文姨娘が大夫人の前に呼ばれた。
「文姨娘、令宣が刺された現場に居合わせたのか?」
大奥様から呼び出される事など滅多にないので何を聞かれるのか予想はしていた。
「いいえ、知りません」
「だが門番に聞けば令宣はお前と秦姨娘に連れて帰って来られたとか」
「それはたまたまです。丁度帰宅した時旦那様が負傷して帰って来られました。それで旦那様をお世話しました」
「ほう・・そうか?・・誰か!」
大奥様が声をかけると侍女が秦姨娘を連れて入ってきた。
二人は顔を見合わせた。
文姨娘は大奥様が手回し良く秦姨娘を呼んでいた事に驚いた。まさか秦姨娘が喋ってしまったのか?
「お前達の言い分に食い違いがある。本当の事を言わないなら仕置きするがいいか」
二人はまたお互いを探るように見た。
まだ白状しようとしない二人に苛立った大夫人は茶碗をがちゃりと叩くと年かさの姥達と板を持つ男二人を呼び入れ姨娘二名を拘束した。
二人共、板打ちをする為台に身体を押し付けられた。
バシバシと姨娘達の尻を叩く音が大きく広間に響く。
「あー、あーっ、大夫人、お許し下さい!・・話します。本当の事を」
文姨娘は板打ちの痛みに耐えかねて自ら声を上げた。
「奥様です!奥様が仙綾閣で鋏で旦那様を刺したのです!」
「十一娘?」
疑惑を抱えながらもいざ十一娘の名前が出るとさすがに大夫人も顔色が変わった。

同じ頃、都の大通りを急を知らせる早馬が徐家に向かって疾走していた。

早速十一娘が福寿院に呼び出された。
事実は隠しおおせるものではない。十一娘は覚悟を決めていた。
「確かに文姨娘達の言う通りなのだな?お前が令宣を刺したのか?」
十一娘は一切の言い訳をしなかった。
「十一娘に罪があります。罰を与えて下さい」
それだけ言うと平伏した。
信じられない・・
「・・令宣はお前に優しくないか?・・あの子を傷つけるなんて・・」
十一娘は身を起こしひざまずいた。
「旦那様はとてもお優しいです。十一娘が旦那様の信頼を無にしました。義母上、罰して下さい。十一娘に不満はありません」
この瞬間が来るのを覚悟していた。
罪は償わなければ罪として永遠に残り続ける。
旦那様の慈悲に甘えていてはいけない。
許される事は念頭になかった。。
たとえ順天府に通報され引き渡されても甘んじて受け入れるつもりだった。
令宣が書き残した離縁状を使うつもりはなかった。
己の退路を絶つ為、離縁状は冬青に燃やせと命じた。
自分には彼が用意してくれた逃げ道を利用する資格はないのだから。
「今日文姨娘が教えてくれなかったら、いつまで隠しおおす積りだったのだ?何故令宣はお前を庇うのだ?令宣を好いているならどうして何も言わずにあの子を危険な目に合わせた?」
「すべて私のせいです」
「もし・・、もし令宣に何かあったら・・お前を許さん!!」
大夫人は十一娘を指差し怒りをあらわに何度も繰り返した。
「どうして・・一体どうして・・どうしてなんだ?!」
大夫人の憤りはその理不尽さ故に最期は嗚咽になり福寿院に響いた。

そこへ顔色を変えた白家職が飛び込んで来た。
「大奥様!!たった今山東から知らせがあり、旦那様は平民を救うため焼死なさいました!」
そういうと泣き伏した。
「!・・」
大夫人は一言も発せぬままがくんと失神して倒れてしまった。
五弟・令寛と丹陽が広間に飛び込んで来た。
「母上!」「義母上!」
倒れた大夫人を囲み懸命に呼び掛けている。
十一娘は突然目の前が暗くなり身体から急速に力が抜けて床に座り込んだ。
「奥様!」
十一娘は冬青と琥珀に両脇を支えられながらふらふらと西跨院に戻った。
西跨院への途中で十一娘は再び身体の均衡を失い地面にへたり込んだ。
十一娘は蒼白な顔で呟いた。
「今・・」
か細い声が喉から出た「旦那様が死んだ・・と?」
「奥様・・」
十一娘はなり振り構わず号泣した。

十一娘は地面に臥したまま号泣していた。
ところが突然立ち上がると走りだし西跨院へと駆け込んだ。

福寿院では寝台に横たわる母や妻、二義姉を前に五弟・令寛が怒りに燃えていた。
「四兄上は武芸者だ。焼死など考えられない!きっとこれには裏がある。区家は山東に基盤がある。きっと区家がやったに違いない!仕返ししてやる!」
そう叫ぶと闇雲に出て行こうとした。
「待って下さい!」二義姉が押し止めた。
「まだ状況がはっきりしていません。もし本当に令宣殿に万一があれば徐家は貴方が頼りなのですよ。貴方に何かあったら徐家はどうすればいいのですか?」
義姉の言葉はもっともであり令寛は一旦踏み止まったがめばえた悔しさは収まらない。
丹陽も令寛の袖を掴んで言葉を継いだ「五旦那様、お義兄様を思う気持ちはわかりますが、私とお腹の赤ちゃんの事も考えて下さい!」
令寛は男として辛かった。
「・・私は役たたずだ・・四兄上を殺した犯人は分かっているのに何も出来ない」

「令宣・・」大夫人の弱々しい声がした。
「大夫人!」
皆がはっとして大夫人の枕元に寄り集まった。
大夫人の意識が戻った。
「・・令宣は・・本当に死んだの?・・本当に?」
令寛も二義姉も胸が痛すぎて何も言えない。
「もう・・戻って来れないの?・・・令宣、国のため家の為に頑張って来た。最期、家族にすら会えなかった・・何故、あの子を止めなかったの?どうして・・どうして止めなかったの・・」
そう呟きながら身を起こした。
義母の前にひざまずいていた二義姉が慰めた。
「義母上、まだはっきりとは分かっていません。情報に間違いがあるかも知れません。身体を労って待ちましょう」
「羅十一娘のせいだ・・。彼女に刺されなかったら、令宣は武芸者だ・・死んだりしない」
「義母上?」
「十一娘は?十一娘は何処へ言った。呼んで来るんだ」
「義母上、落ち着いて下さい」
二義姉、令寛とも先ほど姥やからいきさつを聞かされていたが二人ともにわかには信じられなかった。
「敵と手を組んで息子を・・薄情にも・・道義上、許されない・・令宣に命をもって償って貰う・・」
「母上!私も兄上が四義姉に刺されたこと怒っています。・・ですが四義姉上がわざとそんな事をする人だとは思えないのです。きっと裏の事情があります・・どうか母上、落ち着いて下さい」
区家に怒り心頭だった令寛も十一娘に関しては性急に処罰するのは賛成出来なかった。
丹陽も十一娘が故意に義兄上を刺したとは信じられない一人だった。
「そうです義母上、敵と手を組んだなどと証拠も無しに処罰すれば羅家にはどう説明するのですか?」
大夫人はかえって激昂した。
「説明?・・いや羅家に説明して貰うのだ!・・わが徐家は代々軍に属してきた。軍規は家訓であり家主を謀殺することは戦場で将軍を殺すも同然だ!十一娘には命をもって償って貰うのだ!」

西跨院では十一娘が風呂敷を広げて忙しく荷物をまとめている最中だった。
突然走り出した十一娘の後を追って来た冬青も琥珀も十一娘が錯乱したのだと思って驚愕した。
「奥様!何をなさっているんですか!?」
十一娘は手を止めようとせずに言った。
「数多の戦場から幾度も生還してきた旦那様だ。こんなことで死ぬなんて信じない」
奥様は山東に行こうとなさっている!
「奥様!落ち着いて下さい!山東へは道のりが遠過ぎます。女性が行くのは無理です!」冬青が強く諌めた。
「自分の目で確認したい!彼が死んだなんて信じない!」
琥珀も必死に止めた「もし旦那様が本当に亡くなったなら暫くすれば遺体が此処へ運ばれて来ます」
十一娘は琥珀の目を真正面から見た。
「信じない!」
十一娘は断固として琥珀の言葉を一蹴すると脇目も振らず風呂敷包みを持って出て行こうとした。
「「奥様!!」」
その時前触れもなく二義姉が入ってきた。常に落ち着きはらった彼女らしくもなく慌てていた。
「十一娘、早く徐家を出たほうがいいわ!義母上は四旦那様の訃報で心を痛めて・・貴方に命で償わせるつもりよ」
冬青が叫んだ「そんな!旦那様が亡くなったのは奥様のせいじゃありません!」
「義母上は大旦那様を亡くし息子も亡くし、ようやく乗り越えて来た・・今は歳を取り・・もうそれ以上の打撃に耐えられないのよ。それで過激な行動に走ってしまうの」
「・・・」
「十一娘、四旦那様が貴女の為に隠していたのならきっと裏の事情があるのでしょう。でも今は義母上が理性を失っているから。早く屋敷を出たほうがいいわ」
琥珀がはっと気付いて言った「冬青!離縁状!」
「そうだ、離縁状があります!あれがあれば大奥様は奥様を処罰出来ません!」
冬青が走っていき箪笥を探って書状を取り出してきた。
「和離書」と表書きがある。
「やっと分かりました。旦那様はこんな日が来るのを予見しておられたので離縁状を用意されたんです!奥様の為です!」
二義姉は目を丸くして驚いていた。
「令宣殿が出発前に離縁状を?」
十一娘は茫然としていたが離縁状を震える手で受け取ると叫んだ。
「どうしてこれがあるの!燃やしてと言ったでしょう!?」
そう言うと離縁状を破ろうとしたが冬青が咄嗟に奪い返した。
「奥様、今命が助かるのはこの離縁状だけです!」
「命ですって?彼が生きて帰れるのなら私は何だってする!・・もし彼が帰って来れないならば、私もついて行く!」
二義姉は胸を打たれた。彼女の気持ちが痛いほど分かる。
あの時、お腹に二旦那様の子がいなければ同じように考え行動しただろう。
「燃やして!」もう一度十一娘が命じたその時、
突如大夫人の命令する声が西跨院に響いた。
「十一娘を連れ出せ!」