結婚9日目
[大奥様の居間]
皆がうち揃っている時に大夫人は蓮房に命じた。
「蓮房や、十一娘は嫁いで来たばかりで家の事はまだよく分かっていない。手伝ってやらないと・・」
「はい、大奥様」
「最近蜀江の錦の事で騒がしたそうだな。あの二人が騒いでみっともない・・私も悪い。事前に言わなかったから。あの牡丹模様が蓮房に似合うと思って独断で彼女に渡してしまった。まさか、こんな事が起きるとは・・・陶乳母は元娘に長年仕えてきた。大人しくしきたりを守って来て失敗した事がない。どうして急に性格が変わったんだろうね・・喧嘩を売るなんて」
(義母は私がけしかけたと思っている)
「義母上、私の管理の不行き届きです。しっかり教育をしますので」
十一娘が口答えもせず落ち着きはらっているので大夫人も頷くしかなかった。
「・・いい、ここまでだ。次は認めない」
「義母上」
先程から険しい顔付きで成り行きを見ていた丹陽県主が発言した。
「義母上はお優しいです。赦すのですか?あの周乳母を。いくら何でも陶乳母は元奥様に仕えた古顔です。確かに行き過ぎはあっても自分の主人の為です。なんなのです?あの周乳母は。説明すれば良いことを。誰が後ろ盾になってるんでしょうね。そこまで無礼に陶乳母と喧嘩なんて。懲らしめの為に板打ちにすべきです」
黒幕の蓮房の顔が歪む。
「いやいや、あの歳だし。ああ、こうしよう。二ヶ月分の給金を差し引こう、そうしよう」

「あ、奥様」丹陽の乳母が小さく
興奮して喋ったせいか身重の丹陽が俯いて口元を抑えている。
「丹陽、最近ずっとそうなのかい?医者に見せた?」
「大奥様、奥様はずっとつわりが酷く、先生のお薬も効きません」
「もう、心配だわ。言ったでしょ、ここへもしばらく来なくていいって」
「大丈夫です。ご心配なく。二姉上と約束しました。慈安寺に行ってきます。
二姉上もお陰で元気になられたとか」
二義姉が頷いて「私も当時つわりが酷く慈安寺へ詣でて、帰って来てからは良くなりましたから・・」
「なら行っておいで。丹陽、さあ早く部屋に戻っておくれ」
その時、蓮房の唇にうっすら不可解な笑みが表れて消えた。

[西跨院]
冬青はまたもふくれっ面をしていた。
「奥様!大奥様は喬姨娘を贔屓し過ぎです。喬姨娘の為に尊卑を弁えないなら奥様は皆からどう見られるんでしょう。本当に胸が悪いです」
琥珀も危機感を感じていた「奥様、喬姨娘は大奥様のお陰で勢いを得ました。何とかしないと今後抑えが効かなくなります」
さっきから下を向いていた陶乳母が悔しそうに口を開いた。
「私が悪いんです。目に物を見せてやろうとしたのに逆に喬姨娘を増長させてしまいました。・・どうすればいいんでしょう。奥様」
十一娘は微笑んでいた。
「自分を責めないで。心配は要らない。勢力を得るとか得ないとか、私には利がない。気にしなくていい」
「気にするなと仰っても無理です。羅家が苦労して奥様を嫁がせたのは何の為ですか?
お忘れではないでしょうね。ただの妾にも勝てないなら諄様は一体どうなるんですか?」
「安心しなさい。自分のやるべき事は分かってる」
陶乳母は全く納得していなかった。
奥様がそうしてのほほんとしているから皆に馬鹿にされ、ひいては諄様の世子の地位が脅かされると言うのに。
自分の仕出かした不始末も一時忘れ、十一娘がこの際喬姨娘の追い落としに躍起になってくれていたらと歯痒かった。

[半月畔]
令宣の書斎
令宣が筆を走らせながら照影に尋ねた「今日、十一娘と喬姨娘が大奥様に叱責された事とはなんだ?」
「は、喬姨娘が勝手に奥様の錦を貰ったのです。ですが大奥様はそれを認めたらしく、陶乳母が納得出来ずに周乳母に喧嘩を売ったのです」
令宣がぴたっと手を止めて顔を上げた「喧嘩を売った?」
「あ、はい、皆が見てました」

半月畔に現れた喬姨娘は早速仕立てた恩寵の錦で身を飾っていた。
念入りに化粧を施し結い上げた髪に手をやる。
「どう?綺麗?」
「牡丹の模様が相応しいのは喬姨娘だけです」
「旦那様は気にいるかしら?」
「天女よりお綺麗ですよ、旦那様もきっとお気に召すはず」
「今度こそ私を見直してくださるわね!」

使用人の声が知らせた「喬姨娘のお越しです」
噂をすれば、だ。
令宣と照影は顔を見合わせた。
照影に命じた「通せ」
「喬姨娘どうぞ」
しゃなりしゃなりと音がしそうな歩き方で喬姨娘が入ってきた。
「旦那様…」
令宣がじっとその絹に視線を注いでいるのが分かる。
蓮房は有頂天になった。
錦の牡丹の柄が殊更よく見えるようにと舞うように身をくねらせた。
「旦那様は公務に打ち込んでおられますが体調を崩さないで下さいませ。湯(タン)を作って参りました」
繍緣がよそった器を優雅な仕草で持ち、令宣の真横まで近寄ると匙を取って令宣の口元に運ぶ。
「旦那様、熱いうちに…」
令宣はその匙にも蓮房にも目をくれずに言った。
「心の五毒を知っているか?」
思いもかけない質問に喬姨娘はうろたえた。
「貪、瞋、痴、慢、疑、が心の五毒と言われています・・どうしてこれを?」
「心に五毒があり欲が多いと自分に見合わないものを求めてしまう・・・その服は二度と着るな」
予想もしなかった言葉に蓮房は狼狽えた。
「・・・はい、旦那様・・着替えます」
「二度目はないように」
「・・はい」
蓮房は完全に打ちのめされその声は消え入りそうに震えていた。
[喬姨娘の部屋]
蓮房は茫然と座っていた。
一度流した涙が乾くや、やおら裁ちばさみを握り牡丹が美しく浮き上がる恩寵の錦を刻み始めた。
「姨娘!何をなさるんですか!お止め下さい!怪我をなさいます。(恩寵の錦を切るなど)旦那様に知られたら喬様が叱られますよ!」
「ワアーーーーーーっ」絶叫が辺りにこだまし、錦が床に投げ出された。
「私は、私は、彼の歓心を得るために誇りを捨てて妾にまでなった・・なのに、どうして私を受け入れられないの?!」
乳母に縋り付き泣きじゃくった。
「彼に分かって欲しい。私こそがこの服に最も相応しい人。彼に最も相応しい相手・・」
慟哭は続く。
「でも彼は心の五毒で私に警告した・・一体、何が悪いの?」
乳母が喬蓮房の背を優しく撫でながら答えた。
「喬様、喬様は何も悪くありません・・悪いのは羅家のあの庶女です。あの女が喬様の地位を奪ったのです」
そうよ。悪いのはあの庶女
あの庶女さえ居なかったら私は旦那様の正妻だった。
乳母のその言葉に蓮房(レンファン)の表情は哀しみから闘志へと変わっていった。
「・・その通りだ。もし、私が正妻だったら旦那様は私を粗末にしない。だから、私は絶対正室になる!」

西跨院]
十一娘が読書していると琥珀の声がした。
「旦那様のお越しです」(なんだろう?)
令宣がつかつかと入ってくる。
「旦那様、どうしてこんな時間に?」
令宣は不機嫌さを露わにした。
「用がなければ来てはいけないのか」
冬青がお茶を運んで来て十一娘に渡し、十一娘が令宣へ渡す「旦那様お茶をどうぞ」
令宣の様子がおかしい。不機嫌にじろりと十一娘を見ている。
「蜀江の錦の件を聞いた」
(なんだ、その話か)
「お前は徐家の奥様だ。使用人に誤魔化されてはならない」
「侯爵家に嫁いだばかりで虎の威を借ることも出来ません」
嫌味を返されて令宣がムッとする。
「でも旦那様、御安心を。他人がいざこざを起こさなければこんな事は二度とありません」
「今の態度を他人にも使えば虐められることもなかろう。もうすぐ陛下の狩猟に付き添い家を留守にする。大人しくして寝た子を起こすな」
「寝た子を起こす?」十一娘がぴくりと反応した。
「すみませんが旦那様、何処が悪いのです?」
「少し不満があれば使用人の喧嘩を指示し、騒ぎを起こし家族の仲を傷つける、これは悪くないのか」
「旦那様はどうして私が指示したと?陶乳母が認めたのですか?」
「陶乳母はお前の配下だ。彼女がやった事はお前に関わる。それくらい分かるな?」
「配分が違うのは事実!喧嘩の指示は嘘!旦那様は調査もせずに決めつけ私を叱責しました。そのような濡れ衣、わたしは到底納得出来ません!」
「・・・」
令宣は持っていた茶碗をガシャリと音を立てて机に置いた。