海禁解除]
令宣の書斎
令宣は同僚の範緯綱公と酒を酌み交わしながら今朝の会議について話していた。
「範殿、半年前に斬首された東南総督の胡殿を覚えていますか」
範緯綱は苦悶の表情を浮かべた。
「勿論忘れられない。私の恩人なのに助けることが出来なかった。ご息女を教坊司に行かせたが、私にできることは、あまりない」
本来政治犯の家族ならもろともだが妓女に身を落とす事で斬首刑を免れさせたのだ。
裏から手を回し身体を売らずに済む半玉に留めさせている。
「胡殿が亡くなった後、靖遠候爵は門南郡指揮使の従兄弟を通じて間接的に東南の軍務を管理している。この時胡殿に鎮圧されたはずの海賊達が再び盛り返したのだ」
「・・と言うのは海賊の件と胡殿の死は区家(靖遠候爵家)と関わっていると?」
「一年前、海賊江槐劉勇が私の兵営から逃げた。その時から海賊と結託した者が朝廷にいると疑いを持った。しかし、その後劉勇も兄弟も亡くなり手掛かりが失われたのだ」
「分かった。今日徐殿がわざと海禁の話を持ち出したのは敵をおびき出す為だな?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
「ただ、お気をつけよ。自らに災いを招く事になっては・・」
「十分考えたので安心を。しかも今日既に効果が見え始めた」
「効果が?どういう意味だ?」
「今日の衛国公は意外に沈黙していた。多分胡殿の死に疑いを抱えているからだ。胡殿とは親友の間柄なのだから」
「確かに。以前の衛国公爵なら海禁解除に反対せぬまでも祖訓(明初代皇帝の遺訓)に遠慮してこの話題を避けていた。なのに今日は海禁解除の利点に触れた。今も中立を保ってはいるが微妙に揺らいでいそうだな」
「我々は胡殿の件を切り口に衛国公に接近出来るかも知れん。そもそも陳腐な人間ではないし情に訴えると同時に道理で説得するならば国公も納得してくれると思う」
「いい案だ!衛国公は盧妃の兄弟で陛下の親戚だ。陛下に重視されている。彼の支持を得れば大きな助けになる」
「その通りだ」

その夜、照影が令宣に尋ねた「旦那様、今夜はどちらにお泊りですか?」
「明日は帰寧の日だ。西跨院に泊まる」
〇帰寧日・・婚儀の日から数えて三日目に当たる日、夫婦で妻の実家に帰る慣わし。

[西跨院の攻防]
冬青がそわそわしている。
「どうしたの?」寝巻姿の十一娘が尋ねた。
「こんなに遅くなっても来ないなんて・・!新婚二日目でもう旦那様が来なくなったら(妾達になんて言われるか)」やきもきしていたその時、
琥珀の声がした「旦那様のお戻りです」
部屋には湯を注いだ風呂桶が準備されていた。
二人いそいそと部屋から出ていく。
『え?来たの?』
無言で入ってきた令宣が風呂を見てやはり無言で手を広げる。
『ん・・?・・』訳が分からない。
戸口から冬青が服を脱がせろとゼスチャーで示す。『あ、そうか、服ね』
けれど男の服など今までまともに見たこともなければ無論脱がせた経験もない。
令宣に触らず距離を取ろうとするのでやり難いことこの上ない。
令宣が呆れて尋ねた。
「疲れないか?」
「いえ、大丈夫です!」
微妙な距離を取りながらぎこちない手つきで悪戦苦闘しながらやっと上着を取り去った。
疲れた令宣が「後は自分でやる」と言ったのでこれ幸いと離れる十一娘。「では、ごゆっくり」
「まて!湯の温度を確認しろ」
十一娘、手をぽちゃんと浸ける。
【あっつ!】無茶苦茶熱い。誰が入れたのか。
「・・適温です」
念の為自身の手を浸けて驚く令宣【あっつ!】
「これが適温なのか」
「この程度が我慢出来出来なければ家を治めるなど出来ましょうか・・
しばらくしたら冷めますから」
出て行こうとすると後ろから襟首を掴まれる。
「これが我慢出来るなら、お前が入れ」
「いえいえ・・埋めさせます、、冬青~!冷水を・・」
昨夜に引き続きまたもやぎこちない夜が訪れる。
はっ!
旦那様の手が私のほうに伸びてくるじゃないか!
ギョッとして反射的に起き上がってしまった。
「何故起きてるんだ」
「寝付けなくて・・読書でもしたいです」
「なら、暖閣で寝たらいいだろ?」 
素知らぬ顔で布団にくるまる令宣殿。
「!」・・・どういう事?布団もない暖閣で寝ろと?
ちょっとムカッとした。
「わかりました!」
わかりました!そっちがそう来るなら。
令宣が被っている掛け布団をはぎとり暖閣のほうへ持ち去った。
令宣があっけにとられている。
「おい、その布団を持って行かれたら私はどうするんだ」
「旦那様、この布団は薄いので今琥珀に厚いのを持って来て貰います」
「・・・」
翌早朝、令宣が起きると暖閣には布団も掛けず寝巻だけで横たわっている十一娘がいた。
本を読みかけて寝てしまったようだ。
令宣は十一娘に布団を掛けてやった。
新しい生活で他人の中に放り込まれ気苦労ばかりで疲れたのだろう。
顔を合わすと反抗的な態度で小憎らしいが、髪を下ろして眠りこけている彼女の顔は罪のない16歳の少女のままで、昨夜の子供じみたやり取りが思い出されて我知らず笑みが漏れた。

冬青の何度も起こしている声が聞こえる「奥様!」
「奥様、起きて下さい」
「ん?旦那様は?」辺りを見回している。「旦那様は朝参に行かれました・・・。どうしてこちらで寝てるんですか?」
「何だか寝付けなくて」
冬青はしかめ面をしながら「嫁いで来たばかりで一緒に寝ないなんて旦那様に怒られなきやいいですけど」
「彼に寵愛されたいとは思ってないの。彼の身分や財産も求めないし、彼の機嫌が悪くなっても私とは関係ないの。真犯人を見つけ出したらここから出て行くから」
冬青は納得のいかない顔をした。
朝議]
宮中での分団の朝議が終わって大臣高官達が次々と出てくる。
区家長男の励行も舅の大臣の機嫌を取り結びながら出てきた。この妻の実家の父こそ朝廷で海禁支持派の最も心強い味方として区家を支援して貰っている。
その後距離を置いて厳しい顔つきの衛国公が一人出て来た。朝廷の重臣でありながら誰とも馴染まず唯一無二の友であった胡総督が冤罪により斬首されてからというものいよいよ孤高を貫くようになってしまった。
令宣は範緯綱と共にその衛国公に声を掛けた「国公殿、もうすぐ陛下主催の狩猟大会が行われます。今年も国公殿が優勝されるでしょう」
「・・一人勝ちなど、、競争価値も無い。何が面白いのだ?」
衛国公は視線をそむけて去って行った。

その後ろ姿を見ながら範緯綱は辛そうな顔をした「例年、衛国公と胡総督が優勝を争っていたのだ。楽しかった思い出のはず・・」
「先程の国公の口ぶりでは依然として胡殿の死を納得していないな。陛下の意思に異議を持っているだろう」
「同感だ」
「範大人、我々はこの狩猟の儀を機会に衛国公に海禁の件を持ち掛けてみないか」
「そうしよう」
[里帰り]
十一娘は部屋でやってくるはずの令宣を待っていた。ちゃんと寝台で寝なかったせいで眠気が差してくる。
気付かず大あくびをしていたら令宣が入ってきた。
ぴょんと立ち上がって澄ました顔で挨拶したがもう遅い。
大きい口を開けていたのを見られてしまった。
「・・旦那様」
「暖閣の床が硬すぎたか?」
「旦那様が良く寝られたなら何よりです」
笑顔で負けていない十一娘。
「返礼の準備は出来たか」
「既に準備出来ました」
その時琥珀の声が「羅様がお見えになりました」と知らせてくれた。
しきたり通り実家から兄が迎えに来てくれたのだ。
兄振興が実家からの土産を持ち大夫人に挨拶を済ませた後三人は揃って羅家へと馬車を連ねて向かう。
羅家に到着したら先に降りた令宣が夫らしく十一娘に手を差し延べる。
実家の前で拒否するのは流石にまずいので十一娘はちょっと躊躇しつつ彼の手を借りて馬車を降りた。
屋敷に入り舅姑に礼法通り回鶯の挨拶を行うや否や、十一娘だけ夫人から別室に呼び出されてしまった。
十一娘が主母として家事の実権を握れなかったことは既に羅家に筒抜けになっていた。
羅大夫人の怒声が十一娘に炸裂した。
「庶女はやはり庶女!」
「元娘があれ程手配したと言うのにこれ程お前が不出来とは!」
忿懣やる方ない羅大夫人は怒りが収まらない。
「側女に主母の権力を奪われるとは!」
「申し訳ありません、母上を失望させました」
振興兄の妻が執り成してくれた。
「義母上、喬姨娘は1年も早く嫁ぎましたから、それに大夫人の従妹の娘です。十一妹が徐家の信頼を得るにも多少の時間は必要です」
「帰ったら陶乳母の言う事をちゃんと聞きなさい。主導権を取り戻すのだ。喬姨娘に先を越されたら、まして産子でも出来たら後々どんな事をされるか分からないのか。主母の権力は元よりお前の名分も保てないのだ」
「はい、肝に銘じます。必ず謹みます」
「謹んだだけで何になる。喬蓮房が主導権を握り後手に回れば制御される」
まだ小言が続きそうな気配だったがそこへ二娘と五娘が来た。
二人共この場の険悪な空気を察していた。
「お前達姉妹はなかなか会う事もないから後は任せる。十一娘、私の言う事をよおく覚えておきなさい」
「はい、母上ご安心下さい。陶乳母の言う事をよく聞きますので」
優しい五娘はこの重苦しい雰囲気を何とか和ませて十一娘を慰めようと心を配った。
「十一妹!候爵の奥方になったら雰囲気も変わってきたわね!」
「この衣装素敵だわ!装飾品も、ねえ二娘、見て、こんな指輪も見たことない」
・・二娘はまるで無関心な様子で座っていた。
「姉上ほどではないわ、寵愛されているんでしょうね」

五娘は二人の会話を黙って聞いていたが
視線を落とした弾みに見えた自分の手首にギョッとして慌てて袖に隠した。
夫に振るわれた暴力の跡が浮き上がっていた。