この度、なんとメリッサのご家族のみな
さま4名と民間歴史学者のTしま先生と、
頭ハナ🌼咲き娘の計7名で、ありがたい
ことに、秋田市河辺戸島七曲にある神明社
をお参りさせていただき、
お宮の中をお掃除をさせていただいたり、
ご参拝させていただける機会を得た。


七曲台と火の神さま
  神明社の境内とか、周辺の歴史は古く、
七曲台あたりは縄文時代の遺跡なんかも
見つかったりして、縄文の火🔥の
エネルギーがほとばしるような、場所
だったのかなあと
火だけにボヤッとおもったりした。


昼近くの朝行
  9日の午前の外気温はなんとマイナス 
1℃。雪⛄️のちらつく中、由緒あるお宮
で、ご参拝できることが全くありがたい。

   寒いけど、なんてついてるんだろオレ! 
神さまとTしまセンセーとメリッサの
みなさまに感謝感謝!

  お宮では、失礼ながらも本式ではなく、
略式でご参拝させていただいた。

  なんか神さまには恐縮ですが、毎年の
恒例にしたいなとおもうくらいの、
スゲーありがたいお宮での朝行となった。

  自分、神社を持たないフリーの神主
なので、たまにとはいえ祝詞奏上の
できる神社⛩があることが、ほんとうに
ありがたい!🙏


いまここで シンクロする
   ここの神社は、メリッサのお父様の
血筋とか、Tシマセンセーとも関係して
くるという、この世は必然だらけという
が、偶然にもワタシの周りの方々のご縁
だらけのスポットなのだ。
  自分も、ご先祖さまが慈覚大師の
お弟子さんだったので、ある意味非常に
関係するスポットとなる。

  寒さで空気がリンとするお宮は、
寒さのおかげで空気はきわめて清浄。
  すがすがしく、なんかなつかしい
火だけにホッとするスポットなのだ。


  お宮の中を掃除をさせていただき
ながら、   あー神主業もいいもんだな 
とか、白い息をはきながら  のんきに
おもい、ついでに心の掃除もさせて
いただいた。

  ここもおかげさまで大好きな場所の
ひとつとなった。

  朝行といっても、ちょこっとの掃除と
大祓のコトバの奏上とか瞑想をさせて
いただくだけで大したものではない
のだが、
  日々の殺伐とした生活の中では、
かなり当たり感のある出来ゴトである。

  いつも通りのチャランポランな 
テキトーなノリト上げをさせていただき、
スゲー寒さの中で、いい気分でおヤシロ
で瞑想させていただいてた。

  なんか 濃い緑?の顔の不動明王さま
から、もったいなくも由来について一言
をいただたいた気がして、不思議なこと
もあるもんですねと、みなさまとお話し
てた。


  神宮寺の伊豆山も湯沢の岩崎八幡界隈
も、山岳密教とか山伏が修行したような 
お山であり、
  神社というか習合密教的な神様と仏様
が合体しているような感じの信仰の場所
だったはずで、
  ここ神明社も以下のような地元の伝承
があるので、その流れに沿うのだ。

  ちなみに七曲という地名も、北斗七星を
イメージさせて、妙見菩薩とか天台宗
との関わりを妄想させる。


むか〜しむかしの神明社の
伝説
  神明社さんはもともと、むかしから
お不動さんと呼ばれて安土桃山時代
というから、1500年代後半くらいに
戸島地区にいたお殿様の戸島玄蕃頭から
篤く崇敬されていたお宮であったらしく、
このお不動さんには次のような言い伝え
がある。

 その昔、京都の山科に藤太くんという
みなし子がおり、12歳の時に鞍馬山
で修行を始めた。
  鞍馬寺といえば天台宗だな。
  この藤太くん、鞍馬山のものすごい奥
にある僧正ガ谷(そうじょうがたに)
不動堂というところで、
61歳の朝鮮の流れを持つ老僧と出会い
修法の縁を得た。

ちなみに僧正ガ谷不動堂は、義経が
鞍馬天狗と出会った場所と言われていて、
平家討伐の秘宝?を授かったと 
されている場所なのだ。
奇門遁甲かな?仙道かな?

  ここには陰陽師が喜びそうな六芒星と
かがあり、強力なパワースポットらしい。
  いってみたいな!

  そもそも僧正が谷は、天台宗という
よりも、むしろ真言宗の空海のお弟子
さんの壱演さんが住んだので、僧正が谷   
と呼ばれるようになったともいわれるし、
むかしは天狗とか物怪が住むような深山
で、参籠する人もいない奥地だったのだ。

  話が脱線しちゃったが、
  山奥の不動堂にて、むかし老僧が
お守りしていたのが、燃火不動明王の
御本尊であり、慈覚大師の傑作である
という。


  老僧が亡くなった後、藤太くんは 
林正坊という坊さんネームになり、
立派に不動堂を守っていた。

  ある日のよる、林正坊の夢に燃火不動
明王がお出ましになり、
「あなたは立派だね!
  よくやっているよ!
 あなたを今後守護するよ!」
  というありがたい夢をみて、師匠の
鎮魂?のため全国を行脚することと
なった。

  この辺の唐突感がハンパないのだが、
ここら辺の推理は後回しにして、

  この不動尊さまを、長さ144センチ
の背負い籠にて背負い、重さはどの
くらいだったんだろね?
  一木造のかなりの重さのかかる仏像
じゃねぇかな?
  下のような造りだったか?


  お不動さんといっしよに、最上山寺
羽黒山、男鹿半島赤神神社、岩木山と
天台宗のキツイ山々にある結界ポイント
を参詣し、林正坊さんは河辺戸島に
入った。
  村の草道で迷ってしまい、井戸尻台で
人家を見つけて喜び、下の台に降りて
休憩した。
  この台が、いまの神明社の七曲台だ
そうな。
  その夜は近くの村で一泊しようと思い、
背負い籠をよいしょと背負おうとしても
なんでか籠が動かない。

  村人を頼んで手伝ってもらったのに
動かない。    
  大きなカブ状態になった。
  犬🐶ネコ🐱もきたのか?

  やむなく一夜を明かして、翌朝地元の
榊太夫(神道系の拝み屋か?)を招いて
祭儀を行ったところ、なんで林正坊さん
が拝まねぇんだ?というツッコミはさて
置いて、

  やっと籠が動いて、榊太夫のもとに
神が現れ、
我は大日大聖不動明王☀️であると告げ、
この地に鎮座することを命じたのだ!

  なので林正坊を別当とし祠を建てて、
不動明王とヤマトタケルのミコトを
ご祭神として祀るべしとなったらしい。
  祀るよう命じたのが戸島のお殿様か
だれだかよくわからない。

歴史の推理はたのしい!
  さてさて、戸島玄蕃頭の頃の歴史を
推理するに、戦国時代や、安土桃山時代
の京都は 戦乱に見舞われたが、鞍馬寺
の歴史を見ると、この頃の鞍馬寺は案外
順風だったみたい。
  あまりに山奥だからか!

1572年、武田信玄より戦勝の礼状が届く。
1580年、織田信長の代官より安堵状が
   届く。
1585年、豊臣秀吉より徴祖課役免除の
   朱印状が届く。
などなど

  仮に、この時期に行脚したなら、
大きな戦乱を避けて行脚したわけでは 
なさそうだけど、寺同士が僧兵を組織
して対立したりした時期ではある。

  なにかをきっかけに林正坊さん、寺の
雰囲気に我慢ならずに行脚したか?
  あるいは東北への慈覚大師の道を行脚
することに、天台的な宗教的な意味を
見出したか?
  それともお不動さんに導かれて、奥の
細道を行脚したくなったか?

  だいたい鞍馬寺自体が歴史が古いし、
いつの時代に林正坊さんがこの地にきた
のかは伝承ではわからない。

  ただ鞍馬の地では大きな火災が何度も
あったという史実があるので、
案外火災を逃れての行脚であったか?
  それで燃火不動だったりして!

  そもそもこの仏像が本当に慈覚大師の
タマシイ入れしたものだとすると、
ワタシみたいな天台好きには
相当の価値を持つものとなる。

ヒ 火 霊 日
  それにしても、お不動さんの
燃火であり、大日大聖であり、
不動明王さまそのものにしても、
火また火という感じである。

  この辺り、メリッサの方々に流れて
いるエネルギーと同じ火なので、ご縁が
あるものなのやら・・・

不動明王は顔がコワイな
  くだんの不動明王さまであるが、
  人のこと言えないが、まず
顔が恐ろしい。
  けどなんか昔から多くの人々に愛され
てるのは、現世利益感がスゲーハンパ
ないからなのだ。


  まあ現金な話ではあるが、やむを得
まい。
  この世は戦いの連続なのだ!

  不動明王さまは怨敵調伏、勝負必勝、
立身出世、商売繁盛など、この世の
ご利益を享受することができるので、
そりゃ信心を集めやすいわな。

  あーミョウオウさま 貧弱な裏神主に
宝くじとか有馬の馬券当ててくれねぇ
かなあ!


  あと、不動明王さまは大日如来の化身
とされていて、明王というのは、如来
や菩薩のように、正しい道を優しく
教えるのではなく、
  救いがたいものたちの煩悩を切るため
剣とか使うし、いろいろな明王の中でも
不動明王さまはトップの法力をもって
いるのだ。

  なので、功徳やご利益を伝える霊験談
が格段に多いらしい。

  もともとは「アチャラナータ」という
インド名で、その意味は「動かない守護
神」であり、右手の諸刃の剣は、炎龍の
巻きつく倶利伽羅剣で悪行や煩悩を
打ち砕く智慧を示し、左手に持つ羂索
けんさくは、衆生を仏の世界に引き寄
せる慈悲をあらわすのだ。


  お不動さんは自身の身を切ってまで
救いを示すところから、存外願いは叶う
が、縁も切っちゃうこともあるみたい。
  縁を切りたい人にはいいかもね。
  あと新たな出会いをもたらすともある。

チャクラとの関係
  あー!まてよ?このへん
7つのチャクラのキャロライン・メイス
さんの言っている、
  悪い執着を切り悪因縁を整理すれば
自ずと病は去り、
新たな健康と福縁をもたらすという話と
同じじゃないか!
  しかもチャクラの順位の下の方に
不動明王さまは働くという説もあるので
まさにドンピシャだな。
  スゲーなメイスさん!
つながりで、火を打ち払う草なぎの劔の
ヤマトタケルのミコトを奉ったけど、
集合密教的に最初から異ならずで奉って
いたのが正解かな?

ユーはなんで戸島に?
  なんで不動明王さまは河辺の戸島の地
に落ち着いたんだろう?
  神明社の七曲の丘にヒントがある?

  この界隈には、蝦夷の縄文時代からの
火に関わる信仰形態がはるか昔から
あって、平和に暮らしていた部族がいて、
  そのコロニーに中世くらいに、太平山
三吉信仰や出羽三山の信仰に関わった
山伏とかがきて、拠点の一つにして、
天台とか製鉄とか陰陽道とか、不動明王
さまが好みそうな信仰を持ち込み、
妙見様とかの祠なんかつくってて、
よしここに住もう!とか決めたのかな?
  あるいは、かなりのネイティブな
縄文の火の神さまが招いたのかな?

  境内に不動明王のカーンの梵字の石碑
はなかったが、出羽三山の石碑は 
あったな。

タタラとダイダラボッチと
オオダイラとサンカ
  時代的には、どうなんだろう?
  あまり詳しくはないが、近接する太平
地区とかは、古くから山伏や蝦夷の
製鉄集団やサンカなんかが活躍した場所
のひとつであるとされるらしいし、
  タタラを使う蝦夷の製鉄集団と火の神
さまはピタリとはまるし、当地には
製鉄の神であるダイダラボッチの
ダイダラとかタタラがオオエダイラに
なったという伝説とかもあるのだ。


  また、中世の物部氏や和泉氏なんかの
金堀衆の動きも関係しそうだしな! 
  この辺はTシマ先生のほうがくわしい
な。聞いてみよう。

  裏神主の直感では、この地には縄文
までさかのぼる、美しい女神さまが
おられるというのと、この女神さまも 、
もちろん火に関わる、それはそれは
古い女神さまだとおもった。

  まてよ?なんか、直会でお話しして  
いる内に、アイヌ神話が気になったのを
思い出した。

アイヌ神話を見てみよう!
  アイヌ神話では、アペ は火で アペ・
カムイで火の神と呼ばれ、一般的には
アペ・フチ「火 ・媼」あるいは
カムイ ・フチ 「神 ・媼」と呼ばれる
らしい。
  フチというアイヌ語は祖母を示し、
親しみを込めて呼ぶことばだそうだ。
  火の神はアイヌでは女性と考えられて 
きたらしいのだ。
  道北ではこれと異なり、火の神 は
アベ・オチ・エカシ (男)とアベ・オチ
・フチ (女)とが 一対となっているが、
なおフチは女性である。

  家の中の炉は火の神が座る場所であり、
燃えている火そのものが、火の神の塊
 (ラマ ッ) の顕れであるとされた。

  だから、ラ マツ フチは神の現れの女性
というコトバと取れなくもない。
  これが戸島の松渕地区の呼び名とかと
関係がある気がひどくする!

  炉の中心の火は絶やしてはいけないと
されて、妻が不注意で火を絶やすような
ことは、姦通と同じく離婚の原因とも
なったほど。
  アイヌにとって火の神は常に家の中の
炉に居座り、人々を見守り続ける存在
とされた。

  火の神が座る炉は神聖な場所と考え
られてきた。
  炉を汚すことは禁じられ、火の神の前
では悪いことはできないとされた
らしい。
  また、火の神は雷の神とともに
天上から降り立った神であることから
最高の神とも呼ばれているらしい。
  
  メリッサママのお父様がいみじくも
おしゃっていた、むかしは囲炉裏を
囲んで人びとがつどい、家族の真ん中に
火があったというコトバがなんか
しっくり来た。

  この地にいるきれいな火の女神さまに
大日大聖不動明王さん惚れちまったん
じゃね?っておもうのは人の考えか?

  古代の神の荒ぶるエネルギーを仏式に
より結界を張って調整している可能性も
あるけど、願わくば皆がなかよく
バランスをとって手を取り合って
和合するようにと、青葉神社の片倉宮司
さまみたいに願うところです。

  岩崎八幡とかも古い水神の龍神が
牛頭天王さまなどにより結界を敷かれて
いたかもしれないし、伊豆山も龍神さま
がナキサワメの神さまなどのご祭神に
より結界をしかれていたかもしれない
けど、みんな仲良く行きたいものです。

  ともかくとも、なんともめずらしい
火の女神さまに会えるし、最強の
不動明王さまもいらっしゃるので、
再度必ずご参拝したいと考えている。

  そうだ中通書店に出入りしている
野良学者の石碑調査にまたまたヒント
あるかも!
  近いうち書店に行かねば!

法力発現!
  ご参拝の後、場所を変えて、なんと
ありがたいことに、メリッサのママの
ご実家にお招きいただき、あいかわらず
図々しいなあとも自覚しながら、
みんなで楽しく直会を開かせていただ
いた。

  さっそくお不動さんのご法力で、
うれしい会が開かれたわけだ。
  まことにありがたいかぎりである。

  歴史をたどる話も面白いが、
  何より価値があるのが、生きている人
同士がなごやかにヒザを付き合わせて、
普段から交流をして、冗談をいったり
笑ったり、心配したりして、お茶飲み話
ができること。 

  これこそが、エネルギーを平均化する
魔払いすら可能とする究極のカミワザ
であり、
  人と人のつながりによるエネルギーの
魔法陣化でもあり、ストンと腑に落ちる
悟りの境地に似たものであると、
御利益のない貧弱神主は思っている。

  それにしても、なにより皆が健康で
何事もなく、おだやかな朝を迎え
られて、神サマ修行もさせていただけ
るしで、ふつうであることが
本当にありがたい!

  それではまたの機会に!