十一娘は帰宅すると母の呂娘に今日の出来事をすべて打ち明けた。
呂娘は目を丸くした。
「元娘て羅奥様顔負けのやり手だわ」
十一娘がもしかしたら今日のいきさつから考えて
元姉が徐令宣の後妻に自分を当てようと考えているのかも知れないと告げると
「そうなれば貴女は堂々たる徐候爵夫人よ!良い話じゃないの」
と単純に喜んだ。
「でも私は嫌。候爵はもう妾を二人も持ってるのよ。今日その一人に会ったけど喰えない人だわ。それにあの国公家の娘(蓮房)が加わる。私たち今まで女の修羅場を散々見て来たじゃないの。
一人の男を共有して一生苦しむ生活なんて私は真っ平。
そんなのはわたしが望む生活じゃないわ。結婚なんてせずに自由に暮らしたい!」
「世間の男は妾を何人も持っているのよ。それに女はいつかは結婚するものでしょう?」
「結婚しない人も居るわ。簡師匠みたいにね。それに結婚しなかったらいつまでもお母様と居られるわ」
「もう!馬鹿娘なんだから」
十一娘は母の首に抱きついて温もりに甘えた。
そして、胸の内ではもう既にこの結婚から逃げる算段を巡らしていた。

翌日十一娘は仙綾閣へ行くと言い冬青を連れ馬車で出掛けた。

冬青に刺繍品を預け仙綾閣へ行かせ、自分は一人で港に向かって歩いた。

港で杭州に帰る為の船を探す為だ。


港では令宣と副将・臨波が逃げた海賊を捜索していた。

港は荷役人たちや荒くれ者達でざわめいている。

船を探す十一娘は雑踏の中に徐令宣の姿を認めた。

一人きりでこんな所を彷徨っているのを見つかれば咎められるのは目に見えている。

十一娘は慌てて身を隠そうとしたが慌てた弾みに出店の品を落としてしまった。

陶器の割れる音が辺りに響き店主が損害を弁償しろと喚き散らした。

その騒ぎに気付いた令宣達が近付いて来た。
こっそり逃げようとした十一娘を令宣が見咎めた。
振り向いた娘は紛れもなく羅十一娘。妻の妹。
「お前は!?何故一人でこんなところへ?侍女は何処にいるんだ?」
令宣はこんな危険な場所に一人居る十一娘を訝しんだ末、部下に命じた。
「臨波、羅家まで送れ」
しかしここまで来て計画を諦める十一娘ではなかった。強引な言い逃れをしてまんまと逃げて行った。
臨波は「ただ者ではないですね。さすが奥様の妹」と妙な感心をした。

さらに雑踏を進むと奇遇にも先日川から引き上げてくれた林世顕公子と出合った。
彼はこの偶然を喜んで私の船で話しませんかと招いてくれた。
「杭州に帰る為船を探している」という十一娘に林公子はそれなら自分の船に乗りませんかと提案してくれた。
十一娘が遠慮するといけないと船賃は敢えて相場の半額で手を打ってくれた。
次の一日に出港すると日時も決まっている。
これでめでたく逃亡の手筈が整った・・と思われた。

[二姉の策略]
成り行きというものは恐ろしい。
十一娘が春日宴で姉・元娘の計画に乗せられた為に
十一娘は永平令宣候爵家へ
姉の二娘は茂国公爵家へ
それぞれ嫁がせられる事になった。
そうとは知らぬ姉二娘は自分が憧れの永平候爵夫人になれると喜んでいた。
茂国公爵家の息子・王煌は都で知らぬ者はない放蕩者だ。
十一妹がその犠牲になるとばかり踏んでいたのに一夜にしてその目論見は外れた。

大夫人を探らせていた侍女から元娘と羅大夫人の計画を知った二娘は逆上した。
計画の転覆を謀り必死に計略を巡らせた。
ある夜、
二姉は酒場から出て来た王煌を待ち伏せし怪我を装い王に近付く事に成功した。
案の定、王煌は二姉の奇麗な顔に誘惑された。
二姉は身分を明かし自分を羅家の十一娘だと名乗った。
そして姉の二娘は風に当たっただけでも寝込むような病弱者だと王に吹き込んだ。

まんまと二娘に騙された放蕩息子・王煌は「とんだ病弱者を娶らされるところだった」と怒り狂った。
親に頼み込み結婚相手を十一娘に変えるよう羅家に申し込んできた。

[茂国公・放蕩息子]
羅大夫人は茂国公家からの申し出に驚いたが、断る理由もないと受け入れた。
姉の策略により、十一娘は思いもしなかった縁組を告げられる。
彼女の嫁ぎ先は茂国公家であると。
呂娘は死に物狂いで大旦那様に十一娘を嫁がせないで下さいと懇願した。
だが羅大奥様が許すはずもない。
仙綾閣へ刺繍品を売りに行ったことを責められ
呂娘と冬青を板打ち(折檻)にすることで、十一娘から自分の言う事を聞くと言わせることに成功した。

[蓮房の輿入れ]
病が癒えずかえって悪化する一方の元娘の枕元を羅家大奥様が見舞った。
茂国公家から申し出があった件を娘に語った。
「二娘ではなく十一娘を嫁に貰いたい」
理由が分からない申し出に元娘は不審がった。
「公子の姉は春日宴の時随分二妹を気にいってたのにどうして心変わりしたんでしょう」
「だが十一娘は昔から自分の考えを持っている。徐家で騒ぎを起こされたら困る。かえって良かったのかも知れないよ」
ともあれ二人のうちどちらでもよい、茂国公家に嫁いでさえくれればそれで良いと、あっさり方針転換されてしまう。
嫁げば茂国公家とその親類が諄と羅家の強力な後ろ盾になってくれる目論みは整う。

そして、喬蓮房が妾として輿入れする日がやってきた。
その日は大雨。ただでさえ気が滅入るのに。
晴れて祝える正室ではなく脇門からそっと入らされる日蔭の身の輿入れ。
気持ちが沈む蓮房だが、後添いより一足先に嫁いで令宣の心を掴んでやると言う決意だけは揺るがない。
とうの前から準備していた花嫁衣装を胸に抱きながら、これも着ることが叶わないのだと悔しさは募るが一方今夜令宣のものになれると思うと嫁げるのと同じ嬉しさに心は弾む。
母親がそんな蓮房を慰めに来る。
「まだチャンスはある。もうあの元娘の先は短い。あの世に行って羅家の妹が嫁いできても所詮卑しい庶女。お前とは比べものにならない。徐家の従姉もお前を贔屓にしているし喬家も後押しする。そのうち正室にだって・・」
「そう、わたしは高貴な生まれ!あんな庶女に負かされてたまるものですか!」

喬蓮房を乗せた花籠は永平候爵家正門に辿り着いたが陶乳母からきっちり念を押されていたのか門番は「妾は脇門から入れ」と冷たい。
雨の日だから脇門を花籠ごと入ろうとすると陶乳母が迎え出て、しきたり通り籠から降りて歩けという。
嫁いだ初日に奥様の乳母と言い争う訳にはいかない。
仕方なく蓮房はぬかるみの中に一歩足を踏み出す。
すかさず侍女達が傘を差しかけるが足袋は無惨に泥で汚れた。
陶乳母の居丈高な声が上から容赦なく響く。
「めでたい日です。傘と散々は同じ発音で縁起が悪いのです。傘はさしかけぬように」
今朝から結い上げた髪に簪に、そして紅い絹は正室の色なので桃色になってしまった輿入れの衣装もすべてがびしゃびしゃと降る雨に濡れそぼって、蓮房の惨めさは言葉にならなかった。
生まれてから人から見下されたことのなかった境遇の蓮房に酷い屈辱を味合わせた。
自ら望んで妾に堕ちたとはいえ、令宣と夫婦になれる喜びを思わなかったら気の強い蓮房も堪えられなかっただろう。
[その夜]
その夜、大夫人の広間では五弟夫婦も交え、令宣の帰りを待ちわびていた。
遅い帰宅はいつもの事とはいえ今日は蓮房の輿入れの日だ。
「兄さんは毎日犯人の追跡と捕縛に明け暮れているからきっと忘れたのかも知れません」
「蓮房は身分も高くきっと令宣と親しくなれる。お前達のように仲睦まじくなってくれると良いなあ」

「遅くなりました」やっと令宣が帰宅した。
「挨拶などよい。早く蓮房の元へ行っておやり!」
息子の顔を見るや大夫人は手を振って急かした。
ふと表情を改めた令宣が意外なことを口にした。
「今日はもう疲れましたので彼女のところへは後日にします」
「蓮房は今日輿入れしたんだよ!ずっと待っているんだ。早く、早く行っておやり!」
大夫人は言い訳を許さない。
「わかりました。彼女の体面を考えるべきでした」
令宣は母に諭されて神妙に挨拶して広間を出た。

広間を出た令宣の顔は険しく足取りは重い。
望んだ相手ではなく仕方なく娶ったのだ。
蓮房に与えられた居室は朱や白の初夜飾りで覆い尽くされていた。
卓上には夫婦のかための盃が置かれている。
その飾りの数々を見やる令宣の顔に喜びはない。
むしろうんざりとした重い気持ちになり令宣の心は萎えた。

令宣はふと片隅の琴に目を留めた。
令宣の視線の方を見た蓮房が私が琴を弾きましょうかと問い掛けた。
だが令宣は視線を外して押し黙った。
琴を楽しむような気持ちになれない。
むっつりと押し黙った令宣の周りの空気は重たくなる一方だった。
蓮房は一向に自分と目も合わさない令宣に焦りを感じ始めた。
「旦那さまの沐浴と着替えをお手伝いします」と
令宣の腰に手を回し帯を解こうとするが、やんわりとその手を外されてしまう。
令宣は宣告するかのように口を開いた。
「私は良い夫ではない。お前に一生安楽に暮らせる場所を与えられるが、それだけだ。早めに休め」
「旦那様!一晩だけ!一晩だけでも残って下さい!」
蓮房は必死に令宣の背中から腰に手を回して縋りついた。
その強引な誘いにも令宣の心は芯から冷えていくのを感じ、彼はその手を外した。

去っていく令宣を呆然と見つめながらそれでも蓮房は諦めなかった。
「必ず旦那様の心を掴んでみせる。まだ、先は長いわ」

今夜は戻ってこないと思っていた旦那様が書斎に帰って来たので側仕えの照影は驚いていた。

姥やから今夜の様子を聞いた徐大夫人はふうと溜め息をついた。
令宣には困ったものだ。
孝行息子なのにどうして妾の事となるとこうも疎いのか。
明日は蓮房を慰めてやらなければ…。

翌朝、蓮房は大夫人が朝食を取る居間へ通る。
そこには既に二人の妾達が侍っていた。
「おお!蓮房や、ここへお座り。一緒に朝食を食べておくれ!お前が居ると食が進むわ
蓮房は二人の妾をチラリと見て優越感に浸った。
「大奥様、お二人にも座って頂いては?」
「ああ、いい、いい。この二人は帰って食べるだろうよ。二人ともお下がり」
誰の目にも明らかな贔屓だ。

妾の蓮房は次にしきたり通り正室元娘へ挨拶に伺わねばならない。
寝台に半身を起こしていた元娘は蓮房の顔を見ると「私もこのように弱っているので貴女が代わりに誠心誠意旦那様に仕えて下さい、昨夜のように旦那様を興冷めさせて帰らせてはなりません」と令宣が帰ったのは蓮房の魅力がないせいだと皮肉る小言も付け加えた。
ここでは主人・令宣が夫人達に対してとる行動のすべてが正室から厨房の使用人に至るまで筒抜けだ。
今朝も庭で下働きの若い小間使い二人が昨夜の噂話をしていた。
「旦那様は部屋に10分もいなかったね。喬家のお嬢さん泣きべそかいてたらしい。あの喬蓮房も大したことないね(笑い声)」
この会話は大夫人に聞こえてしまい二人は追い出される事になってしまった。

正室に嫌みを言われて勘に障り気の強い蓮房は言い返す。
「はい、旦那様に真心でお仕えして遠からず旦那様から寵愛を受けますわ。奥様のお身体こそ大切です、どうぞお大事に!」

蓮房が立ち去った方向を陶乳母が「口に蜜、心に刃。恐ろしい女ですよ」と憎々しげに睨んだ。

逃亡]
十一娘は仙綾閣へ冬青を連れ簡師匠を尋ねた。母を説得しとうとう明日には都を出奔するというところまで進んだから、すべてを打ち明けていた師匠にも当分会えないのだ。
簡先生は自分を本当の娘のように慈しみ育てあげてくれた恩人、いやそれ以上の家族なのだ。
母と違うところは、女一人で仙綾閣を経営し結婚や世間体などに囚われず一人の人間として尊厳ある生き方を教えてくれる自立した強さを持った女性だというところだ。
林公子は人格者だから彼の船に乗れば安心だとも賛成してくれた。着物に餞別まで持たせてくれて十一娘は改めて師匠の優しさに感謝するのだった。
その夜、十一娘は母と同じ床についた。明日のことを考えると寝付けない。
母と冬青と明日からの新しい生活に夢は膨らむ。

翌日、出発の時が迫っていたそのとき、
冬青が慌てて駆け込んできた。
「奥様がお嬢様をお呼びです!茂国公家の大奥様がお嬢様にお会いになりたいと」
王の母親だ。
「こんな時に!・・何の用かしら、もう時間がないよ!」
母が「私と冬青が先に行って慈安寺でお前を待つよ。後からおいで」と小さい荷物を肩にかけた。
羅家に来た茂国公奥様は息子にせがまれて十一娘を嫁にと望んだものの実際息子の言うような娘かどうか心配になり検分に来たのだった。十一娘は内心はらはらしながらも羅奥様に気取られないよう笑みを絶やさず応対しきった。
十一娘を「礼儀も教養もある良い娘」と納得した奥様がやっと腰を上げてくれたので、すかさずお見送り致しますと共に門前へと出ていく。
奥様の馬車が出ていくと十一娘はその足で慈安寺へと急いだ。