♪俺的睡情誰見~
五弟令寛が最近贔屓にしている芝居一座四喜班の公演を鑑賞していた時のこと。

最近四兄上が家庭円満で機嫌が良いので自分も安心して好きな芝居を観にくる事ができる。

これも偏に若いながら人徳のある四義姉上のお陰だとひとかたならぬ感謝の気持ちを禁じ得ない。


舞台では贔屓の役者が美しい声を響かせている。

五弟は一座の座長やへ報奨金を渡してくるよう供に命じた。

五弟は四喜班にとってありがたい贔屓筋であった。


早速座頭自らが礼を言いにやって来た。

「徐様、本日もご贔屓下さりありがとうございます。徐様がいらして下さるので我々もこうして興行がやれます」

「いやなに、今日も殊の外皆の歌が素晴らしいから気持ち良く聴けた。報奨するべきだ」

「そう仰って下さいますと・・徐様がいらっしゃらないと商売になりませんよ、、徐様、ただ明日から明後日にかけてここでは芝居が出来ません。恐れ入りますが余所へお出掛け下さい」
「どうした。都を離れるのか?」

「いえいえ違いますよ・・」

座長は五弟の近くに身を寄せると声を潜めて話し出した。

「実は靖遠侯爵家の屋敷で演るんです。そこの長男区殿と茂国公家の世子・王煌様と最近何故か仲がいいんですよ、、区殿が我々を呼んだのもそれで賑やかにやりたいからと、」

「・・そうか、確かによくある事だ。大丈夫。それならまたここに来るよ」
「感謝します、公子!」
素知らぬふりでとぼけたが令寛は明らかにおかしいと感じていた。

芝居小屋の主人でさえあの酒乱で嫌われ者の茂国公家世子・王煌が靖遠公の長男と親しくしている事を訝しく思っている。

令寛は都の遊び人の交友関係に詳しいが二人に交流があるなど聞いた事もない。

どう考えても怪しい。


その夜、令宣の書斎机の前を行ったり来たりしながら兄の帰りを待つ令寛の姿があった。
待ちかねた令宣がやっと軍営から帰宅した。
「兄上お帰りなさい!」
「来ていたか。何か大事な話があると照影から聞いた」
何をどう話そうかと兄を前に令寛は緊張していた。
「どうした?急に家事の心配でもし始めたか?それとも丹陽に何かあったのか?」
「四兄上、からかわないで・・大事な話なんだ」
「大事な話か・・」
相変わらず弟を子供扱いする癖の抜けない兄に令寛は溜息をついて話し出した。
「四兄、ホントに大事なんだ。言えば分かってくれるよ・・今日分かったんだ。区励行と茂国公家のワンがいきなり仲良くなった・・これはどう考えても怪しいだろう?」
「そうか、話してみろ」
「ほら、兄上と茂国公家の王煌は義理の兄弟だろ?区家は兄上の親戚王家を敵と見なすべきだよね。それを逆に仲良くしている。明日は王煌を屋敷に招いて歓待するらしい。きっと何か裏がある。区家は何かを企んでいるはずだ。だから注意をしておくべきだ」
令宣が急に真面目な顔になって身を乗り出した
「何処から聞いた話なんだ?」
兄が話に乗ってきたので令寛は少し得意になった。
「虎には虎の穴あり、蛇には蛇の洞あり。普段そういう職業の人と付き合って欲しくはないだろうけど彼らが教えてくれたんだ」
令寛は念を押して言った。
「四兄上、兄弟だから嘘はつかない」
「分かった・・」
令宣の表情は厳しいものに変わっていた。


夫婦の敵は区家だけではなかった。
その日の昼間、大通りをそれた辺りに喬家の馬車が到着した。
ちらりと錦の帷から喬姨娘の母が外を伺う。
その喬家の豪華な馬車から似つかわしくないボロを着た農民風の若い女が一人降りてきた。
内側にいる奥様と何やら小声で打ち合わせた後、ボロ服の女は杖をつきながらヨタヨタと歩いて行く。
行く先は十一娘の簡師匠が営む刺繍坊「仙綾閣」だった。

その夜、西跨院に戻り夜衣に着替えた令宣は先程の令寛の話を十一娘に聞かせた。
十一娘は鏡台の前で髪を梳かしながら自分の感じるままを言った。
「俗に言うと急にご機嫌を取るなんて何か裏があるはずです。王煌は利用価値がある。だから区家は彼に近付いたんでしょう」
「まず、王煌は遊びにしか興味が無い・・そこから調べるのが得策だな」
「そのお考えは理に叶っています」
令寛は微笑んだ。
「そういえば、令寛も頼もしくなってきた。何かあれぱまず家の事を考えてくれるようになった」
令寛が家や兄を顧みてくれる頼もしい存在に成長しつつあるのも、元はと言えば十一娘の尽力によるものだ。仲直りの梅酒を薦めて兄弟の仲を取り持ってくれたのは十一娘だった。
厳しいだけでは令寛も心を開いてくれなかっただろう。
十一娘には感謝しなければ、と令宣はしみじみ感じた。
「この一件が本当なら、旦那様は彼に感謝しなければなりませんね」
そう言って十一娘が向こうから微笑んでいた。
「どう感謝すれば良いと思う?」
「五弟の好きな物を贈るのはいかがでしょうか?」
「あいつは演劇が好き・・もしや台本を贈れとでも言うのか?」
「何がいけないんですか?演劇に文句でもおありですか?演劇が好きでも一向に構わないじゃありませんか。旦那様が喜ぶべきは五旦那様の道楽がお酒や賭博、女遊びじゃないことです。彼の唯一の趣味を禁じて変な方向に走る方が怖くありませんか?」
十一娘が指摘する事はいちいち尤もだと令宣が頷いた時、十一娘が付け加えた。
「誰しもが旦那様のような人じゃありませんから」
言った瞬間、十一娘自身が固まった。
耳飾りを外す手が止まった。
令宣は顔を上げて十一娘を見つめると手元の本を暖閣に置いてそろりと立ち上がった。
十一娘の真横に立つと彼女の背後にゆっくり手を回して顔を近づけて囁いた。
「今、私を褒めたのか?」
十一娘の頬は朱く染まった。
つい本音が出てしまった。
口から出た言葉は元に戻せない。
「・・お茶を煎れてきます」
そう言って立ち上がろうとしたがもう遅かった。
令宣の視線が十一娘を捕まえて離さず彼女は動けなくなった。
彼の大きい手の平が十一娘の頬を包み込む。
徐々に距離を詰めてくる彼の身体に動悸が早まる。
彼の瞳が十一娘の口元を確実に捉えているのが分かる。
口づけされる・・と覚悟した瞬間、十一娘は顔を僅かに逸らしてしまった。
けれど令宣はそうした十一娘を咎めなかった。
その姿勢のままに彼女の頬に口づけすると、またゆっくり立ち上がった。
その顔には微笑が浮かんでいた。

二日ほどして、令寛は令宣から呼び出しを受けた。
“一体あの忙しい兄上が私に何の用なんだ?”
令宣の書斎に通った五弟は照影に尋ねた。
「兄上はどんな用があるんだ?何か言ってなかったか?」
まさか小言では…?
「存じません。直接旦那様にお尋ね下さい」
ここのところ四兄上は優しい。
近頃は叱られてないけれど・・心配だ、私がまた何か仕出かしてるのに自分だけが気付いてない、とか?
はあ~と溜息をついて頭をかいた。
不安になって辺りを見回していたら、ふと丸机の上に一冊の本が置いてあるのが目についた。
「占花魁 上巻」
話題の新作じゃないか!何故ここに・・。
思わず手に取り表紙を見つめる。
が、ふと兄上の顔が思い浮かんだ。
“こんな事をして、兄上はもしかして私を試しているのか?”
そこへ令宣が入ってきた。
「はっ、、!四兄上」慌てて本を置いた。
「持っていくがいい。この新しく発売された【占花魁】はお前に上げるために買った」
「四兄上、、本当に頂けるのですか?」
「いらないのか?」令宣が机から本を取りあげようとすると「要ります要ります!」と慌てて引ったくるように奪い返した。
「臨波が調べた。区励行はずっと王煌と一緒に遊んでいる。何か企んでいると見て間違いない。これはお前へのご褒美だ」
令寛は嬉しかった。兄上がここまでしてくれるとは・・だが
「四兄上、この占花魁は上下二巻に分かれていて、、これは・・上巻だけですが・・」
令宣はにやりと弟をからかった。
「やはり上下巻揃ってから渡すよ」
「あ!いやいやいや・・」
五弟は本を抱きしめて後ろ向きに下がったものだから出入り口にあった矢筒を倒してしまった。
「旦那様」と声がして
現れたのは十一娘だった。十一娘は床に落ちた矢を拾い上げた。
「大丈夫か、気をつけろ」
彼女が慣れない矢を触って指を怪我しないか心配だ。
十一娘は細かいところによく気がつく。
「旦那様、この矢は以前見た物と違いますね」
十一娘は矢の先端の違いを指摘した。
「これは三稜箭、かえしと血槽がついている」
「普通の矢より少し大きいですね」
いつの間に見たのか令宣は十一娘の観察眼に感心した。が、彼女には武器などに興味を持って欲しくはない。
血生臭い仕事を担う自分を心配して欲しくない。彼女には穏やかで幸せな暮らしさせてやりたいのだ。
「これは徐家にしかない物だ」
彼女が大人しく矢筒にその矢を戻したので令宣が尋ねた。
「どうした?」
「義母上がお昼は福寿院で取るので一緒に来て欲しいと仰っています」
「そうか、分かった。行こう。待たせてはいけない。おい令寛お前も一緒に行こう」
「はい!四兄上」
共に福寿院に向かって歩きながら令宣は弟に一言付け加えるのを忘れなかった。「覚えておけよ、あまり嵌まり過ぎぬようにな」
兄弟二人の後ろを十一娘と冬青がついていく。
冬青は不思議だった「旦那様は叱らないんですか?」
「旦那様は実際優しい人だわ。あの台本は旦那様が大金を出して買って来た物よ」
「じゃあ、私達は今まで旦那様を誤解してたんですね?旦那様は普段厳しいけれどその全てはこの家のため。実際はとても優しい方なんですね」
十一娘は足を止めてあきれて冬青の顔を見た「冬青、旦那様を褒め出したら止まらないわね。お前は一体誰に仕えているの?」
二人は笑いながら再び歩き出した。