ついに蓮房は自ら戦慄するような大罪を自白した。
罪は裁かれねばならない。

臨波が令宣に尋ねた「侯爵、大奥様、喬姨娘をどう処置しますか。ご指示を」

大夫人は頭を垂れたまま声を絞り出した。
「令宣、お前が決めておくれ」
令宣は宣告した「喬蓮房、元娘を毒害し流産させ衰弱死に至らせた。そして十一娘を幾度となく害した。罪業深く到底赦す事は出来ない。家訓に従い杖責三十。農村におくり蓄髪修業。一生都に帰る事を許さず」
蓮房は自ら招いた罰とは言え抜け殻のようにその言葉を聞いていた。
本来なら順天府に突き出され死罪は免れない。そうなれば喬家の夫人も断罪される。
命を残されたのは恩情であり感謝しなければならない。
諄から母を奪った罪は元より、令宣にとっては十一娘を幾度となく傷つけたことが許しがたかった。

令宣に促され十一娘は西跨院に入り周囲を見渡した。
「旦那様、これは・・」
十一娘の道具は全て元通りに設えてあった。
自分の道具を西跨院から全部運び出してくださいと令宣に頼んだのは十一娘自身だった。
令宣は渋ったが蓮房に信じ込ませるには必要な手段だと彼女は説得した。
たとえそうだとしても彼女の嫁入り道具を片付けさせるのは心が痛かった。だから蓮房が捕まった時直ちに命じて元に戻させたのだ。
「夫人を迎えるのに準備するのは当然だろ。どうだ?」
冬青と琥珀にも確認させた。
「気に掛けて下さってありがとうございます!・・今日になってやっと分かりました。旦那様は仙綾閣の事をずっと隠していて下さいました。旦那様、何故私を叱らなかったのですか?」
「最初は女子が表に顔を出すのはどうかと思っていた。だがお前が災民に刺繍を教えているのを見たら彼女達を本気で助けようとしているのが分かって、正しい事をしているお前を止められなかった」
「・・旦那様、実はご相談したい事があります」
令宣は頷いた。自分の損得より他人を優先する十一娘の事だ。彼女の言わんとする事は分かっていた。
「仙綾閣は私のせいでかなりの損失が出てしまいました。簡先生に弁償して差し上げたいのですが・・」
仙綾閣は喬夫人と蓮房の策略のせいで職人を失っただけではなく評判を落とされた。金銭で償える事ではないが何かせずにはおれない。
令宣は安心させるように彼女の両の腕に触れた「お前が決めれば良い事だ。銀子なら白総監に言えばいい」
十一娘はどこまでも鷹揚な令宣が不思議だった。
「旦那様、旦那様はどうしてこんなに私に優しくして下さるんですか?」
「お前が喜べば私も喜ぶ。それだけの事だ」
自然と二人は寄り添い十一娘は令宣の胸に頬を寄せた。
二人の距離が一番近づいたとき、外から無粋な侍女の声がした。
「旦那様、奥様、傳様からの言づてがあります。喬様がどうしても旦那様に会いたいと」
令宣と十一娘は顔を見合わせた。
十一娘は令宣も辛い決断をした事を知っていた。
「旦那様、彼女はきっと何か話したい事があるのでしょう・・」
蓮房には恐らくこれが令宣との最後の対面になる。
十一娘は外に居る侍女に向かって返事をした「彼女に伝えて・・旦那様はもう少ししたら行くと」
そして、令宣に向き直って静かに頷いた。

蓮房は自分の琴を爪弾いていた。
令宣が入って行くと柔らかく微笑みながら立ち上がった「旦那様」
令宣の表情は対照的に硬かった。
「覚えていますか?私が十歳のあの年、母上が私を徐家に連れて来てくれました。庭で琴を弾いている貴方様に出会いました。私がうっかり転んで泣いていると、私を慰める為に桃の花を一束も手折って下さいました」
徐々に蓮房は令宣との距離を詰めていった「あの時思いました。なんて眉目秀麗な人と」
蓮房は夢を見るかのように顔を綻ばせた「私は大きくなったら貴方様のお嫁になると心に決めました」
令宣は今この時にこんな昔話をする蓮房が理解出来ずただ痛ましく感じていた。
「あれから貴方様しか見えなくなって琴がお好きなのを知り名師をあちこち訪ねて琴を習練しました。・・貴方様が戦場に出た時は毎日不安におののき夜も寝られませんでした。そうして貴方様を夢中で十数年も想い続けました」
令宣はもう聞きたく無かった。それ以上聞いて何になろうか。いくら彼女が自分を想っていようが彼女のした事は許す事が出来ないのだ。いや、むしろ想われている事が元娘や諄を不幸に突き落としたのならそのような過去さえ忌まわしい。
「話がそれだけならもうそれ以上話さなくていい」
立ち去ろうとした令宣だが蓮房は憐れみを乞うように続けた。
「旦那様、元娘を害毒したのは事実です。でもあの羅元娘もいい人とは言えません。彼女のせいでこの私、喬家の嫡女がここまで落ちぶれたのです」
令宣は今更また恨み言を言おうとする蓮房に厳しい顔を向けた。
「確かに私は間違えました。しかしあの羅元娘と羅十一娘は共謀して私を嵌めました。彼女達は悪くないんですか?旦那様はどうして私しか責めないのですか?」
「あの日お前が勝手に私の内院に入らなかったら元娘は思い通りになったか?嫡女としての誇りがあるなら瓜田李下の意味も分からないのか?しかもあれは元娘だけの企み。十一娘は全く関係がない。十一娘は最初から最後までお前に難癖を付けた事は一度もない。しかしお前は二度も三度も彼女を陥れ陰険窮まりない!」
令宣は今思い出しても肝が冷え怒りに震える。
十一娘だからこそ、その機知で拉致監禁の計略を跳ね返し醜聞を免れたが一歩間違えれば命を落としていたのだ。
「それも全部貴方様の為です。あの羅元娘は全く貴方様を理解しようとしない。羅十一娘は身分も低く貴方のお側に釣り合いません。私だけ・・私だけが貴方様の妻になれる資格があるのに。だから貴方様の為に私は尊厳体面全て捨てても貴方様に尽くしたと言うのに!どうして私の気持ちを分かって頂けないのですか?」
令宣はどこまでも自分本位に愛の押し付け、いや愛とは言えない執着の押し付けをする蓮房の身勝手さに戦慄した。
身分だと?よくも言えたものだ。
誰から生まれたかは心の尊さとは全く関係がない。
蓮房は名門の嫡子として生まれたが心根が卑しい。
だから殺人まで犯して人の夫を奪い取ろうとしたのだ。
蓮房は啜り泣いた「十数年も愛し続けたのに、それなのに、どうしてまだ私を受け入れて下さらないのですか?・・嗚呼っ、私こそこの世で一番貴方を愛しているのよ」
蓮房は令宣の手を握ろうとした。
が、しかし令宣の冷ややかな瞳は徹頭徹尾蓮房を映してはいなかった。
蓮房のわななく指先が令宣から離れていく。数歩後ろに下がった蓮房に令宣は諭すように話した。
「愛はお互いを認め尊重や信頼、そして双方が思い合う事だ。強要ではない。我慢して折り合う事でもない。お前は嫡出とは言え性根が悪い。十一娘は蔗出だが良善仁徳であるからこそ人から尊敬される。お前にも分かるだろう。大切なのは出自ではなく心の在り方だ」
蓮房は何を訴えてももう届かない事を悟った。
「最初から最後まで旦那様は私に少しの情もないのですか?」
令宣はそれ以上何も答えなかった。

[福寿院]
翌朝、令宣と十一娘は揃って福寿院に出向いた。
十一娘は大夫人の前にひざまずいた。
「義母上、十一娘は妊娠したと嘘をつき義母上を騙しました。さらに無断で仙綾閣で災民に刺繍を教えておりました。私のせいで徐家の名誉も壊されそうになりました。私を処罰して下さい」
大夫人は盛大にため息をついた。
「それには訳があったのだからお前のせいにする訳にはいかない。私のせいだわ」
力のない声でそう言い俯いた。
「私が見抜けなかったからお前にあれ程の苦労をさせた。令宣、何をしてるの。早く十一娘を立たせて」
「さあ」令宣が十一娘の腕を取って立たせた。
「ありがとうございます、義母上」
「立って頂戴」大夫人は杜乳母に合図を送った。
杜乳母が紫檀の箱を持って来て二人に見せた。箱には見たこともないきらびやかな宝石類が嵌め込まれた金の宝冠が収められていた。
「十一娘、この飾りは私の嫁入り道具だよ。受け取っておくれ。お前への償いだと思ってくれればいい」
杜乳母が十一娘に箱を差し出したが十一娘は手を差し出す気持ちにはなれなかった。
「義母上、これは貴重過ぎます。とても受け取れません」
令宣は母の気持ちを推し量って言った「これも母上の気持ちだから受け取りなさい」
十一娘は令宣を見た。令宣は安心させるように頷いた。十一娘はこれで義母上の気持ちが軽くならなら素直に受け取ろうと思った。
「義母上、ありがとうございます」
胸のつかえがほんの少しとれたかのように大夫人はようやく微笑んだ。
「令宣はこの件のいきさつを教えてくれた。令宣は前から内幕を知っていて教えなかったのも私を心配させたくなかったからだ。だがな、十一娘、お前はこの家の主母だ。毎日人前に顔を出すのはやはりどうかと思う。もう仙綾閣で教えるのは辞めた方がいい。夫を助け子どもを教育する事こそ我々女の本分だよ」
予期していたが、やはり面と向かって仕事を止められるのは胸に堪えた。
「義母上・・」と言いかけると令宣が遮って言った。
「母上、十一娘が仙綾閣で災民に刺繍を教えている事、既に皇宮内に美談として知れ渡っています。各宮家女官達からの賛辞も絶えません。もし今仙綾閣を辞めた事が皇宮の貴人達の耳に入ればかえってあれは売名行為だったのかと言われ兼ねません」
大夫人は深いため息をついて令宣の言い分について思いを巡らせた。そうなら徐家の名前に関わる。何と言っても令宣の評判を落とす事は慎まなければならない。
「それなら暫く続けていいわよ。けれど約束して欲しい。決して候爵の権勢を自分の利益の為に使わない事、それと民衆を虐げて徐家の名誉を傷付けないこと。約束できるか?」
「義母上、ご安心下さい。約束します。旦那様の権勢を私欲の為に使いません。徐家に不利な事もしません」
「よし」
令宣は母の言葉に心のうちで笑った。自分に権勢があるのなら十一娘の善行に利用してくれてもいい。だが残念ながら彼女はそのような考えを持たないのだ。
十一娘は胸を撫で下ろしていた。旦那様はこの私の為に、私が義母上に口答えしなくても良いよう心を砕いて義母上を説得して下さった。
虎の威を借るのは十一娘の最も嫌う事。彼女には絶対そうならない自信があった。仙綾閣の職人には私が永平候爵夫人である事が知れてしまったが今まで通りのただの十一娘として災民に刺繍を教えてゆきたい。
その願いが護られたのも令宣のおかげだと十一娘は心から感謝していた。

[羅家]
ここは羅家の客間。
二人で揃い羅家に詫びの印の品を持ち謝罪に訪れた。
病で臥せっている羅大夫人を除き、父、そして兄振興と若夫人が二人を迎えた。
令宣は深く頭を垂れた。
「令宣が義父上に陳謝します。徐家は十一娘を誤解し、十一娘に苦労をさせました。下策を弄し誠に申し訳ありませんでした。本日は謝罪に参りました」
羅家当主は十一娘が離縁されたと信じ込んで頭を抱えていたがまさかの成り行きに驚きを隠せなかった。
次は十一娘が令宣の為に執り成さねばならない。
「すべて十一娘が至らなかったからです。父上母上、兄上義姉上にご心配をおかけしました」
兄振興が言い添えた。
「二人とも謙遜するな。徐殿と十一娘の気持ちが通じ合っていなければ喬蓮房の企みを見破る事は出来なかっただろう」
更に令宣は義父に痛恨の過去を告白しなければならなかった。
「実は元娘が妊娠している間服用していた安産薬に喬蓮房が毒を入れました。元娘はそれで命を落としました。私はそれに気付けませんでした。どのような罰を受けても文句は言いません」
羅大旦那は蒼白になって椅子から立ち上がった。
病弱で亡くなったとばかり思っていた娘がまさか喬家の娘に毒殺されていたとは。
喬家は都で有数の名家であり資産家である。
喬家の嫡女は我が娘が懐妊した当時まだ未婚であったはず。
その小娘が徐家の正妻を毒害するなどと荒唐無稽、一体誰が想像し得よう。
娘は何と言う毒婦に殺されたのか!
驚きの余り力が抜け再び崩れるように座った。

二娘の実母が部屋の外で盗み聞きをしていた。そして止せば良いのに臥せっている羅大夫人にすぐさま報告に行った。その事実は羅大夫人を打ちのめした。
「そんな・・・昔から多くの企みで姨娘を陥れてきた・・・、その報いなのか?私の一番大切な娘が他人に殺されるなんて!!因果応報とはこの事か〜!!」
叫ぶと頭を抱えて寝台に突っ伏してしまった。
「大奥様〜っ!」
羅大夫人は小康状態であったのに意識が混濁して再び床を離れる事が出来なくなってしまった。