[羅家家族との食卓]
婿を迎えて食事が供される食卓。
大夫人が十一娘に先ず婿にご馳走を勧めるように声を掛けた。
「十一娘、令宣殿に我が家の准揚料理を味わって貰って」
十一娘は魚を揚げ餡を掛けた料理を自分の箸を使って令宣の皿に取り分けた。
「これは松華魚です。お召しあがりになって」
「頂こう」
新婚夫婦らしい食事の会話に座の雰囲気がふと和らいだ、その時。
突然、二娘がメソメソと泣き出した。
全員が何事かと注目した。
「長姉が一番好きなのはこの豚肉団子の醤油煮。つい大姉を思い出して・・」
目頭を押さえる二娘。
「あ、令宣殿、十一妹失礼しました。気持ちが抑えきれなくて・・」
いくら姉妹とは言え、よもや新婚ほやほやの夫婦を囲む食卓で亡き前妻の話題を敢えて持ち出すとは元娘の実母の大夫人でさえ苦い顔をしていた。
二娘の話はそれで終わらなかった。
蓮根の料理を十一娘に取り分けてやりながら「貴女の好きな蓮根料理。あなたが好きだと呂姨娘が教えてくれました・・」
予期せず亡き母の名前を挙げられた十一娘は動揺し箸が滑って汁が令宣の膝の上に掛かった。
とんだ粗相にしきりに謝りながら令宣の膝を拭いていた十一娘の頭上に鋭い羅大奥様の硬い声音が突き刺さる。

「この家を出る時、お前に教えた筈だ。夫は妻を制御出来なければ家は乱れる。妻は夫に仕えなければ義理は失われる。主母として色々と気を付けて身を引締めるべきだわ。どうしてこうもうっかり粗相をするの。これでは主母の責任をどう担うのです。これだから相親家(嫁婿の実家・この場合は徐家)はお前を信用しないのよ!」

厳しく十一娘を叱ると同時に返す刀で令宣と徐家に切り込んだ。
主母十一娘が妾に負けて家計を任されなかった事に対する恨みつらみが一気に噴出した。
十一娘はこの問題がこうまで大夫人の怒りを招いた事に耐えなければならなかった。
令宣は令宣で責められているのは己だと自覚していた。
元娘と約束した十一娘の顔を立てるという前提が早くも崩れていた事に腹を立てていた。
この気不味い雰囲気の責任は誰にあるのか。
他でもない自分じゃないか。
せめてこの場だけでも収拾するのは自分の役割だ。
「お義母さん、ご安心下さい。十一娘は優しく品格も整っており家族の者は皆彼女を気に入っております。もし間違いがあれば母が自ら指導しますので・・」
十一娘は助け舟に感謝するよりも咄嗟に感じた。
どうしてこの人は私を庇うのだろうか…。
第一家事を担わないように工作したのは自分なのだ。
気まずさが頂点に達した時にさすがは気遣いの兄が割って入った。
「母上、我々はもう昨日からお腹を空かしてここで待って居るんです。もうお腹がぐうぐう鳴ってますよ。これ以上お話が長引いたら我慢できませんよ」
夫人は怒りの矛を収めるしかなく、今のやり取りにも介入せず沈黙していた隣の夫に向かって「何を黙ってるんですか?」と咎めた。
妻から尻を叩かれ夢から醒めた如く手を広げて言った「お?ああ、さあ!みんな食べなさい、食べなさい・・」
そこでやっと皆が箸をとり再び食事が始まった。

[帰路の馬車]
帰り道、冴えない表情の二人を乗せた馬車の中は、馬の蹄の音と街の喧騒だけが響いていた。
ちらと令宣のほうを伺った十一娘はそこに浮かない顔付きで何かを考え込んでいる夫の姿を見た。
小さく溜息を漏らした十一娘はこのつまらない空気の淀む馬車から視線だけでも解放したいと願って帷をはねて外を見ていた。
すると突然令宣が口を開いた。
「喬姨娘が家事を握っていることを気にしているなら何故家で言わないんだ」
十一娘は令宣を振り返り言い返す。
「旦那様、私が嫡母に何か言ったと疑っていらっしゃるんですか?」
「話し合えば色々解決出来るのに何故お前達はこそこそとしてるんだ?」
「お前達?」十一娘は聞き咎めた。
「お前達、つまりそれは私以外に亡き長姉や義母の事も指して仰ってますか?私の事は指摘されても構いません。但し、故人を責めるのはお止め下さい」
そして、きっぱり顔を背けるとまた再び帷の外を眺め始めるのだった。
令宣は内心舌を巻いていた。
何故いつもやり込められてしまうのだ。
確かに今のは失言だった。
それをバッサリと指摘されてばつの悪い思いをしてしまった。
十一娘の理屈は屁理屈ではない。
いつも理路整然としていて手強い。
うっかり叱ると反撃されて却ってこちらの歩が悪い。
十一娘は年こそ若いが非常に知的で頭の回転が速い。
春日宴での出来事を元娘と彼女の企みだと安直に考えていたが果たしてそうなのか。
彼女の頭の良さから見てすぐに底の割れるような企てを謀る浅はかな娘ではなさそうだ。

馬車は徐家の門に帰着した。
降りるとき、令宣はまだ厳しい顔が直らなかったがそれでも貴公子らしく律儀に手をさしのべた。
が十一娘はまだ馬車内の行き違いを腹に収めた訳ではなかったらしい。
チラとその手を見たがふいっと自力で降りてしまった。

令宣は当然面白くないのを態度で示した。
「処理すべき公務がある。先に戻ってくれ」
「え?」と驚いて声に出したのは後ろに控えていた照影の方だった。
「旦那様、聞き間違いでしょうか?今日は特に公務はないと・・」
そう言いかけたが令宣がじろっと睨んだので言葉を飲み込んだ。
その様子を見つつ、十一娘は夫に余裕の笑顔を向けた。
「お好きにどうぞ!」
膝を曲げ挨拶すると冬青と琥珀を引き連れてさっさと門の中に入ってしまった。
(なんだ、あれは。。)
令宣は結局彼の言葉通り屋敷に入らずそのまま兵営へと向かうしかなかった。

練兵場で武器をぶんぶんと振り回す令宣。むしゃくしゃしたものを胸に抱えた時はこうやって身体を動かすに限る。
相手に指名された照影はもう腰がひけてびびっている。こんな旦那様はいやだ。
蛇に睨まれた蛙のように縮み上がっている照影を向こうから副将の臨波がニヤニヤしながら見ている。
近づいてくると照影に助け船を出すどころか要らぬ口出しまでする。
「徐殿、照影はすっかり準備が出来ていますよ。さあ、始めましょう!」
「来い!」
視線をしかと照影に向け武器を構える令宣。
「・・・う、うわ~~~~~~」
照影は言葉にならない叫びを上げ武器を放り出して一目散に逃げていった。
その逃げ足の速さよ。
「徐殿、あの者は昔からあの業しか出来ません。斥候にならないと勿体ないですね」

「ところで、今日は回門の日なのにどうしてここへ?」
「お前に言う必要があるのか?」
「それだけ気に掛けていると言うことです、、それで新しい奥様はいかがです?」
「辛辣で、弁が立つ。大胆極まりない」
「そんな風に女子を評するのは初めてですね。やはりただ者ではありませんね」
「私が、いつ他の女子を評価した事がある?」
「徐殿は前回、埠頭で劉御史の娘(※)の事を齢十八、教養礼儀あり容姿美艶って・」
「・・その他には?」
「すみません!徐殿、私にその縁談を回さないで下さい!」
(※劉御史の娘=年齢24で不細工で短気な性格)

臨波はその幼い頃から実の弟同様に接して来た。
隠し事はない。
「彼女と縁を結んだのは本願ではない。元娘の願いを叶えてやりたいだけだ。各々自分の勤めを果たし安全で無事であればそれでいい」

[その夜の西跨院]
灯の下で刺繍に熱中していた十一娘は目に疲れを感じて目頭を指で揉んだ。
「冬青、もう休もう」
「奥様、もう少し旦那様を待ちませんか?」
「今日彼は帰って来ないよ、もう寝よう」
冬青は不承不承頷いた
(あ~あ、旦那様が来ないと妾達に見下されるじゃない・・)

~結婚四日目~~
[文姨娘と秦姨娘]
文姨娘は秦姨娘を呼び兄から送って来たという菓子でもてなしていた。
勿論昨日仕入れた令宣と十一娘の話題を口にしたくて仕方がないからだ。
しきりに菓子を勧め「聞いた?旦那様達が羅家から帰ってきたら、二人の関係が悪くなったんだって。昨日も西跨院に行かなかったし。半月彡半で休んだし。きっと、旦那様と羅家の人のあいだに何かあったはずよ。まさかもう寵愛を失うとはね、話にもならないわ。前の奥様と比べたら程遠いわね」
「今度の奥様はとても良い方だと思うわ。前の奥様より付き合いやすい」
そう聞いても文姨娘はまだ馬鹿にしたように笑っていた。
「付き合い易くなかったらもっと痛い目に合わされるからね」
「・・・」
秦姨娘の沈黙はけして同意ではない事だけは文姨娘にも分かっていた。
菓子を勧めて話を逸らせた。
「これ、美味しいわ、食べてみて、、」

[大夫人と息子の会話]
大夫人が居間で読書していると令宣が入ってきて、そっと本を取り上げた。
「目を休めてください」
「分かったよ」
「令宣や、お前朝から晩まで公務に忙殺されて、折角の休みを何故私のところへ来るの?
この家の者は皆お前を頼りにしてるんだ。彼女達のところへ行っておあげ・・」
「母上、彼女らにとって私は勢力争いの道具でしかない」
「よしなさい。確かに寵愛を争ってはいる。けれど愛していない訳がない。お前は彼女達にとって唯一の拠り所なんだよ。放っておく訳には行かないじゃないか」
「母上、安心してください。心の中に天秤を持っていますから」
頷く大夫人。「早く行っておやり」
母を安心させるのは孝行だが、心の中で反論していた。
(母は彼女らが寵愛を争っていると言うがそうは見えない、、殊に彼女は違う。十一娘は寵愛を得ようとする素振りもないからな)

母を納得させる為とは言え、彼女達のところへ御機嫌伺いに行くのは令宣にとって公務より疲れる厄介ごとだった。
公務のほうがどれほど充実している事か。
そう思うと自然と溜め息が出る。
母屋と妾達の居所を隔てる庭園に向かう令宣の足取りは重かった。