別の夜]

その夜、喬蓮房は大夫人の傍に座を占めていた。

令宣の正式な婚礼の夜なのだ。

嫁いで後、訪われる事もなかった蓮房はさぞ心を傷めているだろう。

大夫人は蓮房を慰めることに心を砕いていた。

「令宣はこのところ忙し過ぎてお前を構う暇がなかったなあ」

「旦那様は国と皇帝陛下の為に尽くしておられるのです。蓮房は我が儘を言って旦那様を困らせません」
「いい子だね、蓮房。安心おし。私が令宣にお前を大切にするように言ってやるから」
「大奥様にこんなに大事にして頂いて蓮房はもう十分幸せです」
こんなに健気で申し分がない蓮房を待たせるなんてと薄情な息子に大夫人は溜息をつき目を閉じた。

蓮房は部屋に戻るあいだ乳母に不安を漏らし続けていた。
「あの庶女が嫁いでくる前に旦那様の心を掴もうとしていたのに
旦那様はこの一年家に帰って来なかった・・そうこうしているうちにもうあの庶女が来た・・もし、もしもよ?あの庶女が旦那様に愛されるような事になったら私はどうなるの?!」
「旦那様は他の妾も皆冷遇なさってます。前の奥様が亡くなる前から疎遠でしたよ。玲瓏たる蓮房様にさえ振り向かないのに、あんな庶女、喬様とは比べものになりません。知識、教養・・。旦那様の目にも留まりませんよ。旦那様は分かってらっしゃいます。そもそもあの庶女が正室になれたのは前の奥様の仕業ですからね」
乳母のお追従に簡単に機嫌を直した蓮房は存外単純なところがあるようだった。

[また別の夜]
茂国公家では世継王煌の妻二娘が鏡の前で切ない溜息を漏らしていた。
酒乱の夫は今夜も遅い。遅いほうが助かる。
「今夜は永平候と十一妹の初夜・・」
「本当ならわたしだった、私と永平候爵とのはずだった・・」
「奥様もうお止め下さい。忘れてください」
「忘れられるはずが無いわ!・・元はと言えばあの十一妹が横取りしなければ!・・」
自分が仕掛けた罠を棚に上げる二娘。
臍を噛む二姉の耳に聞き慣れた大きい唸り声が聞こえる。夫だ。夫が帰って来た!
泥酔したワンは酒の臭いを撒き散らし大声で何かを喚きながら寝台に倒れ込んだ。
夫が倒れ込んだ枕元を見て二娘はハっと肝を冷やした。大事にしている金の簪が落ちている。
二娘が何より好んでいるのが腕輪や簪といった装飾品。
この夫は素行が悪い上に金遣いも荒い。ふんだんに親から与えられる小遣いはすぐに使い果たし、家にある金目のモノを持ち出しては遊ぶ金に替えていた。
二娘はそおっと腕を伸ばして簪を取ろうとするが、ガッと目を見開いた夫に見つかってしまった。お宝を見つけた酒乱夫は赤らんだ顔にニヤリとした笑みを浮かべ懐にしまおうとする。
「か、返して!それは私の嫁入り道具です!」
「なんだとお!俺に逆らうのか!」
酒乱男は二姉の細い腕を掴み手を振り上げた。
・・・その後部屋は阿鼻叫喚の地獄と化してしまった。

[令宣と十一娘の朝]
早朝、令宣が目覚めると目の前に十一娘の顔があり右腕は令宣の上にのびていた。
昨夜の様子では大人しく自分に抱かれるつもりはないようだ。
今見ると子供のように無防備なのは自分の事を信用しているからなのか・・それとも姉の遺言通り諄の世話をする事だけが目的でわたしには無関心なのか。
一先ず、形だけは夫婦となったのだから彼女が波風立てず自分の勤めを果たしてくれればそれ以上何も言うまいと令宣は決めた。
亡き妻との約束をきっちり守った。
責任を果たした自分に満足している。
そもそも出会った時から反発ばかりしている娘だった。喜んで嫁いで来たふしもない。

けれど、この反抗的な娘との奇妙な結婚が一概に嫌だとも思えないのは何故なのか。
令宣は自分の心持ちが不思議だった。

彼女の手をそっとどけようとすると目があいた。驚いて手を引っ込めている。
びっくりしたか?と問うとそれでも口だけは達者で「いいえ・・お早いんですね」などと言う。
「まだ早いから休んでていい」そう言い残して離れた。
表に出たら侍女二人が立っていたので「奥様はまだ休んでいるから邪魔をしないよう」言い付けておいた。

[姑への挨拶]
それでも寝てはいられない。
翌朝1番にすべきは姑への挨拶だ。
琥珀は奥様として恥ずかしくない衣裳だと言って嫁入り道具のうち1番豪華な紅い着物を出して来た。
「大袈裟過ぎるわ。羅家はそんなお金持ちの家じゃないのよ、もっとわたしらしい落ち着いた着物で良いのよ」
琥珀がとり替えに行こうとするのを遮り
冬青が「奥様の好みを知らないでしょ?」と箪笥から白い着物を取り出して来た。
冬青は琥珀を牽制した。
「奥様のお世話は私一人で十分だから、あなたは庭のお掃除でもしててよ。怠けないでよね」
「冬青!待って。琥珀にはお前と一緒に傍で仕えて貰うわ。琥珀、よろしくね」
冬青の隣で控えめに微笑んでいた琥珀が「はい!」と元気に返事をした。

琥珀が部屋から出ていくや否や冬青がむくれて口答えをした。
「何故なんですか?琥珀は羅家の大奥様の回し者ですよ」
「彼女はそんな悪い人ではないわ。それにここでは一人でも味方が欲しい。力になって貰いたいのよ」
陰から信頼の言葉を聞いた琥珀は「奥様はやはり心の温かな人ね、必ずお役に立ってみせます」と心の中で呟いた。

羅家の広間では喬姨娘(喬蓮房)が先んじて諄と遊んでみせていた。
他の妾は追い出されても蓮房だけは本当の娘のように馴れ合い常に大夫人の傍近くに立っている。
正式な奥方のような僭越な振るまいも大夫人が許しているのだから誰も逆らう者は居ない。

「十一娘が大奥様にご挨拶申し上げます」
大夫人は「良い」と応え、「気に入りのものがあれば使いなさい」と姥に頷くと装身具の入った箱を持ってこさせた。
十一娘は感謝して受け取った。
そして、蓮房を紹介し「これから仲良くしなさい」と命じた。
薄く笑みを浮かべた蓮房からは底意地の悪い敵意が発せられていたけれど。

十一娘は始めから終わりまで微笑みを絶やさずにいた。
喬蓮房。姉と私への恨みがある分、他の二人より悪意が強いだろう。
でもわたしは十一娘。ここに来た目的を果たすまで無益な争いはしない。

【家事の采配】
大夫人が「蓮房と仲良く」の次に十一娘に伝えたのは「主姆」として家事を司どる役目の件だった。
元娘が亡くなってからその役目は五弟の妻・旦陽(タンヤン)県主に任されていたが旦陽が妊娠した為、家事の采配は大夫人の信任で蓮房に任されていた。
ただ、正式な奥方が嫁いで来たのでその役割は当然十一娘に委ねられる。
蓮房は帳簿や鍵束の入った大きな箱を部屋から運ばせていた。
十一娘には心算があった。
母の敵を打つことがここに嫁いで来た主目的。成就した暁にはこの徐家もきっぱり出る。
なるべくなら早くその目的を達成したい。
その為には余計なしがらみや役割は引き受けないほうが得策。
幸いここには正室気取りの蓮房がいるから余計な家事に時を浪費せずに済む。
「私はまだ慣れませんので荷が勝ちすぎます」
振り向いた蓮房の目がキラリと光る。
大夫人は当初から『庶女などにこの大きな屋敷の主姆が務まるものか』と考えている。
と、そこに屋敷の若い侍女が姥やに引きずられて来た。
「大夫人、この侍女は恩寵(皇帝から恩賞として賜った)の錦を盗みました!」
侍女は激しく身もだえながらお許し下さいと泣いて謝っていた。
旦陽「いい度胸だね、恩寵の錦を転売するのは重罪よ!」
「大奥様、五奥様、どうかお許し下さい!」
「この始末をどうするかね・・十一娘、お前ならどう処置する」
「母上、この者に質問があります」頷く大夫人。
「どうして錦を盗もうとしたのだ?」
「奥様・・、母が重い病気に罹り、治すには高価な薬が必要です。けれど私には買えません、どうする事も出来ずつい魔が差して盗んでしまいました。恩寵の錦だとは知りませんでした!本当です」
「母上、この者は孝行の為に罪を犯しました。ですから板20回でどうでしょうか」
大夫人は今度は蓮房に向かって同じ質問をした。
「大夫人、罪を犯した者に罰を与えなければ家憲は飾りになってしまいます。それでは下の者に示しが付きません。ここは規則通りこの者を売り払うのが妥当かと」
薄い笑みさえ浮かべ情け無用で断罪しようとする蓮房の意見に十一娘の心が痛んだ。
羅家で散々苦しめられた大奥様のやり方・・。
「蓮房の言う事がもっともだ。誰か!この者を売っておしまい!」
「どうかお願いします売らないで下さい」「母には私しかいないのです」「大奥様!」泣き叫んで赦しを乞う侍女。
そこに「お義母様」二姉の穏やかな声が響いた。
「それでは、こうしたらいかがでしょうか。この者は一先ずここから出し郊外の別棟に移すと言う事に。」
(さすがだ)十一娘はそう思った。
二姉はこの家の屋台骨だった亡き大旦那様の跡継ぎ二兄の妻。
夫亡き後もこうして大夫人の片腕のように控えて久しい。
二姉の提案に、先程は蓮房の意見に同調していた大夫人も頷いた。
「そうしよう」
「有難うございます!大奥様、二奥様」侍女は売られる罰を免れて命拾いをした。
「だが十一娘、この家の家事を司さどるのは家訓を学んでからと言う事にしよう、それまでは今まで通り蓮房に任せる」
蓮房は口では謙遜していたが、
心で十一娘を蔑んでいた
『ふふ見た事か。大夫人が庶女を認めるはずがない。大奥様が認めているのは高貴な出で嫡女のわたし、皆の前で恥をかいたわね』
十一娘はそれでも微笑みを絶やさなかった。
やりたいならやればいい。
蓮房がすればいいわ。事が片付けばここを出るのだからこの家の権力争いなどくだらない。
「大夫人、見つかりました!盗まれた錦です」
広間に運ばれてきた見事な絹織物は二本あった。
「おお、良かった良かった・・」
旦陽県主が早速目に留めて大夫人にねだった。「綺麗な錦ですね、お義母さま、私に頂けませんか」
「ああ、勿論だとも。お前の部屋に運ばせなさい」
「お義母様ありがとうございます。・・今頼めば中秋節には間に合います。でも仕立ててもこれだけの錦に見合う扇がなければ何だか寂しいですね」
蓮房「扇の刺繍なら彩繍坊がいいですわ」
「彩繍坊の模様は少ないし、もう飽きたわ」県主は取り合わない。
十一娘が声をかけた。
「旦陽県主、刺繍は少しかじった程度ですが、余杭にいた頃新鮮な図柄に出会いました。良ければお見せします」
旦陽県主が身を乗り出した「四姉は刺繍までお得意で?」
冬青がここぞとばかり口を挟んだ「奥様は幼い頃から仙綾閣の簡先生から刺繍の手ほどきを受けました。余杭では奥様の名声が轟いてましたよ」
「そうなのですか!お義母様、四姉にお願いしてはいかがでしょうか」・・・
蓮房は面白くない展開に眉をひそめた。

「旦那様のお戻りです」
大夫人の顔がぱっと花が咲いたように明るくなった。