西跨院の玄関から令宣が大股で出てきた。

表で提灯を提げて待機していた照影が驚いている。今しがた入っていったばかりなのにもう出てきた。

「旦那様・・」
令宣が首をふりながら独り言を言うのが聞こえた。
「まったく!手の付けようがない」
「奥様に会いに来られたんじゃないんですかあ?」
足早に去っていく令宣
「また喧嘩ですかあ・・?」
照影は首をかしげながら後を追う。

[数日後、花園にて]
「奥様」
「喬姨娘、お出かけか」
「旦那様が狩猟に行かれたようなので衣服を片付けに行きました」
「そう、ご苦労様」
「喬姨娘」
「?」
「見て、お花が綺麗だわ」
蓮房はツンと澄ましていた。
「・・牡丹だけを愛します。いくら綺麗に咲いても気に入りません」
「絶代只西子 衆芳唯牡丹、花は一斉に咲き誇るが誰もが国色の牡丹に溺れる訳じゃないわ。私は寒中に咲く梅のほうが好きだわ」
「奥様は何が仰りたいんですか?蓮房にはよく分かりません」
「牡丹と梅花は違う季節に咲くもの。会うことが無く美しさを競う事もない。喬姨娘が牡丹が好きならちゃんと守りなさい。揉め事なく付き合えるのに。どうしても梅と競い合うなら、牡丹は弱すぎるでしょう。よく考えなさい」
十一娘達が去ったあと、繍櫞がいぶかしげに尋ねた。
「喬様、今のは何を言ってるんですか?」
「何だっていい、・・行こう」

[狩猟場・林に囲まれた川の畔]
令宣が矢を射る。
一射目は、中心を外した(集中力が途切れているな)
ふと、数日前の十一娘とのやり取りが浮かぶ。
狩猟は常に危険が伴う。気を引き締めて二射目の弓を引き絞る。
区励行が傍に来ていた。
令宣は集中し的を射る。的中。
「往時の狩り場では胡殿がどれだけ雄々しく騎射の腕前が素晴らしく胡殿に及ぶ者はいなかった。獲物は全て彼がさらった」
「・・・」
「そういえば、永平侯爵は胡殿と仲が良かったな・・胡殿が斬首された時、永平侯爵は何を考えていたのかな」
「区殿が他人の災難を喜ぶのは胡殿の生前に恨みを買ったからでは?」
「そう言われると私が心の狭い人間だと言う事かな・・私は朝廷の為に喜んでいる。胡進のような悪者を取り除けたのは腫瘍を取ったに等しい。望むところだ。胸がすく」
怒気を含んだ声が割って入った。
「黙れ!胡進は過ちもあったが功績があった。彼が総督に就任して以来匪賊を討伐し水害を防ぎ、東南の人々に安居楽業させた。お前などが非難出来るものか!」
衛国公が常以上に難しい顔で立っていた。
「衛国公、怒る事はないでしょう。胡進の功罪は朝廷で確定しています。そうでなければ斬首される事もなかったでしょう。まさか衛国公は陛下をお疑いですか?」
「陛下は騙されたのだ」
「衛国公!!」令宣が強く遮った「言葉をお慎み下さい」
区励行は皮肉な表情のまま一礼して去っていった。

「徐令宣、誠実な人間だと思っていたが、まさか定見のない人間だったとは」
「国公、誤解です。奴から国公の言葉が伝わり口実にされたら国公の不利になります。陛下の命で胡進殿は斬首されたのですから」
「ふん、あんな小人恐るるに足らず」
衛国公は令宣に向き直った。
「永平侯、お前も胡進とは長い付き合いだ。まさかお前まで彼を責める言説を信じるのか」
「胡殿は清廉潔白で公正無私。決して私欲を謀る人ではありません。彼に共謀者がいるなら責められた時に庇う仲間が居たでしょう。国公、奸臣が勢力を持ち、今の朝廷には国民の為に献身する人間がおりません。ですから国公には言葉を慎んで欲しいのです」
目を合わせると生涯の友を失った恨みと哀しみが国公からひしひしと伝わってくる。
「彼は愚かな人間だ・・一人で何を変えられるのか」
「国公、私はそうは思いません。真実を見る事を恐れない人こそ国の悪弊を知っています。
国公の人柄を知る人があなたと深く交われるのです」
「その通りだ。お互い人柄を分かっているからこそ政見が違って喧嘩別れもあるが友情が損なわれる事はない。まさか、あれで亡くなってしまうとは・・」
「胡殿は私に言われました。海禁は祖訓だが時代遅れの慣習だと。今となれば東南沿岸部の匪賊、民衆の困窮、国力の低下はこれが原因だと。海禁を廃止し海上貿易を開く事だけが匪賊を討伐し民衆を助ける事が出来ます」
「令宣、時期だ。運命だ。そうだとしても我々に何が出来るんだ。祖訓に関わるもので一人二人の力では変えられないのだ」

[夜・西跨院]
「奥様、徐家の刺繍を調べても何も出て来ません。あの犯人は徐家とは関係ないんじゃ?」
「そうね、刺繍では見つからなかったから次は布を調べよう」

「奥様」陶乳母が入ってきた。
「蓮の実の湯を作って諄様に差し上げました。奥様もどうぞ」
「ありがとう・・陶乳母、一年前の布は何処に置いてあるの?」
「一年前ですか?殆ど使われたと思いますが、、残っていたとしてもここには置いてませんよ。郊外の別院の倉庫に持って行きますから、、で奥様どうして?」
「折角の錦を使わないと無駄になると思って。刺繍に使えるわ」
「あはは、そうですね、さ、召し上がって」

福寿院~大奥様の屋敷]
「おお、お帰りお帰り令寛、丹陽・・・さ、楽にしてお座り」
「母上、只今戻りました」
「どうだった?道中大丈夫だった?」
「はい、義母上、遊歴から帰ってきた慧恩法師にお会い出来ました。それで占ってもらいました」
「なんて?」
「丑年生まれの人とは相性が悪いので避けるようにと」
「あ~~、なら簡単だ。徐家中の丑年生まれを探してその人達は郊外の別院に引っ越して貰おう。丹陽が無事出産したら帰ってくればいい」
姥やが眉を潜めて大奥様に耳打ちした「大奥様、四奥様が丑年です」
「あー?なんだと?」
「母上、それはいけませんよ。法師の言葉が必ずしも正しいとは限りません」
丹陽も口を添えた「義母上、四姉に引っ越して貰うのは理に叶いません。噂になれば私が虐めたと思われます」
大夫人は話にならないと言うように厳しい顔付きになった。
「何がダメだ。徐家は元々家族の数が少ないんだ。胤子は何より大事だ。お前達は心配しなくていい!早く帰って丹陽を休ませなさい」
二人とも少しホッとしたように「では、失礼します。おやすみなさい」と腰を上げた。
「はい、ゆっくり歩いてね、ゆっくり~」

「大奥様、本当に四奥様を引っ越しさせるのですか?嫌だと仰ったらどうします?」
「何が嫌だ。別院に住むのは一時の事だ。永遠ではない。また戻ってくるから心配するな。
それにしてもあの子が利口ならいいが・・そうでないなら・・ふう」
十一娘を如何に納得させるか、大夫人は頭を傾げて溜息をついた。

[翌日の福寿院]
翌日、大奥様に呼び出された十一娘はいきさつを聞かされすぐに承服した。
「別院に行ってくれるのか?」
「はい、勿論です。県主が徐家の継子を産むのはめでたき事です。別院で数ヶ月住むくらい散歩に出かけるようなものです」
「物分かりの良い子で安心したわ。仏様に丹陽が安産になるようご加護をお願いしておくれ」
十一娘がここまで聞き分けが良いとは予想外だがまあ何はともあれこれで嗣子誕生まで安心して暮らせるわいと大夫人は胸を撫で下ろした。

[西山別院]
徐家の正門に初めて見る女の使用人が荷車と共に到着していた。その女と喬姨娘の侍女・繍緑が何やらこそこそと話しているのが見えた。
「繍緑さん、これ喬様が仰ってたもの、傷が全くありませんから」
繍緑はニヤリと笑い「ご苦労様、これ喬様から」と報償の金子が入った小袋を劉乳母に手渡した。
女は繍緑に「ありがとうと伝えてね」と耳打ちした。
繍緑はその女が持ってきた重たげな箱を慌ただしく運び去った。

十一娘がその女に「あれは何処で仕入れた?」と聞くと女は「奥様ですね。私は西山別院の劉と申します。奥様のお迎えに参りました。あれは主人達に頼まれ別院の倉庫から持って来たものです」
「そう、ご苦労様」
「恐れ入ります。別院の準備は出来ております。この荷が片付きましたら出発出来ます」

今の親密そうな様子と話から劉乳母は喬姨娘と主従の繋がりがありそうだと冬青は不安に駆られた。
「奥様、あの劉乳母は・・」
琥珀が「いいよ冬青、別院にいつまで居るか分からないんだから」余計な事を言わないほうがいいと止めた。

「奥様、今回は進んで行く事になりましたけど、やっぱり悔しいです」
「何が?」
「はっきりとは言えませんがこのまま行ってしまうと思うと何故か落ち着きません」
十一娘は冬青の不安を宥めた。
「ここだと面倒な人付き合いもあるし、別院に行ったらゆっくり出来るよ。あまり考え過ぎずに、、行こう」
「はい・・」
いよいよ馬車に乗る寸前で、門から陶乳母が転がり出るように降りてきた。
「奥様、奥様、奥様~」
陶乳母は険しい表情で十一娘に迫った「奥様、何故承諾したのですか?」
「徐家の継子に関わるし、何と言っても辞退出来ない」
「それはそうですが、でも今の奥様の立場は難しいんです。別院に行ってしまうときっと数ヶ月帰ってこれません。そうなると奥様の居場所が無くなるんです」
「数ヶ月くらい心配しなくていい」
「私の考え過ぎならいいですが・・こうなったらもう仕方ありません。奥様、別院は家とは違いますのでお身体を大切になさって下さい」
「安心して。冬青や琥珀も居る。諄様をお願いね」
「はい、諄様のお世話は私の仕事です。奥様どうぞご無事で」
今生の別れのような挨拶が終わって、三人は揃って馬車に乗り込んだ。