正法眼蔵のご紹介〜7ラスト

前回の公案の続きとか、
正法眼蔵の現成公按のまじでラストに
なりますので 
よかったら読んでみてください🙏 


スタンダード3 拍手

③「片手の音を聞いたら?」
 の公案について

 

□この公案は
白隠さんが晩年に創作
したもので

 □その公案は

「両手を打てば音がするけど 
 片方の手には
 何の音があるか♫」

というなんのこっちゃという公案だ



 □白隠さんがいうには

隻手(せきしゅ)の声を聞け
というこの公案は

ココロに疑団(わだかまり)
が起こりやすいから☁️

禅の工夫を進めやすいよ
という🎤

昔からの公案とくらべて
効果には雲泥の差があるとまでいっている


□その禅の工夫で

両手を打てばパンという音がするけど👏

片手だけでは何の音もしない👋

何の音もしないその音を
聞き届けよ!👋♫

という厄介なモノだ


ワタシだったら両手でパンだから
パンツーとか言いそうになるけどな🩳

まてよケンシローなら天破活殺で
ボウとか音を出しそーだな♫

禅はワダカマリが大事ダルマ

□白隠禅では
疑団(わだかまり)が
なければ悟ることはない
とまでいう☁️

□心に何の迷いもなければ☁️
自分の中にある仏性に気付けないからだ🌥

□逆に言えば
自殺を考えるくらいココロに暗闇をかかえて
深〜く悩めば直観が高次元から与えられる
コトもある☀️

□悩みが深ければ深いほど☁️
真理を掘り起こせるのだ☀️

自殺寸前まで追い詰められて真理を発見
したフラー博士を思い出すな

についてハクインさんは

①「波なきところに波を起こす」よーに
疑団(わだかまり)を
起こすモノだし☁️

②「天帝の世界のありさまは、
耳で聞くこともできず、
鼻で臭いをかぐこともできない
ようなものだし」

③「その秘要は、能の『山姥』にいう
『一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の
無声音を聞く便りとなり、
声に響かぬ何もがな』の心境である」

と①〜③のよーにヒントをくれてる

能の『山姥』は
深い山にいる鬼女だけど
コワーイ存在じゃなくて

不思議で懐かしいモノとして登場するし
超自然的で叡智の化身のよーな存在

山姥は誰も知らない幽(かそ)けき
異界に住んでいて☁️

能の中では
夜更けになって遊女らが舞曲を奏でつつ
待っていると

山姥が異形の姿を現して
深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り☁️

ナゼか山姥自身が

『山彦の無声音を聞く便りとなり、
声に響かぬ何もがな』

と仏法の深遠な哲理を説いて
いずこかへ消え見えなくなる🌀

という能のカタチである



音のない音に成る♫

精神の静まりの中で
聞こえない音を聞くとか♫

超自然の存在との会合とかのカタチが
ここでは見えてくる目


「隻手の音声」

耳で聞くものではない
分別をしない
五感から離れる


そのよーにしていかなる時も
隻手の音を👋♫
工夫参究することで🌀

理屈や言葉では説明のつかない
究まったところがみえて🌀


突然グルンとココロが内的宇宙に向かい

🟠生死の迷いや無明の本源が消えて
ココロが晴れ渡る☀️

すると
🟢行動する智恵がそなわり

🔴ありのままの真実が見えて

🔵一切を正しく見透すことのできる
 もろもろの智徳の力がそなわっている
 ことを確信できるよーになる

🟡その音に自分自身が「成り切る」


⚪️そして聞こえたからよい
 というわけではなく

 音のない音になりきる♫

不断の努力で隻手の声を聞き続けることが

最も大切であるとハクインさんが

おしえてくれる🙏

耳で悟りへ👂

🔵なんとなくだけど「隻手の音声」

古神道の音霊法とか
チベット密教でいう第四チャクラの
アナーハタとか
阿閦如来様と関わる気がする⚡️

🔵自分中心を捨てて
高次元への扉を開くときに起きる
動的な大掃除のよーな許しは

大きな愛するココロにもどるよーな

自然な音でココロを洗うよーな

大掃除のコトなんだけど


🔵綺麗になれば愛の光の浸透がおきて

大日如来様の笑いのエネルギーが

映し出される✨

🟫⬛️チョコヨーカンを山姥が音で洗う♪
という感じか?


扇で悟る風の公案

さて、正法眼蔵の現成公案では

昔の中国のお坊さんの
麻浴宝徹(まよく・ほうてつ)禅師が
語る

「無処不周底」の公案で
まとめているけど

ドウゲンさんが重要視した
現成公按をこの公案でしめくくっている
のにはワケがあるだろーし

風にちなんだこの公案を早速見てみたい

この公案は以下のよーなモノである👇
(カッコ書がワタシのテキトー訳)

 〰 〰 〰 〰 〰 〰 〰

1 麻浴山(まよくざん)宝徹禅師、
あふぎをつかふ
(麻浴さんが扇を使って涼んでいると)

2 ちなみに、僧きたりてとふ、
「風性常住、無処不周なり。なにをもてか
さらに和尚あふぎをつかふ?」
(1人の雲水がやってきて宝徹禅師に
「風は自然にあるモノだから
オレはそのままで良いと思うけど、

自然であるべきモノをなぜ扇を使って
かき回すのアンタ?おかしくね?」と
質問をした

精神修養して鍛えてる雲水かな?)

3 師いはく、
「なんぢただ風性常住をしれりとも、
いまだ「ところとしていたらずといふこと
なき道理」をしらず」と

(宝徹禅師が答えていうには、
「あなたは風が自然であるコトを知っている
ようだが、
「行き渡っていないところがないということ
の道理」を知ってはいないようだ」と言った

ここの解釈が難しい!アタマが痛くなる!
コレが疑団か☁️?後で詳しく書きます)

4 僧いはく、
「いかならんかこれ「無処不周底」の
道理?」
(雲水は宝徹禅師に対して、
自然は自然のままでいいんじゃね?
「行き渡っていないところがないということ
の道理」とか詭弁じゃね?

何言ってんのアンタ?とさらに説明を求めた
けど)

5 ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
(質問を受けた宝徹禅師は言葉で答える
かわりに、扇をあおいでみせた。)

6 僧、礼拝す
(それを見た雲水は宝徹禅師の真意を悟り
納得して去った)

7 仏法の証験、正伝の活路、
それかくのごとし

常住なればあふぎをつかふべからず、
つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、
常住をもしらず、風性をもしらぬなり
(現成公按ので言いたいコトの中心はまさに
ここのところで

「風性はつねにあるといったり、
扇を使う必要はないといったり、
使わない時にも風を感じ取ればいいとか
感性とか直観でいうのは

「常住」の意味も「風性」の意味も
本当にわかってないのである) 

禅をチベット密教で解く?

「無処不周底」の公案は以上のよーな
やりとりだけど

宝徹禅師は扇をあおぐことで
何を伝えようとしたのかな?

雲水は物言わぬ宝徹禅師の回答から
何を感じたのかな?

ちんぷんかんぷんの禅問答だな

 〰 〰 〰 〰 〰 〰 〰

ここからはワタシのテキトー解釈になる
ので、
風のよーに流していただければ幸いです

 〰 〰 〰 〰 〰 〰 〰

 裏神主流テキトー解答

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□風はプラーナを暗示してるかなー?

プラーナはチベット密教ではどこにでも
ある根本的なエネルギーであるという

□プラーナは根源的に存在するモノで
全てのバックボーンとなるモノだ

□雲水が風を公案として宝徹禅師に
ぶつけてきたワケは

どこにでも風=プラーナはあるから
あえて扇をあおいで風を生じさせる
必要はないでしょ?

静かに鎮まるのが修行でしょ?

と悟りを開いた宝徹さんに
意見をぶつけたワケだ

□この雲水の立ち位置は

ココロを修行で鎮めて安定して
一定の精神レベルまで達したから
これ以上はないはず

とか

小悟した自分が大海の全てを見てる気分に
なっていい気になってる

感じを表すモノの気がする


そのノリで宝徹さんに、
本当にアンタ悟ってるの?
問いかけたんだろーけど


宝徹さんの答えは

「ところとしていたらずといふことなき
道理」をしらず」といいながら
無言で扇をあおいでみせた

コトだった


道元さんがカナでこのよーな
わかりづらい文を書いた真意はなんだろう?

🟠トコロとしては?

🟠「①ところとして」「処」という
字の成り立ちは、

いかめしく装って腰かけている様子から
「おる」「おく」「とどまる」とかの意味
になったらしいけど

ここから①は

「自分にこだわってしまってるココロ」

とゆー風に見れる気がする👀


🟠なので①の答え(正しい見方=道理)
となるのは「遇一行の道」

これは

自分が光るんじゃなくて
内的光でみんなが
おなじく光ってるコトに
気づくコト✨

だから


①のこだわりをなくすため

「自分から仲良くなっていく
よーにグルンと変わる」

とゆー修行の道だな
🟠至らずというコトなきは?

🟢「②至らずということなき」の解釈が
難しいんだけど☁️


「至る」「ゴールする⚽️」

「至らず」「ゴールできない0️⃣」

「至らずとゆーことなき」
「ゴールできないことはないと言っちゃう
心情⚽️⇄0️⃣」となるけど


「至」の字源は

「矢」が上下転倒した字形と、
大地を表す「一」を合わせた文字で

これは、吉凶占いで放った「矢」が
上空から落ちて当たったトコロが
幸運な土地だよとゆー漢字だ


とゆーことは
なんかを自分のためにピンスポットで
ゲットするコトを意味してるっぽい

なので、

「至らずとゆーことなき」は

「悟りを欲しがったり、
悟りをもらえないわけでもねーべと
思うよーな間違ったベクトルのコト」

言っとる気がする


🟢なので②の答え(正しい見方=道理)は

「修一行の道」で、

これは、
自分が与えるんじゃなくて
みんなでなかよく一つになる
ことで、自分がボロボロになって
やるんじゃなくて

「みんなでやるよーに変わる」とゆー
菩薩行のコトだな
🟠🟢常住の通しの意味は?

ドウゲンさんが

「ところとしていたらずといふことなき
道理」をしらず」

と書いたカナの意味は


「🟠 自分にこだわってしまってる
ココロで

🟢悟りを欲しがったり、
悟りそのものが神様からもらえるかもと
期待するよーな間違ったベクトル
正す見方というのは

「自分から仲良くなっていくよーに
ココロがグルンと変わる」コトと

自分がボロボロになってやるんじゃなくて
「みんなでやるよーに変わる」こと
の中間でノベーっとするコトだし♨️

ここんところをアンタは眉間にシワを寄せて
突き詰めすぎていて余裕がないから
見えてないね!」

となるし目

そしてここが「常住」だよと
宝徹さんがコトバで教えてくれている
気がする🟠🟢
🔵🔴扇でパタパタの意味は?

さらに雲水が

「いかならんかこれ「無処不周底」の
道理?」と問いかけたのに対して

師、あふぎをつかふのみなり
とあるトコロが、

この公案の
「トンチの最大の落とし所」
で、

この公案は、
ただただ悟りを求めて精神を研ぎ澄ます
だけじゃ悟りには程遠いコトを修行者に
知らしめるためのカタチであり

③コトバがないコトを回答とするやり方

④真ん中を得ようと扇がユラユラと巡り
ながら揺れているトコロ

更なる答えを宝徹禅師が指し示したはず
なのだ!

🔵無言でニコニコ

そして、③は①と同様に「無処」にかかり 

🔵③は「得一法の道」で、
何かを得ようとするコトを放棄する道だし 

今の今に精神を集中して、
今の今自分が存在していることを直観する
コトで、

小さな自分から大きな内的宇宙へ向かう
コトで内的な光が見えてくる👀

内的な気付きの道だから
どちらかと言えば問いかけてきた
雲水寄りの方向ではある

しかし宝徹さんは
③の回答をコトバを用いないで
「無言でニコニコとして『得一法の道』
を見せてやるわ!ほれ!」
その体を表しているからスゴイのだ!
🔴扇で真ん中へパタパタ

④は②と同様に「不周底」にかかるけど
「不周底」は「行き渡らないトコロはない」
と訳すけど

🔴④は「通一法の道」
知るんじゃなくて
まんなかで抜け落ちていくトコロだし

🔴通一法の道では知識を否定するので

扇をあおいで風(知識)を巡らすのでは
なくて

扇であおいでユラユラと揺れながら
風(知識)を中心にまとめあげて

全体から自分の中心とか一点へ
ユラリユラリと抜けていく感覚とか
魔法陣の中で整うコトで内的な光が
見えてくる道だ✨

ちなみに「周」の字源は、
方形の箱などの器物に彫刻が一面に施された
カタチから「あまねく・ゆきわたる」を
意味するよーになったモノだ

字のカタチがどことなく魔法陣にも
見えてしまうからおもしろい



なので④の答えは

「扇で『通一法の道』を見せてやるわ!
ほれ!パタパタ🌀(と中心へ)」

と、その体を表しているからスゴイのだ!
🔵🔴通しの意味は?

なのでドウゲンさんが

「師、あふぎをつかふのみなり」と書いた

カナの通しの意味は


🔵精神修養も良いことだけど 
無言でニコニコとして『得一法の道』の
力の抜けた本来の姿を見せてやるわ!
ほれ!☀️
🔴悟りは知識で至るモノじゃないし 
扇で中心へと向かって扇ぐコトで
『通一法の道』の力の集まり具合を
見せてやるわ!
パタパタ☀️
の中間でノベーっとして♨️
「ほれ!パタパタ」とやりながら

アンタは眉間にシワを寄せて突き詰めすぎて
いて余裕がないからここんトコロが
見えてないね!

といっとるはずなのだ


そして
ここが「風性」と宝徹さんが表現した
無言と動作でしめしたモノだとおもった
🟠🟢常住と🔵🔴風性の中間にあるモノ?

そのよーにして

🟠🟢常住と🔵🔴風性の中心で

我をスポンと抜くコトを表した

のがこの公案なんじゃないかな🌀


そーするコトで

自分に対する公案の問いかけを

身心脱落するよーにスポンと抜く🌀

ことが可能になるのだ!


扇で奥義の謎かけをすると言ったトコロか?


なので風の公案のまとめのこたえは

🅰️こたえ:

風=プラーナは雲水の言うように
どこにでも存在する

しかしカタチ=虚空がなければ
プラーナはその存在を完全に表すコトが
できない

🔵🔴プラーナ 風性と
🟢🟠虚空 常住の合体した姿が
サハスラーラにおける悟りであり

🟢カタチや肉体を通して
 ヒトとの関係を通して
 風が一体化させてくれて

🟠ココロの奥底の感性を通して 
 風となかよくなり

🔵 隻手の声を通して
 風そのものをかんじて

🔴愛情を通して風そのもののエネルギーが
タマシイと馴染みはじめて
 風の知識が抜け落ちていって

🟡スポんと抜けた愛にあふれる
 風そのものになる

とゆー答えかも
🟠🟢🔵🔴いろんな風に吹かれる

色々調べたけど
こーゆー解釈はだれもしていないし
するわけもないだろーけど

チベット密教で解いているので
楽しいけど♫まあどーなんだろね?

龍安寺の謎解きを思い出すな!

最後にドーゲンさんは

「風性は常住なるがゆゑに,仏家の風は,
大地の黄金なるを現成せしめ,
長河の蘇酪を参熟せり。」

と締めている

🔵風性①捨てる(自我から脱する)

🔴風性②抜ける(知識から脱する)

🟠常住①同じくなる(ココロの立ち位置を転換)

🟢常住②仲良くなる(生き方の立ち位置を転換)

この
風性(横プラーナ)と
常住(縦虚空)が
合体する方向に歩めば足あと
自然と体現できるのが
悟りの風のカタチ

で、それは、

見えないし、
得られないし、
わからないし、
自分がない状態で
ただ大きな道を歩むコトだ足あと

とドウゲンさんが
やさしくおしえてくれるし

なんだかわだかまりが☁️
スポンと抜けたよーな気がして🌀
スッキリするな☀️

公案を考案したヒトは天才か?

以上見てきた公案はほんの入り口で
中国古来の古則は数百もある

その中でも、
正法眼蔵の最初の巻である現成公按に
ドウゲンさんが宝徹禅師の「無処不周底」
の公案を選んだワケは

身心脱落の姿を見出しやすいと感じたから
なんじゃないかな?とワタシはおもったし

公案の様々な悟りのカタチを読み解くには
白隠さんのよーな公案のスタンダードな
読み方(①焼く②飲み込む③音で洗う)
とか

ドウゲンさんの4方向で囲い込んで
(🔵捨てる🔴抜ける🟠同じくなる
🟢仲良くなる)
トーラスの真ん中でスポンと抜くよーな🌀
トンチシステムで読み解くコトができる
よーな気もするけど

なるほど難しいな

公案を作ったヒトは天才かもしらん

 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀

最近なんか現れるイメージの
色白で薄い唇のドウゲンサンのお姿も
(有名な肖像画はタラコ唇だけどな?)
なんかシブシブうなづいてくれている
気もするし⚡️
そのイメージにこだわったり
 正しいとゆーわけでもないけど)


しかし正法眼蔵はアタマが痛くなるくらい
むずかしいな!

続きはまたいつかご紹介できればいいな
とはおもうけど
よろしければまた読んでみてください🙏

くだらないハナシに長々とお付き合い
くださいましてありがとうございます🙏

ご縁⭕️に感謝いたします🙏

それではまた!👋


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