メリッサで行われた読書会
でプレゼンした、湯沢市の
石橋健朗さんの書いた「龍女の珠」という
本について ご紹介したいのでブログにして
みたのでよければ読んでみてください
この度、カフェメリッサでの読書会で、
湯沢市の石橋健朗さんの「龍女の珠」と
いう本をプレゼンしたのですが、
自分的にはスゲーどハマり本なのだ。



湯沢市岩崎の龍女の物語

自分のご先祖様の神社でもある、湯沢市岩崎
地区にある水神社は、 大きな鹿島さまの
ワラ人形なんかでも有名なんだけれども


だいぶ前に。NHKで鹿島神道流の塚原卜伝の
ドラマを放映していたことがあって、

その時に鹿島様つながりで水神社がテレビに
偶然でてたので、感動して「うぉー」
吠えたのを思い出した。



横手市と湯沢市の間のあたりにある
この地域の歴史は古く、

慈覚大師のお弟子さんであったワタシの
ご先祖様がお堂を岩崎地区に作った頃
(850〜864年くらい?)よりも、まだまだ
よゆーで歴史をさかのぼれるし(後述)

また、その地区には、能恵姫物語という
女性に関わる悲しい龍神の物語が伝わる。

この物語を軸にして、歴史をたどるのが
「龍女の珠」という本である。



このかなしい物語は、ワタシが小さい頃に
ばあちゃんから聞かされたことがあったな。

湯沢市の現在の千年公園に昔あった岩崎城
の城主の岩崎家のお姫様が赤ちゃんの頃の
話となるので、いつの頃の話だろ?

長いスパンだが1249年から1595年の間の
中世のころなんだろね。

岩崎城についてはコチラ👈


ちなみに岩崎城自体は小野寺氏の流れの
藤原河内守が鎌倉時代の建長のころ
(1249年から1274年ころ)築城した。
これを機に岩崎氏を名乗ったとあるし、

その後戦国時代の文禄4年(1595年)ころ
最上軍から夜襲をかけられて、城主の
岩崎義高は討死して落城したらしい。

この岩崎氏が妙見信仰(後述)を信奉して
いたらしい。

ものがたりのあらすじ

この物語のあらすじなのだが
岩崎家の姫さまが赤ちゃんのころ
あまりに泣き止まないので👶💦
わたしのご先祖の法師様が
同エリアに昔からあった
妙見菩薩と思われる白藤明神に祈願した⭐️

ほどなくして、法師さまの妻が乳母だった
ので、姫さまを抱っこしながら、
城の庭を歩いていたら、

木の根元に卵型の光る石🔵を見つけたので
姫さまの守り石にしてみたら🔵
姫さまが泣き止んだとある👶

また、姫さまが三歳くらいの時には、
美しい白蛇が姫さまの近辺にちょくちょく
顔を出して、色々と姫さまの身の回りの
手助けをしてくれたらしい🐍

この美しい蛇に🐍姫さまをお嫁さんに
あげようか?などど侍女が軽口をきいたり
したとかなんとか🐍

姫さまが16歳の時の8月に、
縁戚の城主の息子のところに
嫁ぐことになり、
お付きの者と一緒に、行列を作って
城の目前にある皆瀬川を渡し船で渡ろう
としたら🚣‍♂️

空が急に暗くなって☁︎雷は鳴るは⚡️
暴風で家や木も倒れるは🌪
猛烈な雨は降るは☔️
突然の嵐で川は荒れ狂うわで

姫さまのお輿を担いでいたお付きの一行は
溺死するし、
姫さまの行方が分からなくなるわで
大変な騒ぎとなった。

その後、岩崎のお殿様の命令で、
翌年の2月に法師様がサカリブチという
名前の川の淵にあった桐の木の枝を
マサカリで刈り取ろうとしたら、
マサカリが川に落ちてしまったので、
川にもぐって拾おうとした。
川底に潜ってみたら⏬川底に不思議な空間
というかお座敷があって🔲
行方が分からなくなっていたお姫様がいて
びっくりした!

法師様は喜んで、早く一緒に現界に
帰りましょう!と姫さまを説得したが、

姫さまの体の一部が龍体化していたのと🐉
恐ろしい龍が姫さまに巻きついて!
寝ていた🐉

近づくと危ないし、体も変化してしまった
ので、悲しいが帰れないと姫様は言った。

自分はこのまま龍神に仕えて、
人民の水難を除き国土の守りとなるけど

毎年の初うしの日には、自分の行の痛み?
を和らげるため供養のお祭りをしてくれる
ようにと頼んだらしい🙏

そして、着物の袖とか髪飾りとかクシとか
を形見として法師様に渡したとある。


ひめをしのぶ卍

お姫様の名前とか、物語のクダリは
後付けぽいところが多々あるけれど、

作者の石橋さんも著書で語っているが、
戦乱か何かで不幸にも亡くなってしまった
玉のようなお姫様を供養するいみでの
お祭りは昔からあったのは事実だし、

いまもお祭りは綿々と受け継がれている
のでありがたいことだな🙏



卍 卍 卍 卍 卍

なんだか不思議なはなしではあるが、
県南のこの界隈には、姫さまを供養する
龍泉寺という同じ名前のお寺が、
昔はなんと5カ所もあったし、
今でもななんと4カ所もある。



そこになんらかの法則性や謎を感じたのが
菅江真澄であったという。

石橋さんスゲー大発見だな!と思った。

かわいこちゃんの人柱

まあなんとも可哀想な話ではあるが、
昔はちょこっとしたことで人身御供とか
人柱とかいって目の見えない女の子とか
神道関係の巫女様とかを生き埋めにして、

その命を代償として神に雨乞いしたり、
荒れ狂う川を鎮めようとしたり、
川に設置した堰をまもってもらったり、
地域の境界祭祀とかのカタチで疫病を
防いでもらったりしたのだ。




またまた戦乱の世では、敵の人質になって
一族に迷惑をかけるくらいなら、
死を選ぶのが美徳として、川に身を投げたり
自害したりということはままあった。

なんとも可哀想なので、鎮魂してやまない
限りである🙏

人柱の場合は、暴れる自然をコントロール
するために、貴重なヒトの犠牲的な精神や 
タマシイで等価交換するという思考法から
でた、野蛮な行為であり、 

全滅よりかは犠牲が少なくていいべ?とか、
自然に対する畏れからくるものだ。

それにしても、突然の嵐に見舞われて川に
飲み込まれたか、あるいは自ら荒れ狂う川
に身を投げた可哀想な姫さまがいたのは
間違いなさそうだ🙏

龍があばれる空もよう

しかしそんなに天気が急変するかな?

まてよ?ワタシも横手市で経験があるな。

横手川とか日本100名橋の蛇の崎橋とかの
界隈の雰囲気がとてもよくて、
川原を散策していたことがあって、



そのエリアにスゲー小さな可愛らしい
蛇王神社という、いかにも龍神様という
神社があったけど、

小さなオヤシロだったし、散策中だったし、
やめりゃーいいのにまことにテキトーに
パンパンと手だけたたくという👏
マコトに失礼なマネをしてしまった。


そのまま川原を散策していたら、
それまですげー天気が良かったのに☀️

あっという間に空が真っ暗になって☁︎
風速65メートルという、とてつもない
記録的なダウンバーストが竜巻みたいに
横に巻くようにして吹いて🌪

凄まじい雨と雷に見舞われて⚡️
それこそ川も暴れ始めたりで、
大変な目にあったことがある。


関係があるかは分からなかったけど、
その後、ご参拝し直したのだが🙏
龍神さまは空間と仲が良いので怒らせると
怖いなとつくづくおもった。

まあ、ワタシのテキトーな参拝を
抜きにしても、天気がものすげー勢いで
急変することは世の中にはあるんだなと
思ったし、それ以来横手で竜巻みたいな
ダウンバーストは起こってないな?

丘ギリギリの古い祭祀空間

イワサキのお城跡の小高い丘には、
アイヌ文化までさかのぼる祭祀空間が
あったのではと石橋さんがいうように

なんでだか、小高い丘の際のギリギリに
祭祀空間を作るのが、アイヌの人たちは 
好きだったとアースダイバーで中沢さんが
書いてたな。
古代の人は、大地の連続性が途切れる、
大地の裂け目みたいなところに、
天地の気が流れ込むのを感じて🌀
そういったところで祭祀空間をつくったん
だろうな。

白藤=水神様

そもそも、慈覚大師がこの地区に来た折、
白藤明神自体はこの地域にあったらしいし、

現在は岩崎八幡神社のさらに上の
小高い丘の上に、高辻神社があり、
古くからの妙見菩薩と天神様とお稲荷様が
お祭りされているようである。

白藤とか藤は龍のモチーフとなるものだし
龍神がまとわりつく水の女神様の伝説は
あるしで、
白藤明神様と龍との関わりは先行して同地域
に入っていた山伏とか金堀衆とかの動きと
関わるか?

七高山の龍泉寺

五つの龍泉寺のひとつである、
羽後町高寺にある龍泉寺は、
七高山(七面山)のふもとにあり、
その山頂には天平勝宝年間(749年から757年)
の創建となる七高山神社がある。


大昔は修験道の霊地で、お山の中腹に
七高山奥院と呼ばれる巨石が連なる聖蹟が
あったり、七面天女をお祀りするお堂とか
いろんなお堂が昔は多数あって、
今はないけど、かつては山岳寺院で
栄えてたらしい。

七面天女も妙見菩薩と関わる神さまだ、

文化的にはかなり古い時代に、
この地域で山伏が活躍していたのだ。

あるいはもっと古ーいアイヌのころの
文化的地層までさかのぼれるか?

北斗の神々

妙見菩薩といえば、北極星とか北斗七星の
星神であり⭐️天台宗とか法華宗と関わる。

御真言はオン マカシリエイ シベイ ソワカ
とかであり、ご真言の中にこじつけならば、
マサカリのような響きをもつな!


北斗七星といえば、将門公の好きな星だな。

そもそも湯沢の天ヶ台山は、天台宗の名僧
慈覚大師が当地に来た折、
中国の天台山のようなすばらしい気を感じて
ネーミングしたという逸話もある。

中国の天台山も、そもそも北極星と関わる
ので天台としたらしいし。


まえからワタシも妙見菩薩と北斗七星の
つながりで、北斗七星がらみの聖蹟が
あるんじゃないかと思っていたけど、


天ヶ台山とか、いくつかの竜泉寺をつなぐと
地上に北斗七星が配置されるというのが、
石橋さんの推理であった。
やっぱりか!おもろいなとおもったところ
であった。

陰陽道の禹歩とか北斗七星とかは
星読みの一族とかと関わりが深い。


地上に配置されたたくさんの龍泉寺と
水神社とかの寺社仏閣があったり、
そもそも星読みの安倍一族とかも
県南にはいたし、
またまた同じ星読みの一族である物部一族
までもが当時この地域で活動していたかな?

オノ一族とのかかわり

さらには、小野小町の出た小野一族が
小野寺氏のご先祖さまらしいし、
小野一族は全国に水神伝承を伝え歩いたと
石橋さんの本にある。
小野一族である小野篁(802-853年で
小野小町の父さん説もあり)なんかは、
冥界で閻魔大王の下働きをしてたなんて
伝説もあるくらいなので、
陰陽道とかと関わりのある一族なんじゃ
ないかな?
とすれば当然星読みと関わる。 

調和的協働で見えるモノ

最近ハマっている、ランスロット・ロウ ・
ホワイトさんの調和的協働の視点から
考察すると👀

1 魔法陣でトーラスを準備して🍩
2 ラセンの龍のエネルギーをまとい🌀
    高い次元の構造を引き込み
3 オクターブの虹を構成しながら🌈
     珠を次々とゲットして🔵
4 天に登っていく昇華するエネルギー⚡️
    が発生して、協働して調和が取れた
     高い次元の構造💗につながる 
    という流れが見えるな。


なんとなくではあるが、悟りを開くために 
菩薩行とかの修行した行者のお姿も
見え隠れするな!

ちなみに、伝説にでてくる川底の不思議な 
空間は、なんか陰陽道くさいことを言えば、
 
異なる次元を魔法陣で組んでるぽいし🍩

その中で、ラセンのカタチで龍を身体に
まとわりつかせて🌀ラセンの効果で
如意宝珠🔵をゲットしている女神様がいて

宝珠の力で悟りを得て🏵🌈

現界に法力を持ち込む⚡️という構図は

何か密教的なものを感じるものがあるし、

なるほどご利益がありそうだし、
大昔にこの近辺で活躍した山伏か陰陽師が 
ホトケ様を灌頂したコトが伝説で残ったか?

石橋さんが指摘するチベットの龍神ナーガ
が持っている如意宝珠の解説も、なんか
リンクするものがあるな。

はたまた能の「海士」にでてくる龍の話との
関係もありそうだな。


ウシとマタラとミトラ

石橋さんの本でワタシ的に値千金だったのが
牛の犠牲のくだりである。

古い境界祭祀空間においては、
人柱もそうだが、牛も神に捧げられるもの
として重要視されたらしい。

境界において、牛を犠牲にして神の御託宣
をもらうという形態は世界的にも古くから
あり、おもにイスラエルの民の信仰とか


ミトラス教に関わる儀式が多いが



京都の太秦の広隆寺なんかの摩多羅神に
関わるお祭りや、
牛頭天王すなわちスサノオ大神に関わる
儀式なんかも牛と縁が深い。

広隆寺の儀式なんかでは摩多羅神が
牛に乗っているお祭りなのだ。


そういえば秋田県の天王町の奇祭の統人行事
もスサノオ尊が牛に乗って登場したり、
空中でラセンの動きをするクモ舞と呼ばれる
龍の舞も舞われる。



そもそも謎の多い摩多羅神を、
唐から日本に召還したのは、
天台宗の慈覚大師だったな。

摩多羅神は広隆寺や清水寺とか毛越寺とかで
お祭りされているマイナーな神様だ。

摩多羅神は霊力がスゲーので、
摩多羅神の意志に反すると
大変な目に会うけど、

きちんと後ろ戸の神様としてお祀りして、
摩多羅神をあつく供養すると
その功徳は計り知れないと畏れられた。
まるで将門公みたいだな。


又、摩多羅神は芸能の神さまともいわれて
摩多羅神の前で繰り広げた芸能が
後の「能」に発展したとも言われている。

摩多羅神は主に天台宗寺院の念仏道場で
霊異いちじるしい秘神とされた。

慈覚大師が唐からやっとの思いで帰って
くる際に、いっしょに帰ってきたとの
言い伝えがある。

その修法や儀礼は秘事であり、摩多羅神自体
謎の存在であるが、

近年、大陸の弥勒菩薩信仰や、ミトラス教の
ミトラ神との関係性が言われているところで
ある。
広隆寺には有名な弥勒半跏思惟像もあるしね。


ちなみにマイトレーヤすなわち弥勒菩薩の
呼び名はミトラから来ているという説もある。

牛頭天王さまの謎が解けた?

以前、水神社で祭式を執り行ったおり、
ツノのある神様がご出現されて、
強烈なイメージとともに
「威力のある神ぞよ」
との一言をいただいたので、

その後ずーとそれがアタマに残っていて、
牛頭天王様とイワサキ地区との関わりを
求めていたけど、関係がわからなかった。


今般、幸運にも著者の石橋さんの知遇を得て、
失礼ながら、天ケ台山界隈に牛頭天王様を
お祭りするポイントはありますか?
とお尋ねしたところ、

湯沢市川連町麓に八坂神社があり、
祭神は素戔嗚尊で御神体は祇園牛頭天王の
木像があり、
本殿に向かって右下にもお社があり、
そこには蘇民神社と霊祭殿の札がかかって
いて、川連の龍泉寺が元々建っていた場所の
近くです!と教えてくれた🙏

直観はビンゴであったか?!

川連の八坂さま

当の八坂神社は、長治元年(1104)に
勧請されたもので、慶長4年(1599)川連城の
領主の保護を受け再興されている。

岩崎城の建城よりは古いが、天ケ台山の
お堂建立よりは新しいな。

八坂神社はかつては現在地から約400mほど
離れた所にあったといわれているとあるけど
どのへんなんだろ?

その後宝暦6年(1756)に現在地に横手城の
岡本代官が社殿を再建したらしい。


八坂神社のご祭神は「素戔嗚尊」で
御神体は「祇園牛頭天王」の木像で、
鎌倉時代のもの説がある。

八坂神社の御神紋は「五瓜に唐花」と
「左三つ巴」である。

唐花紋は別名「木瓜」ともいい、
京都の八坂神社の氏子なんかは
祇園祭の期間はキュウリを食べない。

八坂神社のある麓、川連の住民も
昔はこの風習に従って、きゅうりを
八坂神社に奉納した後で食べる習わしが
あったという。


お皿で魔除け⚪️

また、この地域に古くからある行事で
八皿(ヤサラ)という、変わった魔除けの
行事もあり、

この行事は、八つの皿を丸く並べて
中央にお椀を配置して九曜星をカタチにする
ものだと石橋さんが本で紹介している。

そしてニゴリ酒を注いで家の人が飲み、
最後に飲み残したお酒を家の入り口に撒き、
これで魔物の侵入を防ぐという儀式らしい。


8杯の酒にはスサノオ尊と関係のある
ヤマタノオロチの話とオーバーラップするし、
九曜星といえば九曜紋だし、
将門公とか一門の千葉氏とか相馬氏の家紋
だし、やはり妙見信仰とつながる。

羊が一匹

また古い伝承には、岩崎城は別名で
羊妙見ケ城といわれているとあり、
この当時の羊といえば、
大陸との関わりの謎を秘める羊太夫との
関わりもあるのではないかともおもわれる。


現地でゴー

龍とか、珠とか、水の女神とか、北斗七星
とか、菅江真澄とか、歴史好きには
たまらなく心くすぐられるキーワードとか、
謎が謎を呼ぶ内容がてんこ盛りの本なので、
興味のある方は是非読んでほしい。


自分的にはドンピシャど真ん中のアタリ本
である。

春になったら現地でフィールドワークしたく
なった!👣


長らく最後まで読んでいただきまして
ありがとうございます🙏

それでは!また🤚