「白状しろ!区家に唆されてやったのか?」
「区家・・」
文姨娘は床に座り込んだまま令宣の叱責にも開き直った態度を隠さなかった。
「区家だったら何だって言うんですか?」
逆に令宣を下から睨むような態度に出た。
「徐家は今まで、、私に優しくしてくれましたか?」
謝罪の言葉を聞けると思ったが思わぬ反撃に令宣のまなじりもきつくなった。
「私を娶ったのも・・食糧の為でしょう?」
それが言いたかったのか。
令宣は苦い思いが込み上げて来た。
確かに望んで娶った妾ではない。
軍隊の食糧を調達する為に文家の力を借りた。
その見返りとして文家は娘を徐候爵家に嫁がせたがった。
当時は受け入れざるを得なかったのだ。
何を今更それを蒸し返すのだ。
納得ずくでの輿入れではなかったのか。
そう感じた途端横から陶乳母がいきり立って口を挟んだ。
「文家が食糧で脅かしてあんたを徐家に入れたんだろう?!」
許せない、この女。
諄様を閉じ込めて!言うだけ言ってやる!
陶乳母は「はあ~っ」と大きく息を一つ吐くと床に座り込んで畳み込むように言葉を継いだ。
「旦那様に叱られても言います!文家の事を奥様はご存知ないでしょうけど私はよく知ってます!ここ数年、文家は徐家の名を騙ってどれだけ利益を上げた事かご存知ないでしょう?それを今更そんな事を言うなんて図々しい!」
それでも文姨娘のふてぶてしい態度は変わらなかった。
「旦那様は私を嫁に貰ったなら、文家の顔を立てなくても長年の夫婦の情に免じて私に会いに来てくれるべきです」
口調は穏やかなものの言葉は令宣の痛いところを突いた。
「元奥様の時はまだ来てくれましたが・・」
文姨娘は憎しみのこもった目で十一娘を指差した。
「この女が来てからは一度も会いに来てくれなかったでしょう。誕生日に期待してやっと旦那様が来てくれたのに・・あんたが奪った」
文姨娘は言いながら惨めになったのか俯いていたが再びきっと顔を上げた。
「いい、もうその事はいい。・・だけど!諭の事は、私の命です。私のすべてです。私のたった一人の息子です!」
顔色もがらっと変わり十一娘に対して威嚇するような目付きになって叫んだ。
「あんたはあの子まで奪って追い出そうとしてる!悔しいです!」
令宣が激しく遮った。
「いい加減にしろ。この件は他の誰にも関係が無い!十一娘とも諄とも何の関係もない!」
慎みの皮を脱いで文姨娘は立ち上がった。
「どうせこの人達を庇うと思ってたわ・・」
令宣に首を突き出してまだ抗議した。
「諄様は貴方の子供ですが・・諭もですよ!今まで私達を軽んじて来ましたね。旦那様はこの人達の事しか思ってません!」
文姨娘は今回の留学を十一娘が諄の世子の立場を守る為に企んだと信じ込もうとしている。
諭の件と己が顧みられなくなった恨みをごっちゃにして全て十一娘のせいにしている。
文姨娘の目はおかしくなって何かに取り付かれたかのようだった。
この興奮した精神状態の彼女をどう説得しようとしても無理だと令宣は判断した。
自分が詰られるのは構わない。
いくら詰られても黙って聴こう。
だが文姨娘は私への恨みつらみの矛先を十一娘に向けている。
私の正室だと言うだけで何の落ち度もない彼女が罵倒されている。
これ以上十一娘が傷つけられるのは我慢出来ない。
「誰か!部屋まで連れて行け!私の許可があるまで出入り禁止だ!」
「は!」
陶乳母がその腕を取ろうとした。文姨娘はそれを振りほどくと陶乳母に向かい言った。
「陶乳母!よく聞いて。この女にはね、いずれ自分の子供が出来る。その時になればお前が言ってる元奥様の諄様を守れるかしらね!」
呪詛にも似たその言葉を投げ付けると頭を上げ自分からさっさと袖を振り出て行った。
困惑顔の陶乳母もその後を追った。
ただ圧迫されそうな重苦しい空気だけが残り二人はやっとの思いで微かな吐息をついた。

彼等と入れ代わりに照影が慌ただしく入ってきた。
「旦那様、聖旨(皇帝からの連絡)です。使信が広間で待っておられるのでお急ぎ下さい」
そして言いにくそうに言葉を繋いだ。
「区家の人です」
区励行が来たなら礼部だ。
今礼部が来るとなると用件とは陛下に献上する作品を置いて他無い。
二人は同時に真ん中に置いた刺繍の燃え残りを見た。

二人が緊張した面持ちで広間に入っていくと聖旨を携えた内官と区励行が待っていた。
早速内官が二人に向かい陛下の聖旨を掲げ広げてみせた。
「陛下宣わく!」内官の声が響き渡る。
それを合図に二人は畏まってひざまずく。
「永平候爵夫人徐羅十一娘。直ちに参内し刺繍を照覧せしめよ。これを謹んで受けよ」
徐候爵夫婦は平伏した。
刺繍が焼かれた頃合いを見計らったかのように聖旨が届いた。
令宣はこれが偶然ではない事を確信した。
区家が計画したのだ。
今此処に居る励行の得意げな様子から見ても間違いない。
区励行が十一娘を見下ろして言った。
「徐夫人受け取って下さい」
内官は聖旨を畳み十一娘に手渡した。
内官が令宣に向かい「おめでとうございます」と祝福したが令宣は確認した。
「公公、まだ期限ではありません。どうして聖旨が出たのでしょうか?」
何も知らない内官は令宣達が戸惑っている事を大して気にも留めていない。
「あ~・・その事でしたら徐候は区殿に感謝すべきですよ、区殿が陛下に徐夫人が仙綾閣を経営していると伝えたのですよ。そして万寿節に作品を奉献されるので陛下が非常に興味を持たれたのです。それでですよ」
区励行がそれ以上の質問は許さないと言わんばかりに遮った。
「陛下のご命令です!徐家にとって光栄な事でしょう、候爵殿」
令宣の心配を余所に十一娘は微笑みを絶やさなかった。
「公公、区殿、今暫くお待ち下さい。準備して参ります」
励行は小細工する時間を与えないよう釘を刺した。
「急いで下さい。あまり陛下をお待たせしないように」
内官は女性の支度を急がせてはいけないと遠慮がちに笑った。
「いや、ははは、ここで待っておりますので」

十一娘は侍女に茶菓を出すよう言い付けると急いで西跨院に取って返し参内する為の大礼服に着替え冠を付けた。

宮廷に到着すると内官は下がり陛下側近の黄公公に引き継がれた。
黄公公は令宣ににこやかに挨拶した。
「徐候もご一緒でしたか」とその次に視線を十一娘に向けた。
十一娘は礼儀に則り自ら挨拶した。
「黄公公にご挨拶申し上げます」
公公は陛下に仕えて永くくどくどした社交辞令や駆け引きを嫌う。
単刀直入に用件を切り出した。
「夫人、陛下にお見せする前にまず私があらためます」
隣にいる区励行は澄ました顔のその裏で目だけをニヤリと光らせていた。
十一娘が持参した風呂敷包みを差し出すと控えていた内官達がすぐさま受け取り包みを開いて刺繍を広げ出した。
「天之四霊図です。青龍、白虎、朱雀、玄武の四神です」
中央に寿、周囲をこの上なくめでたいとされる霊獣四神で表した意匠は皇帝に相応しい貫禄ある紋様であった。
「陛下のご長寿と平安を祈念致しました」
黄公公は惚れ惚れとした様子で暫く眺めていたが遂に感に堪えないと言うように褒めたたえた。
「あいやい、私も皇宮に何十年と居て素晴らしい物も数多く見て来ましたがここまで精妙な物は初めて見ました!」
「公公ありがとうございます」
「なかなか素晴らしい腕前です。寓意もいい。構想と技は皇宮の一番の職人と匹敵します」
誉め過ぎではないかと恐縮して居ると区励行が遮った。
「黄公公、これは陛下にお見せ出来ません」
「区殿、何か問題があるのですか?」
「礼部では百寿図と申告されております。これは天之四霊図です。すり替えて陛下を騙すお積りですか?」
黄公公は夫婦を振り向いた。
「徐候爵、夫人。本当ですか?」
「黄公公、確かにそうです。仙綾閣は百寿図を出品するつもりでした」
「夫人、説明して下さい」
「公公、私に陛下を騙すような度胸はありません。万寿節は大事なお祝いですが刺繍は破れ易く繊細な物です。万が一があってはいけないと思い礼部には事前に予備を用意すると報告しておりました。それがこの天之四霊図なのです」
励行はそんな言い逃れが通用するとでも思っているのかとせせら笑った。
「万寿節に関する全ての事は私が担当しています」そう言い放って十一娘を振り向いた「追加があれば何故私に知らせてくれなかったのでしょうか?」とあからさまにニヤリとした。
黄公公はどちらに非があるのか確かめようとした。
「誰か!万寿節貢ぎ物の目録を持って参れ!」
「はい」

矢場で十一娘が万寿節について令宣に相談した時の事だ。
「区励行は仙綾閣の万寿節貢ぎ物にまで邪魔をしようと言うのか・・奴の日頃の行いなら十分有り得る事だが・・」
「区家にとって仙綾閣は何の意味もありません。いざこざを起こすなら恐らく徐家が狙いでしょう」
「お返しをしないとな・・礼部に居る部下に動いて貰おうか」

礼部から役人が来て貢ぎ物の総覧を黄公公に手渡した。
黄公公はおもむろに目録に目を通して言った。
「確かに仙綾閣は天之四霊図との記載がありますな」
区励行は目を剥いた。
「徐夫人の言う通りです。失礼しました」
公公は疑った事を謝った。
「有り得ない!」励行は頭に血が上り礼儀も弁えず黄公公から目録を奪った。
頁をめくる手が震えた。
確かに総覧には百寿図と並んで四霊図と書かれていた。
いつの間に!?有り得ない。励行は目録を持ってきた役人を睨みつけた。
「どういう事だ!どうして私が知らないんだ?」
「区殿、お言葉ですが確かに区殿の署名があります」
言われて見れば自分の筆跡だ。
黄公公は励行をじろりと見て冷たく言い渡した。
「区殿、確かに貴殿の筆跡で署名がありますよ」
「焦ってしまいました。確かに私の筆跡です」
「それなら良かった。お仕事が忙しいのでお忘れになったんでしょうな」
目録を持参した役人は令宣の部下だがお互い素知らぬ顔を決め込んでいる。
励行に混乱させ考える暇を与えずに署名させたのはこの部下だった。
だが励行はまだ諦めずに言い募った。
「ですが、陛下は百寿図をご覧になりたいのです。徐夫人、いつ百寿図をお目にかけるのですか?」
黄公公も尋ねた。
「ふむ、徐夫人、いつ百寿図は持って来れますか?」
「公公、百寿図は既に完成していました。しかし今日突然事故に遭い燃やされてしまいました。驚いているとそこへ聖旨が来ました。燃やされた物はお目にかけられません。それでも陛下を騙した罪になるのでしょうか?」
「夫人、真相を陛下に伝えます。是非は陛下に決めて頂きましょう。徐候、夫人暫くお待ち下さい」
「よろしくお願い致します」

その頃、兄が徐家へ行った事を知った区彦行が異変に気付き仙綾閣に駆けつけていた。
そこで簡先生を尋ねて来た琥珀に出くわした。
彦行は不安に駆られて尋ねた。
「琥珀、一人か?十一娘は?」
「区公子、奥様が大変です。百寿図が文姨娘に燃やされてしまいました。そこへ突然聖旨が届いて百寿図を陛下に見せるようにと・・奥様は皇宮に呼ばれたのです」
そうか、それが兄の狙いだったのか!
「奥様は既に皇宮に行かれました!」
苦境に立たされている十一娘の事を思い彦行は仙綾閣を飛び出して行った。
万一があれば十一娘は皇宮を無事では出られない!

徐候爵夫婦は緊張して待っていた。
結果がどうあろうと出来うるだけの努力はした。
十一娘は結果を受け入れるしかないと淡々としていた。
陛下に約束した刺繍を燃やされてしまうという迂闊さを罰せられてもそれはそれで致し方ない。
しかしそうはならないという予感のようなものがあった。
暫し待たされ黄公公が広間に戻って来た。
令宣達は公がにこやかに出て来たので結果が良かったのだろうと予測した。
果たして黄公公の口から出たのは皇帝は天之四霊図を殊の外お気に召されたと言うお褒めの言葉であった。
「ありがとうございます!」
二人は黄公公に取り次ぎの感謝を伝えた。
しかし、話はこれで終わらなかった。
二人に対して褒め言葉があった後、黄公公は表情を引締めると区励行に向き直った。
「礼部侍郎区励行、尸位素餐✳、職務怠慢につき20回叩け!」
「な、何!?どうしてそんな罰を!?」
励行は仰天した。
無駄に高い地位を得ながら職務を果たしていないと陛下から処罰するよう命令が降った。
「誰か!区殿に刑を執行せよ」
「黄公公!陛下の為を思って勤めています。本当です。黄公公!!」
内官達が叫ぶ区励行を表へ引きずっていった。
令宣達も驚いて顔を見合わせた。
だがこれは勅命なのだ。
まだ外から叫ぶ声がする「陛下に会わせて下さい!黄公公」

黄公公は改めて令宣達に近づいた。
「徐殿、今見られたでしょう。陛下のお気持ちがお分かりになりましたか。どうぞ陛下の信頼に背かないようにして下さい」
令宣は手を組み礼をした。
「ありがとうございます。お引き立ての言葉も感謝致します」
「徐夫人、陛下は仙綾閣を祭典に参加させる民間工房として認定されましたので準備しておいて下さい」
「ありがとうございます!公公、ありがとうございます!」

二人が表へ出て皇宮の広い通り道へさしかかるとパンパンという板打ちの音が高く聴こえてきた。
励行が打ち据えられていた。
二人はその前を通り過ぎて歩いた。
20回打ち終わって立ったが尾てい骨が折れたかと思うような痛みにふらついた。
内官が手を貸そうとしたが拒んで前を歩く徐候夫婦を悔しそうに睨んだ。
黄公公が近づき一言慰めた「区殿、お大事に」
励行は返事もせずに睨むとその場を立ち去った。

ぎこちない動きで去ってゆく励行の後ろ姿を見て内官の一人が黄公公に質問した。
「公公、お尋ねしますが何故陛下は区殿を罰したのですか?何も悪い事をしていないようですが・」
部下にとっても目録を見誤った程度でここまでの罰は不可解だった。
「分からないのか。区殿は陛下の御前で徐夫人が刺繍を献上する話を持ちだした。そして陛下に興味を持って頂いた。その途端刺繍が燃やされた。それが何を意味するか陛下はお見通しです。それに区家の最近の専横は目に余る。聖上も不快に思っておられる。これを機に罰したいと思われたのです」

皇宮の正門への道のりを令宣と十一娘は手を繋いで歩いていた。
彼の大きく温かい手が十一娘の心を落ち着かせてくれる。
「旦那様のお陰です。危うく区家に嵌められるところでした・・まさか諄や諭まで利用されるなんて・・」
子供達を傷つける結果になった事は返す返すも悔しかった。
令宣は令宣で再び徐家の情報が素早く区家に伝わっていた事にこだわっていた。
今回は文姨娘が上手く使われた。
文姨娘にはここ暫く注目していたが区家と直に接触している証拠はなかった。
そうなると文家が要になってくるが文姨娘も実家についてはさすがに口を割らないだろう。
令宣が未知数な点について思いを巡らしていると前から区彦行がやってきた。
「徐候爵、徐夫人」
彦行は足を止め丁寧に挨拶した。
十一娘が無事なのを確認出来て彦行は胸を撫で下ろした。
心配したが二人が無事に皇宮から出て来たので刺繍については何のお咎めも無かったと見える。
「大丈夫でしたか?」
「区様、大丈夫です。事前に教えて頂いていたお陰です。危うく恐ろしい結果になるところでした」十一娘が安心させるように微笑んだ。
兄の謀略のせいで十一娘に何か事が起きれば兄を許せないところだった。
「帰ろう」令宣が促したので十一娘は黙礼をして去って行った。
手を繋いで仲睦まじい二人の姿が眩しかった。

後ろからその兄励行が内官に付き添われて不自然な格好で歩いてくるのが見えた。
どうやら処罰を受けたのは兄の方らしい。
励行は彦行を見ると一層悔しげな顔になった。
「何しに来たんだ。俺を笑いに来たのか」
「兄上、帰って話しましょう」
彦行は内官に変わって兄の腕を支えた。


✳尸位素餐
(しい・すさん)
職務を果たしていないのに無駄に高い給料を得ていることのたとえ。
「尸位」は才能も人徳もないのに高い地位についていること。
「素餐」は何もせずに食べるばかりであること。
出典 『漢書』「朱雲伝」,『論衡』「量知」
✳日本にはこんな議員多過ぎる