた事あるの?」
「それはないわ!奥様は絶対あんたが売られるのを黙って見ている筈がないもの。あんたには二つの道があった筈よ。ひとつは奥様があんたも連れてこの家を出る。もうひとつはあんたの望み通り旦那様の妾になる・・」
違う!琥珀は何か大きな誤解をしている・・。
「冬青、あんた旦那様に惚れてるでしょう。私はあんたの望みを叶えてあげようとしただけよ。一石二鳥よ」
冬青は頭に血が上った。
「私は旦那様に惚れてなんかないよ!旦那様の腰帯を持ってたのはただ奥様の刺繍を真似したかったからよ!それで同じ物を作りたかっただけ・・」
琥珀は冬青をまじまじと見上げた。
「・・それを傳殿に上げたかったから」
「傳殿・・?」
「そうよ!私の好きなのはずっと傳殿よ!旦那様じゃないってば!」
冬青が嘘を言っているようには見えない。
琥珀は自分の思い違いに愕然とした。
「問題はあんたでしょう?それを利用して区家と結託して!危うく奥様を死なせるところだったじゃない!」
共に奥様を支えて来て奥様の為に尽くす気持ちは同じだと思っていたのに。裏切られた思いの冬青の言葉は容赦無かった。
それを聴くと琥珀は椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「私、区家と結託なんかしてない!私が奥様を害する筈がないじゃない!私はただ奥様がこの徐家で不自由な生活をするのを見たくなかっただけよ!」
琥珀は尚も興奮した様子で語り続けた。
「徐令宣は薄情者よ!身を委ねていい人じゃない!あんな人は奥様に相応しくないわ。奥様は徐家を出たほうが幸せになれるのよ!」
冬青は唖然とした。
昔ならいざ知らず今の奥様は旦那様と愛しあって幸せなのに。
何故そんなに旦那様を憎むの?
冬青は呆気に取られて琥珀を見つめた。
その時、納屋の扉が開き令宣と十一娘が入って来た。

令宣と十一娘は琥珀に向き合った。
琥珀はいきなり入ってきた二人にも怯まず令宣に挑むような視線を投げかけた。
令宣は今し方聴こえてきた琥珀の言葉に不審を抱き琥珀の挑戦的な視線を真っ向から受け止めていた。
十一娘は無言で冬青に頷きかけ、冬青は二人に黙礼して納屋から出て行った。
「私を薄情者とは、何故だ?」
「琥珀、旦那様をそう指摘する理由は?」
二人から詰め寄られても琥珀は正面を向いたまま語ろうとしなかった。
十一娘は一歩前に進んだ。
「琥珀、あなたが私を害するつもりがないのは分かっているわ。・・私はあなたが利用されるのが心配なの。一体何があったの?」
奥様・・。
琥珀は、自身が危険な目にあってもなお侍女である自分を信じてくれる十一娘の優しさにふいに涙がこぼれそうになった。
こんな善良な方に情のない旦那様は相応しくない。
怒りが琥珀にきつい言葉を言わせた。
「奥様、、この方に尋ねてみてはいかがですか?」
琥珀が発する自分への剥きだしの敵愾心を令宣は跳ね返した。
「私は自信を持って言える。私はこれまで信義に反するような事はしていないと」
琥珀はその言葉を信じなかった。
彼女は皮肉な目付きでじわりと令宣に近づいた。
「堂々と言えます?・、では姉の死は偽りですか?」
十一娘は驚いた。今琥珀は行方不明だという姉の消息を口にした。
それと旦那様に接点があると言うの?
「琥珀!お姉さんを見つけたの?!」
「奥様」琥珀は泣き顔で十一娘に訴えた。
「私の姉は佟姨娘です!」
十一娘は我が耳を疑った。
佟姨娘、陶乳母から聞かされたあの佟姨娘が?!随分と哀れな末路だった事は承知している。
「まさか、、私と会わないまま死んでしまうなんて!・・」
十一娘は彼女が徐家を恨み令宣を非難する理由がやっと分かった。
「奥様、姉は無実の罪を着せられて首を括ったんです!すべては・・あなたのせいよ!」
琥珀は令宣を指差して糾弾した。
「あなたと元娘が姉を殺したのよ!」
琥珀は恨みのこもった目で続け様に非難した。
「羅家は陰険で元娘は陰湿、そしてあなたは薄情、、三者で寄ってたかって姉を追い詰めて殺したのよ!」
姉の元娘が羅家大夫人伝授のやり方で侍女だった琥珀の姉を旦那様の妾にする計画を立てた。
旦那様が泥酔して寝たのを見計らい下着姿で寝台に上り朝を迎える。
朝旦那様が目覚めた時既に遅く、元娘の口から大奥様にまで伝わり旦那様は結局彼女を妾にせざるを得なかった。
見え透いた罠に嵌められた令宣は怒り結局一度の訪れもなく彼女は悲観して心を病み自死した。
やり方が褒められたものではなく周囲からも白い目で見られる事に耐えられなかっただろう。画策した元娘自身にまで責められて彼女はいたたまれなくなった。
「たとえ姉を気に入らなかったとしても自分のものにした以上、どうして姉を笑い者にして他人が侮辱するがままに放っておいたんですか?あなたのような薄情な人は奥様を幸せに出来ないわ!」
「だから冬青を唆して私をこの家から出るようにしたのね?私と旦那様の仲を割きたいから」
「奥様、ここしばらくの事でまだ分からないのですか?徐家の人は自分達の利益の為に何度も奥様に無理強いしました。こんな家の何処に未練があると言うのですか?」
「琥珀、お前の姉のことだが、あの日私は確かに酔っていたがまだ意識はあった。二人の間には何も無かった。本当の事だ」
それで思い出す。
しばらく前の事だが部下達と痛飲して強かに酔って帰った時も十一娘に介抱をさせたが、実際には意識があった。酔った勢いのせいにして十一娘に甘えたかったのだ。あの夜は気を利かせて西跨院に連れて来た臨波と照影に礼を言いたかった位だ。
痛飲しても夢か現かの区別位つかなければ武士とは言えない。
琥珀は声を荒げた。
「そんな筈ない!それなら何故姉を妾にしたんですか?」
「翌日目が覚めたら、元娘はもうそれを母上に報告していて、碧玉を妾にしようと話を持ち出していたんだ」
すべては仕組まれていた。
碧玉は元娘に言い含められていたのだろう。可哀相だったがこの時代たとえ何も無かったとしても主人と同寝した時点で名節は穢れた。
「だからこの件は元娘と碧玉の二人が密謀して私を謀ったのだと推測した。私の願いでは無かったが事は進んでおり私が拒めば徐家に碧玉の居場所はなくなる」
娘はひとたび男と同寝すればふしだらな女として後ろ指を指されて行き場を失うのだ。
琥珀は泣きながら否定した。
「でも姉は元娘様と密謀などしていません!元奥様に無理強いされたんです」
「私も碧玉に裏事情があるのではないかと聞いた。だが彼女は何も言わなかったんだ」
碧玉が口を割らなかったのは元娘を裏切れ無かった為だろう。
裏切れば羅大奥様から生き別れた妹の消息を教えて貰えなくなる。
姉妹を操る為に羅大奥様ならやりかねない。
姉の過酷なさだめに琥珀は啜り泣いた。
「琥珀・・ごめんなさい。もし私がもっと早くあなたのお姉さんの事に気づいていたらこんな事にならなかった・・」
「奥様・・もし姉の事で旦那様が無実だとしても、、こんな徐家に居て奥様は幸せになれますか?」
十一娘は微笑んだ。
「琥珀、あなたが私を心配してくれるのはよく分かる。けれどね、気持ちというものは本人にしか分からないものなのよ・・あなたにしてみれば私が義母上から嫌な選択を強いられた事は随分不幸な事に見えるでしょう。でもこの徐家にはね、私を変わらず支えてくれる人がいる。そしてその人は自分の損得を抜きに私の憂いを取り除いて下さるの。私にとってはそれこそが幸せな事なのよ・・」
令宣が十一娘をひたと見つめている。彼女の頬は薔薇色に美しく輝いていた。
「私は幸せよ・・」
令宣は目を細めて妻の横顔に魅せられていた。
深い真実の愛が強い絆となり二人を結び合わせていた。
琥珀は俯いて涙を堪えた。
「・・分かりました・・私が間違ってました・・」
奥様が言われる事が真実なら、結局私のした事は無駄になりただ奥様や冬青を傷付けただけに終わってしまった。後悔しても遅い。
拭っても涙は流れ続ける。
十一娘は令宣を振り返った。
「旦那様、琥珀は私の姉妹も同然です。もっと私が心を配っていれば琥珀は他人に利用される事もなく今回のような事にはならなかった筈です。私の責任です。主母として失態を犯しました。琥珀のこと、どうか義母上に報告しないで下さいますか」
打って変わって眉間にしわを寄せた令宣はため息をついた。
十一娘が自分の責任にして琥珀を庇うだろう事は分かっていた。だが・・。
「十一娘と碧玉に免じてお前の罪は問わない・・しかし私はお前の裏切りが許せない。もし我々が気付かなかったら今頃妻は区家の手で葬られていたかも知れないのだ」
琥珀は改めて己の仕出かした罪の恐ろしさに身を竦めた。
「徐家を出るんだ」
十一娘がはっとして身構え令宣を見たが彼の言葉には断固とした力があった。
妻の願いを込めた眼差しにも令宣は首を横に振った。
「お前を危険な目に合わせたからにはそれ位しないと駄目だ」
軍を長年統率して来た指導者の言葉だ。
反論する余地は無かった。
十一娘は呆然としたが背後から琥珀の悟ったような声がした。
「奥様・・ごめんなさい」
琥珀はひざまずいた。
「琥珀は罪深い人間です。奥様にお許しを乞う値打ちもありません。もう今後奥様にお仕えする事が出来なくなりました。どうかお身体をお大切に・・」
十一娘の足元に深く平伏した。
寂寥たる心で琥珀の姿を見ていた十一娘も為す術もなく涙を流していた。
そっと琥珀を立たせると抱きしめた。
「あなたもね・・もし行く所がなければ仙綾閣に行くといいわ。簡先生も許してくれると思うわ」
大恩ある奥様を裏切ったのだ。簡先生にも合わせる顔がない。
「ありがとうございます、奥様。でも自分の面倒はちゃんと見られます・・」
束の間涙を拭っていた十一娘は琥珀を離すと尋ねた。
「あ!そういえば琥珀。冬姨娘がお姉さんだっていう事どうやって知ったの?」
冬姨娘が元娘の侍女だった事や、その後のいきさつは陶乳母以下屋敷の者なら知り得る事実だが、彼女が琥珀の実の姉である事は誰も知らない筈だ。
そこにこの事件の鍵も隠されているに違いない。
琥珀は肌身離さずにいる手巾を見せた。
「秦姨娘の所で、この姉の手巾を見つけました・・」

十一娘は令宣と思わず顔を見合わせた。