正法眼蔵の現成公按のまじでラストに
なりますので
よかったら読んでみてください🙏
の公案について
□この公案は
白隠さんが晩年に創作
したもので
□その公案は
「両手を打てば音がするけど
片方の手には
何の音があるか♫」
というなんのこっちゃという公案だ
□白隠さんがいうには
隻手(せきしゅ)の声を聞け
というこの公案は
ココロに疑団(わだかまり)
が起こりやすいから☁️
禅の工夫を進めやすいよ
という🎤
昔からの公案とくらべて
効果には雲泥の差があるとまでいっている
□その禅の工夫で
両手を打てばパンという音がするけど👏
片手だけでは何の音もしない👋
何の音もしないその音を
聞き届けよ!👋♫
という厄介なモノだ
ワタシだったら両手でパンだから
パンツーとか言いそうになるけどな🩳
まてよケンシローなら天破活殺で
ボウとか音を出しそーだな♫
疑団(わだかまり)が
なければ悟ることはない
とまでいう☁️
□心に何の迷いもなければ☁️
自分の中にある仏性に気付けないからだ🌥
□逆に言えば
自殺を考えるくらいココロに暗闇をかかえて
深〜く悩めば直観が高次元から与えられる
コトもある☀️
□悩みが深ければ深いほど☁️
真理を掘り起こせるのだ☀️
自殺寸前まで追い詰められて真理を発見
したフラー博士を思い出すな
についてハクインさんは
①「波なきところに波を起こす」よーに
疑団(わだかまり)を
起こすモノだし☁️
②「天帝の世界のありさまは、
耳で聞くこともできず、
鼻で臭いをかぐこともできない
ようなものだし」
③「その秘要は、能の『山姥』にいう
『一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の
無声音を聞く便りとなり、
声に響かぬ何もがな』の心境である」
と①〜③のよーにヒントをくれてる
能の『山姥』は
深い山にいる鬼女だけど
コワーイ存在じゃなくて
不思議で懐かしいモノとして登場するし
超自然的で叡智の化身のよーな存在で
山姥は誰も知らない幽(かそ)けき
異界に住んでいて☁️
能の中では
夜更けになって遊女らが舞曲を奏でつつ
待っていると
山姥が異形の姿を現して
深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り☁️
ナゼか山姥自身が
『山彦の無声音を聞く便りとなり、
声に響かぬ何もがな』
と仏法の深遠な哲理を説いて
いずこかへ消え見えなくなる🌀
という能のカタチである
聞こえない音を聞くとか♫
超自然の存在との会合とかのカタチが
ここでは見えてくる
「隻手の音声」は
耳で聞くものではない
分別をしない
五感から離れる
そのよーにしていかなる時も
隻手の音を👋♫
工夫参究することで🌀
理屈や言葉では説明のつかない
究まったところがみえて🌀
突然グルンとココロが内的宇宙に向かい
🟠生死の迷いや無明の本源が消えて
ココロが晴れ渡る☀️
すると
🟢行動する智恵がそなわり
🔴ありのままの真実が見えて
🔵一切を正しく見透すことのできる
もろもろの智徳の力がそなわっている
ことを確信できるよーになる
🟡その音に自分自身が「成り切る」
⚪️そして聞こえたからよい
というわけではなく
音のない音になりきる♫
不断の努力で隻手の声を聞き続けることが
最も大切であるとハクインさんが
おしえてくれる🙏
古神道の音霊法とか
チベット密教でいう第四チャクラの
アナーハタとか
阿閦如来様と関わる気がする⚡️
🔵自分中心を捨てて
高次元への扉を開くときに起きる
動的な大掃除のよーな許しは
大きな愛するココロにもどるよーな
自然な音でココロを洗うよーな
大掃除のコトなんだけど
🔵綺麗になれば愛の光の浸透がおきて
大日如来様の笑いのエネルギーが
映し出される✨
🟫⬛️チョコヨーカンを山姥が音で洗う♪
という感じか?
昔の中国のお坊さんの
麻浴宝徹(まよく・ほうてつ)禅師が
語る
「無処不周底」の公案で
まとめているけど
ドウゲンさんが重要視した
現成公按をこの公案でしめくくっている
のにはワケがあるだろーし
風にちなんだこの公案を早速見てみたい
この公案は以下のよーなモノである👇
(カッコ書がワタシのテキトー訳)
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1 麻浴山(まよくざん)宝徹禅師、
あふぎをつかふ
(麻浴さんが扇を使って涼んでいると)
2 ちなみに、僧きたりてとふ、
「風性常住、無処不周なり。なにをもてか
さらに和尚あふぎをつかふ?」
(1人の雲水がやってきて宝徹禅師に
「風は自然にあるモノだから
オレはそのままで良いと思うけど、
自然であるべきモノをなぜ扇を使って
かき回すのアンタ?おかしくね?」と
質問をした
精神修養して鍛えてる雲水かな?)
3 師いはく、
「なんぢただ風性常住をしれりとも、
いまだ「ところとしていたらずといふこと
なき道理」をしらず」と
(宝徹禅師が答えていうには、
「あなたは風が自然であるコトを知っている
ようだが、
「行き渡っていないところがないということ
の道理」を知ってはいないようだ」と言った
ここの解釈が難しい!アタマが痛くなる!
コレが疑団か☁️?後で詳しく書きます)
4 僧いはく、
「いかならんかこれ「無処不周底」の
道理?」
(雲水は宝徹禅師に対して、
自然は自然のままでいいんじゃね?
「行き渡っていないところがないということ
の道理」とか詭弁じゃね?
何言ってんのアンタ?とさらに説明を求めた
けど)
5 ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
(質問を受けた宝徹禅師は言葉で答える
かわりに、扇をあおいでみせた。)
6 僧、礼拝す
(それを見た雲水は宝徹禅師の真意を悟り
納得して去った)
7 仏法の証験、正伝の活路、
それかくのごとし
常住なればあふぎをつかふべからず、
つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、
常住をもしらず、風性をもしらぬなり
(現成公按ので言いたいコトの中心はまさに
ここのところで
「風性はつねにあるといったり、
扇を使う必要はないといったり、
使わない時にも風を感じ取ればいいとか
感性とか直観でいうのは
「常住」の意味も「風性」の意味も
本当にわかってないのである)
やりとりだけど
宝徹禅師は扇をあおぐことで
何を伝えようとしたのかな?
雲水は物言わぬ宝徹禅師の回答から
何を感じたのかな?
ちんぷんかんぷんの禅問答だな
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ここからはワタシのテキトー解釈になる
ので、
風のよーに流していただければ幸いです
〰 〰 〰 〰 〰 〰 〰
裏神主流テキトー解答
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□風はプラーナを暗示してるかなー?
プラーナはチベット密教ではどこにでも
ある根本的なエネルギーであるという
□プラーナは根源的に存在するモノで
全てのバックボーンとなるモノだ
□雲水が風を公案として宝徹禅師に
ぶつけてきたワケは
どこにでも風=プラーナはあるから
あえて扇をあおいで風を生じさせる
必要はないでしょ?
静かに鎮まるのが修行でしょ?
と悟りを開いた宝徹さんに
意見をぶつけたワケだ
□この雲水の立ち位置は
ココロを修行で鎮めて安定して
一定の精神レベルまで達したから
これ以上はないはず
とか
小悟した自分が大海の全てを見てる気分に
なっていい気になってる
感じを表すモノの気がする
そのノリで宝徹さんに、
本当にアンタ悟ってるの?と
問いかけたんだろーけど
宝徹さんの答えは
「ところとしていたらずといふことなき
道理」をしらず」といいながら
無言で扇をあおいでみせた
コトだった
道元さんがカナでこのよーな
わかりづらい文を書いた真意はなんだろう?
字の成り立ちは、
いかめしく装って腰かけている様子から
「おる」「おく」「とどまる」とかの意味
になったらしいけど
ここから①は
「自分にこだわってしまってるココロ」
とゆー風に見れる気がする👀
🟠なので①の答え(正しい見方=道理)
となるのは「遇一行の道」で
これは
自分が光るんじゃなくて
内的光でみんなが
おなじく光ってるコトに
気づくコト✨
だから
①のこだわりをなくすため
「自分から仲良くなっていく
よーにグルンと変わる」
とゆー修行の道だな
難しいんだけど☁️
「至る」は「ゴールする⚽️」
「至らず」は「ゴールできない0️⃣」
「至らずとゆーことなき」は
「ゴールできないことはないと言っちゃう
心情⚽️⇄0️⃣」となるけど
「至」の字源は
「矢」が上下転倒した字形と、
大地を表す「一」を合わせた文字で
これは、吉凶占いで放った「矢」が
上空から落ちて当たったトコロが
幸運な土地だよとゆー漢字だ
とゆーことは
なんかを自分のためにピンスポットで
ゲットするコトを意味してるっぽい
なので、
「至らずとゆーことなき」は
「悟りを欲しがったり、
悟りをもらえないわけでもねーべと
思うよーな間違ったベクトルのコト」
を言っとる気がする
🟢なので②の答え(正しい見方=道理)は
「修一行の道」で、
これは、
自分が与えるんじゃなくて
みんなでなかよく一つになる
ことで、自分がボロボロになって
やるんじゃなくて
「みんなでやるよーに変わる」とゆー
菩薩行のコトだな
「ところとしていたらずといふことなき
道理」をしらず」
と書いたカナの意味は
「🟠 自分にこだわってしまってる
ココロで
🟢悟りを欲しがったり、
悟りそのものが神様からもらえるかもと
期待するよーな間違ったベクトル
を正す見方というのは
「自分から仲良くなっていくよーに
ココロがグルンと変わる」コトと
自分がボロボロになってやるんじゃなくて
「みんなでやるよーに変わる」こと
の中間でノベーっとするコトだし♨️
ここんところをアンタは眉間にシワを寄せて
突き詰めすぎていて余裕がないから
見えてないね!」
となるし
そしてここが「常住」だよと
宝徹さんがコトバで教えてくれている
気がする🟠🟢
「いかならんかこれ「無処不周底」の
道理?」と問いかけたのに対して
師、あふぎをつかふのみなり
とあるトコロが、
この公案の
「トンチの最大の落とし所」
で、
この公案は、
ただただ悟りを求めて精神を研ぎ澄ます
だけじゃ悟りには程遠いコトを修行者に
知らしめるためのカタチであり
③コトバがないコトを回答とするやり方
④真ん中を得ようと扇がユラユラと巡り
ながら揺れているトコロで
更なる答えを宝徹禅師が指し示したはず
なのだ!
🔵③は「得一法の道」で、
何かを得ようとするコトを放棄する道だし
今の今に精神を集中して、
今の今自分が存在していることを直観する
コトで、
小さな自分から大きな内的宇宙へ向かう
コトで内的な光が見えてくる👀
内的な気付きの道だから
どちらかと言えば問いかけてきた
雲水寄りの方向ではある
しかし宝徹さんは
③の回答をコトバを用いないで
「無言でニコニコとして『得一法の道』
を見せてやるわ!ほれ!」と
その体を表しているからスゴイのだ!
「不周底」は「行き渡らないトコロはない」
と訳すけど
🔴④は「通一法の道」で
知るんじゃなくて
まんなかで抜け落ちていくトコロだし
🔴通一法の道では知識を否定するので
扇をあおいで風(知識)を巡らすのでは
なくて
扇であおいでユラユラと揺れながら
風(知識)を中心にまとめあげて
全体から自分の中心とか一点へ
ユラリユラリと抜けていく感覚とか
魔法陣の中で整うコトで内的な光が
見えてくる道だ✨
ちなみに「周」の字源は、
方形の箱などの器物に彫刻が一面に施された
カタチから「あまねく・ゆきわたる」を
意味するよーになったモノだ
字のカタチがどことなく魔法陣にも
見えてしまうからおもしろい
なので④の答えは
「扇で『通一法の道』を見せてやるわ!
ほれ!パタパタ🌀(と中心へ)」
と、その体を表しているからスゴイのだ!
「師、あふぎをつかふのみなり」と書いた
カナの通しの意味は
🔵精神修養も良いことだけど
無言でニコニコとして『得一法の道』の
力の抜けた本来の姿を見せてやるわ!
ほれ!☀️
と
🔴悟りは知識で至るモノじゃないし
扇で中心へと向かって扇ぐコトで
『通一法の道』の力の集まり具合を
見せてやるわ!
パタパタ☀️
の中間でノベーっとして♨️
「ほれ!パタパタ」とやりながら
アンタは眉間にシワを寄せて突き詰めすぎて
いて余裕がないからここんトコロが
見えてないね!
といっとるはずなのだ
そして
ここが「風性」と宝徹さんが表現した
無言と動作でしめしたモノだとおもった
🟠🟢常住と🔵🔴風性の中心で
我をスポンと抜くコトを表した
のがこの公案なんじゃないかな🌀
そーするコトで
自分に対する公案の問いかけを
身心脱落するよーにスポンと抜く🌀
ことが可能になるのだ!
扇で奥義の謎かけをすると言ったトコロか?
なので風の公案のまとめのこたえは
🅰️こたえ:
風=プラーナは雲水の言うように
どこにでも存在する
しかしカタチ=虚空がなければ
プラーナはその存在を完全に表すコトが
できない
🔵🔴プラーナ 風性と
🟢🟠虚空 常住の合体した姿が
サハスラーラにおける悟りであり
🟢カタチや肉体を通して
ヒトとの関係を通して
風が一体化させてくれて
🟠ココロの奥底の感性を通して
風となかよくなり
🔵 隻手の声を通して
風そのものをかんじて
🔴愛情を通して風そのもののエネルギーが
タマシイと馴染みはじめて
風の知識が抜け落ちていって
🟡スポんと抜けた愛にあふれる
風そのものになる
とゆー答えかも
色々調べたけど
こーゆー解釈はだれもしていないし
するわけもないだろーけど
チベット密教で解いているので
楽しいけど♫まあどーなんだろね?
龍安寺の謎解きを思い出すな!
最後にドーゲンさんは
「風性は常住なるがゆゑに,仏家の風は,
大地の黄金なるを現成せしめ,
長河の蘇酪を参熟せり。」
と締めている
🔵風性①捨てる(自我から脱する)
🔴風性②抜ける(知識から脱する)
🟠常住①同じくなる(ココロの立ち位置を転換)
🟢常住②仲良くなる(生き方の立ち位置を転換)
この
風性(横プラーナ)と
常住(縦虚空)が
合体する方向に歩めば
自然と体現できるのが
悟りの風のカタチ
で、それは、
見えないし、
得られないし、
わからないし、
自分がない状態で
ただ大きな道を歩むコトだ
とドウゲンさんが
やさしくおしえてくれるし
なんだかわだかまりが☁️
スポンと抜けたよーな気がして🌀
スッキリするな☀️
中国古来の古則は数百もある
その中でも、
正法眼蔵の最初の巻である現成公按に
ドウゲンさんが宝徹禅師の「無処不周底」
の公案を選んだワケは
身心脱落の姿を見出しやすいと感じたから
なんじゃないかな?とワタシはおもったし
公案の様々な悟りのカタチを読み解くには
白隠さんのよーな公案のスタンダードな
読み方(①焼く②飲み込む③音で洗う)
とか
ドウゲンさんの4方向で囲い込んで
(🔵捨てる🔴抜ける🟠同じくなる
🟢仲良くなる)
トーラスの真ん中でスポンと抜くよーな🌀
トンチシステムで読み解くコトができる
よーな気もするけど
なるほど難しいな
公案を作ったヒトは天才かもしらん
🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀
最近なんか現れるイメージの
色白で薄い唇のドウゲンサンのお姿も
(有名な肖像画はタラコ唇だけどな?)
なんかシブシブうなづいてくれている
気もするし⚡️
(そのイメージにこだわったり
正しいとゆーわけでもないけど)
しかし正法眼蔵はアタマが痛くなるくらい
むずかしいな!
続きはまたいつかご紹介できればいいな
とはおもうけど
よろしければまた読んでみてください🙏
くだらないハナシに長々とお付き合い
くださいましてありがとうございます🙏
ご縁⭕️に感謝いたします🙏
それではまた!👋
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