琥珀が乳母達に屋敷に入るよう呼び掛けた「皆さん、こちらへ」

「李乳母」
「はい」
「家の使用人と侍女の管理を担当。彼等の配置は適材適所。給金の管理もしっかりしている。よって銀子二両報償」
「ありがとうございます!奥様」

「王乳母」ちょっと小狡そうな顔をした乳母が前に出る。
「担当は厨房の仕入れと管理。帳簿に載っている台所の支出。燕の巣、西洋人参これら高級食材に関しての仕入れ価格が一般より三割も高い。これはどういう事?」
「奥様!他の店より遥かに質が高いです」
「ならばお前が仕入れて来た物と他の店のものを比べてみようか?」
「そ、それは・・奥様」
「張乳母、家族全員の被服を管理している。職人や縫製用品すべてお前が決める。お前が貰った、割り戻し金を皆の前で言おうか?」
「お、お、奥様、、証拠もないのにデタラメ言わないで下さい!私に罪を着せないで下さいよ!」
「でたらめ?家事責任者になった事はないが、子供時代は貧乏だった。針、糸、布、全てを計算して暮らしていた。私を帳簿の読めない世間知らずのお嬢様だと思ったら大間違いだ。お前達、主人を騙し私腹を肥やす。二人共徐家の古顔だから過去の事は追求しない。だが今日から二人の仕事は他の人に渡そう」
「奥様!そんな事していいんですか?私達が居なくなったら混乱しますよ!」
「お前達の仕事を引き継ぐ新しい人を用意してある。混乱するかどうかは二人が心配しなくてもいい」
「奥様~、お手柔らかにして下さいよう」張乳母が情けない声を出した。
「もう既に柔らかにした。不服なら大奥様に言う」
「そ、それは・・」
十一娘が控えていた冬青に頷いた。
冬青がこれで終了と宣言した「皆さん、お下がり下さい」

乳母達が帰った後の西跨院では引き続き帳簿が調べられていた。
布に関する出納簿だ。西山別院で見つけた唯一の手懸かりである茜色の布が昨年誰の手に渡ったのか。
「これが調査の為じゃなかったら家事責任者なんて引き受けなかったわ」
冬青が「これで本当に手懸かりを得られるんですかね?」と聞いた。
「別院に残り布があったなら端午節の前にこれを使った人を調べればきっと手懸かりは出てくる・、ん?おかしい」
「奥様、どうされました?」
「絹織物が大量に購入された記録がある。喬姨娘が家事を預かって以来、仕入れ先が文家から張氏織物店に変わっている。しかもかなりの支出。これじゃそれまで取引のあった文家は大損失だね」
「文様の性格だと黙っていないんじゃないでしょうか?」琥珀が思わず呟いた。
冬青が期待を込めて言った「それだと喬姨娘は仕返しされるんじゃ!?」
十一娘はピンと来ていた。かび米の発覚は文姨娘の侍女の不審な言動があったからこそだった。
「もう仕返ししたかも・・」
「あ?」冬青はピンと来てなかった。

「それより、あ、見つけた。ここに記載がある。去年の端午節にあの布を使ったのは、丹陽県主、文姨娘、喬姨娘、とある。しかしあの布は女性が好むような華麗な布じゃないわ。どちらかというと襦袢とか男性の香袋とか・・」
琥珀が思いついた「奥様、端午節には意中の男性に香袋を贈りますよ」
冬青も興奮してきた「意中の人、というと五旦那様か、旦那様じゃないですか?」
「奥様、女性の方は手懸かりがありませんでしたが旦那様と五旦那様から着手出来ます」
「彼女達が贈ったものを調べれば必ず手懸かりに辿り着く・・頭の良い者でなくても集まれば文殊の知恵が出るわね」

半月畔では令宣が引き続き悩んでいた。
「旦那様、こちらでお風呂の用意をしましょうか?」照影が返事を待っている。
無言で頷いていた。
今の一言で、令宣の頭の中ではまたもや昨夜の事が蒸し返されていた。
十一娘は何故・・私を拒むのだ。
粥棚の上で自分は妻を守り切り事態の収拾を計った。あの時十一娘は自分を尊敬の眼差しで見ていた。
それには自信がある。
母に造反してまで十一娘に家事の権限を渡して夫として彼女を尊重した。
これも良い夫として評価されて良いだろう。
最近は反抗的な態度が無くなってきた。
それにも確信がある。
なのに・・・。

令宣が仕事の続きをしていると、ふと書斎の入り口に人影が射した。それも女の影だ。
(十一娘!?)
令宣は反射的に立ち上がった。顔を改めて出迎えるとやって来たのは蓮房だった。
「何か用か」あからさまに落胆した無愛想な声が出た。
「点心と汁物を作って来ました。旦那様に召し上がって頂きたくて・・」
「そこに置いておけ」令宣は丸卓をあごで示して、すぐ仕事の体制に戻った。
蓮房が横に来て分かり切った事を尋ねた「旦那様何をなさっておいでです?」
「難民を慰める為の公文を書いている」
「難民が都に来て騒ぎを起こしていますね。早く都から村に帰したほうが良くありませんか」
「洪水が氾濫した地域だ。村には一時に帰せない。死傷者が出るだろう」
「人災天災は避けられませんわ。都で騒動を起こして陛下を怒らせるより良いでしょう?農民の生死は旦那様の公務とは比べものになりませんもの」
(お前が軽く言う農民の生死は我々の生死に直結しているのだぞ)
令宣は何も応えず深い溜息をついた。
「旦那様、冷めないうちに汁物をどうぞ」
「母上の脚が悪化した。今から行くところだ」
「まあ偶然ですね、私も膝当てを作って届けるところです」
「・・行こう」
[福寿院]
「大奥様、膝当てを作って来ました」
「あぃや~蓮房、よく私を心配してくれたねえ・・」
「蓮房が間違いを起こした時、大奥様は私に怒りませんでした。蓮房は幸せです。大奥様に孝行するのは当たり前です」
「家事の事で蟠りが残るんじゃないかと心配したが、今分かったよ。お前は心の広い子だ。令宣、蓮房に目を向けなさい」
「大奥様にご心配をおかけしました。蓮房は大奥様と旦那様をずっと思っています」
「いい子だねえ、蓮房。でも私じゃなく徐家に子供を産む事を頭に入れなさいよ」
そう言って令宣の方を見る「令宣、仕事ばかりしてないで蓮房に時間を使いなさい」
[西跨院]
斥候に行かせた冬青が慌ただしく部屋に戻ってきた「どうだった?」
「奥様、旦那様と喬姨娘が大奥様の部屋に居ます。今からだとこの時間ですしきっと一緒に食事すると思います」
「良かった!時間があるわ、行こう!」
「行きましょう!」
向かった先は主が留守の半月畔だった。
[福寿院]
「これはお気に入りの柄ですよね、三日間かかりました」
「よく作ったねえ、縫い目が綺麗だねえ」
令宣がスッと立ち上がった「母上、救済の上奏を国老に仰せつかっていますのでお先に失礼します」
「待て、夕飯の時刻だ。蓮房と食事の付き添いをしておくれ。二人が居ると食が進む」
「救済は待ってはくれません。食事はまたにします」そう言うときびすを返して出て行った。
「あの石頭が・・」
「大奥様、旦那様は私を許していないんじゃないでしょうか」
「そう言うな、あれはああいう性格だ。お前からもっと行かないと、な?」
「はい、大奥様」

十一娘が半月畔の玄関に着くと早速照影が出迎えた。
「旦那様は今お留守です」
「いいのよ、旦那様の服を作りたいので古い服を一着借りていくわ」
「では、どうぞ」
奥の寝室へと進む。視線を素早く走らせ箪笥を探す。
あった、ここだわ。
暫く箪笥をひっくり返しても例の布は出てこない
全然違う・・。

表では柱の陰から照影が奥の様子を伺っていた。
後ろから帰って来た令宣が更に覗き込む。
「何を見てる?」
「う、わあっ旦那様、大奥様のところでお食事では?」
「仕事がある」
「奥様が中にいらっしゃいます」
令宣の足がピタッと止まり、束の間考えて照影に指示した「恩寵の茉莉花茶を煎れてくれ」
「旦那様、香りが


甘すぎるとお嫌いだったのでは・・」
「言ったか?」
「いえ・・」
寝室の箪笥を探っている十一娘に後ろから令宣が声をかけた。
「何を探してるんだ?」
予想より早く帰ってきた事に驚きつつ、ぱたんと扉を閉めた。
「旦那様、旦那様に服を作りたいと思いまして古い服をお借りして採寸をと・・」
「そんな事、仕立人に任せればいい」
「私のお節介でした、失礼します」
逃げようとすると「待て」と言う。
「古い服だと寸法が違うはずだ。このまま計れ」
そう言うと手を広げた。
(要らないって言ったくせに・・)
「どうせ暇なら暇つぶしにでもいいだろう、何をぼうっとしてるんだ。早く」
十一娘は心の中でぶつぶつ言いながら「はい」と返事した。
忍ばせてきた巻尺を取りだすと令宣の寸法を計り始めた。
彼の腕をわざとぐいと伸ばしてやった。
「紙と筆を貸して下さい」
「そこにある」
十一娘が記録していると令宣が後ろから覗き込んで「綺麗な字だな」と褒めた。
「柔と剛を両方持ち合わせている・・」
十一娘が筆を置いて振り返ると「終わったのか?」「いいえ」また採寸を再開した。
計りながら気になっている事を質問した。
「ところで旦那様、難民の状況はどうなっていますか?難民の避難所は決まりましたか?」
「その件で悩んでいる。男はまだいい。海賊討伐の為に軍隊に入れるつもりだ。朝廷は兵力を増強し、彼らも家族を養える。軍に入りたくない者は軍の職人から技術を学べばいい」
「魚を与えるより魚を取る方法を教える、ですね」
「軍には女性は入れられない。いい方法が見つからないんだ」
「旦那様、女性を刺繍工房に行かせては?」
「刺繍工房?」
「はい、簡先生の話によると被災で綿布の需要が高まり人手が足りないそうです。簡先生と仙綾閣にお願いして各工房とも力を合わせて難民の女子を雇い入れたらどうでしょう。これで人手を補えますし技術も教えられる。将来地元に戻っても食べて行ける技術が身につきます」
「確かにいい方法かも知れないな。細かなところに検討が必要だが実行可能だ。十一娘、功を立てたな。報償を与えよう」
「言ってみただけなので報償は貰えませんよ」
「随分と物分かりが良いな。男ならきっと業績を上げられる」
「女だと上げられないんですか?」
「・・・」