十方世界に全身を現しだす
ことができるか?について
〜無関門の竿頭進歩と
林子平と王昌齢の漢詩のお題
古神道の大先生が生前残してくれた
よくわからない禅の世界のよーな
お題が沢山あって
1000年に1人とゆー
神人が残したお題だから
なんか意味があるんだろーなー?
とかおもいながらも
わからなくてやはり
うーむと唸るばかりなんだけれども
今回は
1️⃣「竿頭進歩」
とゆー禅の公案(無関門の第四十六則)
と
➕
2️⃣「白草原頭 京師を望めば黄河水流れて
尽くる時無し秋天曠野 行人絶ゆ馬首東来
知んぬ是誰ぞ」
とゆー王昌齢の漢詩
と
➕
3️⃣「親も無し 妻無し 子無し
版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」
とゆー林子平の蟄居中の歌
の
➕
1️⃣から3️⃣を
かけて
❌
↓
「十方世界に全身を現しだす
ことができるか?」
↓
の謎かけを解こーとおもいますが
テキトーなブログですが
お暇でしたらご拝読ください🙏
※ブログが書きやすいので
🟥🧑🦲どこぞの禅宗のお坊さんと
🟦🌰ワタシの対話方式で書いてます
禅のテキストについて
🟦🌰
無関門とゆーテキストについて📕
調べてますけれども
これって禅のテキストでしたっけ?📕
🟥🧑🦲
はい!
無関門(ムカンモン)は
↓
中国の南宋時代に活躍した
臨済宗の無門慧開さんが
(ムモンエカイ:1183年生〜1260没)
編纂した禅のテキストですね!📕
🟦🌰
南宋時代か!ふるいですね!
(南宋は1127-1279:都は中国の臨安
日本だと平安時代後期あたり)
↓
道元さんが
宋で修行した時期とかぶってるし
(1223-1227入宋)
↓
無門関は中国で禅が隆盛していた時代の
テキストとゆーことですかね?📕
🟥🧑🦲
まさにそのとーりですね!
↓
古い時代の禅は
山間部で修行するよーな⛰️
都市部からかけ離れたものでしたが
↓
南宋代の中国では
禅は皇帝から厚く保護されて
都市部で隆盛したとゆー特徴が
あり
↓
学問的にも発展したり📕
都市機能と関連したり🌇
祈祷や法要が盛んに行われたり💰
宮廷で禅の講義が行われたりして📖
↓
国家や学問との結びつきが強いのが
南宋代の禅だったみたいですね!
🟦🌰
あー!
日本の禅宗も法要が手厚いのは
そのあたりからきてるのかなー?💰
↓
でも一時期だったけど
禅により仏法が深まって
日本に伝わったのでよかったですね!
🟥🧑🦲
はい!
文化も芸術も宗教も
社会的、経済的、精神的な余裕がないと
隆盛しないので
↓
まーよかったですね!
↓
そしてこのころに
過去の禅僧の言行をまとめた
公案集(禅修行のテキスト)も📕
数多く編纂されていて
↓
その中の一つが無門関になります!
🟦🌰
なるほど!
無関門に入る前に
↓
もーちょっと南宋の禅について
教えてもらってもよいですか?
南宋の禅について
🟥🧑🦲
はい!南宋の禅宗では
↓
#️⃣臨済宗と
🔵曹洞宗が隆盛していましたが
🟥🧑🦲
#️⃣臨済宗は
偉いお坊さんの作った
難解な問題を
↓
死に物狂いで解いて
悟りを得よーとする宗派で
↓
その難解な問題のコトを公案といい
↓
公案を解く禅だから
公案禅(看話禅)
というみたいですね
↓
そーゆー公案をあつめた
テキストを基にして📕
修行のシステムを構築したのが
↓
大慧宗杲(だいえそうこう)
などによる臨済宗で#️⃣
↓
大慧宗杲は
径山万寿寺(けいざんまんじゅじ)
とゆー
南宋五山の第一位のお寺で
修行した名僧でした
🟦🌰
ほー!
#️⃣コウアン禅ですか?
よくわからないので
もーちょっと教えてもらえますか?
公案禅について
🟥🧑🦲
#️⃣公案禅ですが
↓
公案は
過去の禅僧の言葉や行動(禅問答)
をまとめたもので1700則あると
いわれるもので
↓
師匠から時折与えられる
論理的な思考を超える公案を
↓
座禅の課題として
悶々と悩む修行により
工夫して解き明かすことで
↓
二元的な思考や🏴
日常的な執着や🏴
自我の壁を打破して🏴
↓
一元的な立ち位置となり🚩
ヒラメキとともに⚡️
悟りへといたる✨
↓
よーな
禅であるといえます!
🟦🌰
うーむ
道元さんの禅とは異なりますね!
🟥🧑🦲
そーですね!
↓
南宋では臨済宗のほかにも
曹洞宗も隆盛していましたが
↓
道元さんは
南宋の天童寺(てんどうじ)で
曹洞宗の禅の修行した方
になりますね!
🟦🌰
ワタシは
道元さんの教えが好きなもんだから
どちらかとゆーと曹洞宗推しですが
↓
曹洞宗ってちなみに
どーゆー教えでしたっけ?
黙照禅について
🟥🧑🦲
はい!
🔵曹洞宗は
↓
南宋の天童寺(てんどうじ)で
宏智正覚(わんししょうがく)が
教えを開いたもので
↓
その内容は
ただ座るべしとゆー
黙照禅(もくしょうぜん)
とゆー教えになっていて
↓
理屈とか言葉を超えた
本来人がもっている
仏性に気づくためには
↓
座禅に専念することでしか
気づくことのできない(正覚)
とゆー教えで
↓
これは公案による悟りを
完全否定したもので
↓
なので当時
公案禅と黙照禅は
激しく対立したよーです🔥⚔️
🟦🌰
目指すのが悟りならば
ぶつからなくてもいいのにね?🔥❌
🟥🧑🦲
はい!
#️⃣臨済宗の大慧宗杲が
🔵曹洞宗の宏智正覚らが
説いた黙照禅を
↓
悟りへの道を閉ざす
邪な禅(黙照邪師)と
厳しく批判したから
対立したんだけども❌🔥
↓
#️⃣対話を重視し🔷
公案(課題)を解く
臨済宗の看話禅と
↓
🔵ただ黙々と座る
只管打坐(しかんたざ)
を尊ぶ曹洞宗の黙照禅とでは
↓
まー
修行のシステムがちがうので
合うはずもないけれども
↓
禅宗はそもそも
激しい教えでぶつかってでも
悟りが得られるのなら大歓迎
とゆー傾向があるから
↓
#️⃣公案禅の中心に抜けていく一元性⚡️
と↕️
🔵黙照禅の静けさのある一元性は💧
↓
確かに修行のシステムは違うけど
🟥至る先は
足場の見えない光明の悟り✨
なので同じところに達するだろーし
↓
ある意味
#️⃣公案禅と↔️🔵黙照禅の
中間を見渡せば✨
↓
悟りに達しやすくなる✨
とゆーメリットもあるから
↓
互いの禅が#️⃣🔥🔵ぶつかることですら
お釈迦さまの手のひらの上にあって
↓
大きな目で見た👀
一元性に至るための🚩
禅の行法なのかもしれません✨
🟦🌰
なるほどー!
互いに切磋琢磨して
磨かれる感じですかね?
↓
ところで
この現地での南宋の禅は
その後どーなったんでしょーか?
🟥🧑🦲
中国ではその後宋の滅亡とともに
臨済禅も曹洞禅も廃れてしまって
↓
無門関のテキストも📕
現地では当に失われてしまっていて
↓
鎌倉時代に栄西さんや(臨済宗)や
道元さん(曹洞宗)などの入宋僧が
当時の最先端の禅を日本に持ち帰って📕
↓
現在の臨済宗・曹洞宗の源流となって
禅の貴重なテキストや📕
行法が残ったから#️⃣🔵
↓
まー
仏教の宝物が保全されたので🎁#️⃣🔵
本当によかったなーとおもいます❤️
🟦🌰
ホントそーですね!
ところで禅のテキストには📕
どーゆーものがありますか?
禅のテキストについて
🟥🧑🦲
そうですね!
オススメは迷わず
道元さんの正法眼蔵ですが📕
道元さんの正法眼蔵のコトはコチラ👈↓
南宋禅のテキストとしては
↓
1️⃣臨済宗の公案集の
【碧巌録:へきがんろく】📕とか
(1125年)
↓
2️⃣曹洞宗のテキストの
【従容録(しょうようろく)】📕とか
(1224年)
↓
3️⃣臨済宗の公案集の
【無門関】📕なども
(1228年)
↓
著名な禅のテキストになります📕
🟦🌰
やっと【無門関】に
たどりつきましたが
↓
ところでなんで【無関門】とゆー
タイトル名なんでしょーか?
無関門のタイトル?
🟥🧑🦲
それは無門関の序文にある
【大道無門(だいどうむもん)】
とゆー教えと関係していますね!
🟦🌰
ほー?
それはどーゆー教えなんでしょーか?
🟥🧑🦲
【ダイドウムモン】の
⬜︎大道は
真理への道で
↓
⬜︎無門は
門がないから誰でも入れるね!
という意味で
🟥また【無関門】の「関」は
↓
修行者の煩悩や執着などの
業のことをいってて🏴
↓
これを大道無門で突破する🚩
とゆー意味もありますし
🟥さらに
【無関門】の【無】には
禅の真髄を見出す✨
という意味もありますから
↓
通してみると👀
↓
【現次元】の関を滅して🏴🔥
【門:チャクラ】をぬけて🏵️
【大道:菩薩道】を歩み🌈
【無】へと至る✨
↓
とゆー禅の悟りが詰まっている
ことを表すため
↓
【無門関】とゆータイトルにしている
とゆーことがあるかなー?
とおもいますし
↓
無門慧開さんが作ったから
【無門関】とゆータイトルに
かけたかもしれませんね!
🟦🌰
なるほどー!
ちなみに【無関門】は
どーゆーテキストなんでしょーか?
無門関のカタチは?
🟥🧑🦲
そーですね!
【無門関】は
当時の臨済宗で使われた
公案という禅問答とか
↓
古則という修行の方法をあつめた
テキストとなんだけれども📕
↓
その作りは
↓
1️⃣本文がでてきて(本則)
↓
2️⃣その後に無門さんの説明があり
(評唱:ひょうしょう)
↓
3️⃣またその後にまとめの漢詩が付く
(頌:じゅ)
↓
とゆー三段のカタチになってて
↓
1️⃣本則⇒2️⃣評唱⇒3️⃣頌の流れを
1節として
↓
全部で48節でできてるものに
なりますね!
🟦🌰
うーむ…禅のテキストって難しいし
とっつきにくいイメージがありますね
🟥🧑🦲
そーですね!
↓
公案はすぐには解くことができない
非常に絶妙なバランスを要求される
ものなので
↓
一筋縄ではいかないのは確かですね!
🟦🌰
臨済宗って禅問答で有名ですもんね!
↓
ちなみに無門慧開さんについて
もーちょっとおしてえください!
無門慧開さんについて
🟥🧑🦲
いいですよ!
↓
無門慧開さんは
無門関の最初の第一則でてくる
↓
有名な公案の
【狗子仏性(くしぶっしょう)】を
6年間も悩んで
↓
その後に大死一番(だいしいちばん)
して悟りを開いた方ですね!
🟦🌰?
クシブッショウも
ダイシイチバンも
なんだかよくわかりませんね?
↓
どーゆー意味でしたっけ?
🟥🧑🦲
まずは【大死一番】は
↓
🌈大:生き生きとして
☀️死:業を燃やして
🔵一:集中して
#️⃣番:バランスをとって
↓
生の自我や執着を捨て去り☀️
仏道に精進して🌈
心を無にして🔵
心の中心で#️⃣
↓
全てを投げ打って⬇️⚫️
見えてる深淵に飛び込んで⚫️⤵️
↓
一元性に向かって✨
公案に取り組むことをいいます!
🟦🌰
なるほどー?
わかりにくいですが
真ん中に答えがある感じですかね?
🟥🧑🦲
なんともバランスが一番大事
とゆーあたりだとおもいます!
🟦🌰
ちなみに
クシブッショウもよくわらないので
おしえてもらえますか?
狗子仏性について
🟥🧑🦲
狗子仏性(くしぶっしょう)は
禅ではとても有名な公案で
↓
唐代の禅僧の
興善惟寛(こうぜん いかん)が
最初に記述した古ーい公案で
↓
その後様々な禅僧が
死に物狂いで取り組んだ公案ですが
↓
ちょっと長くなりますが
以下のよーな内容となります👇
🟩唐の時代に
中国最高の禅僧ともいわれる
趙州従諗にたいして
(じょうしゅう じゅうしん)
弟子の一人の僧が生意気にも
🧑🦲「犬に仏性があるか?
それともないか?」と尋ねて
🎅趙州従諗が
「無いね!」と答えた
とゆー公案なんだけれども
🟥🧑🦲
ちなみに仏性とゆーのは✨
↓
仏様のよーな慈悲深い性質とか🌈
生命そのものの根本的な一元性とか✨
生命が発生する大元とかをいうので
↓
文字通りならば
この【狗子仏性】の公案は
↓
犬には生命は無いね!
といってる内容になっているから
仏教的には矛盾することとなります!
🟦🌰なるほど
犬ていどなら🐕
生命ではなく機械で良くね?🤖
とゆーことですかね?
🟥🧑🦲
うーん…
文字通りにみると
↓
生命の根本的な一元性って✨
人には有る↔️犬には無い
とゆー二元性におちいります🏴
↓
すると間違った方向にいくし🏴
公案が解けないから🏴
↓
この公案を解くには🚩
後述するけれども
よほど注意して
↓
バランスを⚖️心がけて
↓
真ん中の答えを見つけ出すのが🌀
大事だったりします!✨
🟦🌰
うーむ
よくわからないので
ぜひ解説してほしーですが
↓
まーバランス力が問われるワケですね?
↓
ちなみになんで
このクシブッショウを
無門さんは第一則に据えて
重要視したんでしょー?
🟥🧑🦲
はい!
この第一則には
↓
【無】とゆー
禅の教え全般に共通する
主題が秘められているから
だとおもいます
🟦🌰
【無】だから0️⃣とか無い
とゆーことでいいですよね?
有ると無いの間
🟥🧑🦲
はい!↔️いいえ!
🟥禅では
【無】は根本的なテーマであり
↓
決して単なる
二元性の有無ではなくて🏴
↓
有↔️無の対立を超えた
それらを包括するような❤️
↓
絶対的な根源としての✨
一元性に立ち返るよーな🌀
↓
ギリギリのバランスの🌀
中観のよーな立ち位置
の無であり⚖️
↓
無門関において天才の趙州は
↓
この無を理解するのが
↓
禅を理解する
はじめの要であり
↕️
おわりの到達点でもあり
↕️
究極のバランス点である
と述べているので
🟥無によって
↓
思考と感性の中間
に落ち着いて⚖️
↓
未来と過去の時間も
今に引っ張ってきて🕰️
↓
一厘のバランス点で✨
キュッとする🌀❤️✨
のが
↓
この第一則の
【狗子仏性】のポイントで
↓
ここが全ての
公案を解く鍵となるので🔑
↓
【狗子仏性の鍵】🔑
とか呼んでおいて
↓
アナタが知りたがっている
【竿頭進歩】の公案を
解き明かす際に🔑
↓
この【狗子仏性の鍵】🔑
を使ってみたらいいと思います
🟦🌰
ほー?
なるほどー❤️
↓
ならば
もーちょっと
クシブッショウについて🔑
教えてください!
キーポイントの狗子仏性🔑
🟥🧑🦲
いいですよ!
↓
【狗子仏性】で
趙州従諗がいうには
↓
もともと仏教では
全ての生物に
根本的な一元性が(仏性)が有る
といってて✨
↓
一切衆生悉有仏性
(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
とゆー立ち位置が説かれているけど
↓
その立ち位置なら
トーゼンに犬にだって
↓
仏性は【有る】✨
とゆーロジックになるから
↓
生意気にも弟子が
天才趙州従諗に対して
↓
🧑🦲「トーゼンに犬にも仏性が有る✨
とゆーロジックになってますよね?」
と腑に落ちていない知識だけの
問いかけになってて
↓
これに対して
🎅趙州従諗が答える
「無いね!」には
カンタンにいかない
複雑な意味があって
↓
お前の言う【有る】は
犬と人と線引きしてるし✏️_
↓
犬にも有るし人にも有る
という知識だけの【有る】
とゆーロジックや
二元性のワナにハマってるから🏴
↓
それと反対方向にある🚩
一元的な大元に還すために♻️
あえて【無い】というよ!
↓
とゆーよーに
【無い】と答えるコトで
↓
外に向かった心を🏴
内側に向けるよーな🚩
内容になってます
🟦🌰
うわ〜!メンドーですね!
イヌに仏性があるのかないのか🐕
どー答えるのが正解なんでしょーか?
【狗子仏性】のこたえ🔑
🟥🧑🦲
はい!
犬と人を線引きせずに✏️❌
↓
有るでも無いでもない中間で
のべーっとぼんやりして♨️
一元性の悟りにいたるため🚩
↓
⬜︎物質⇒犬↔️人
⬜︎仏性⇒有る↔️無い
⬜︎悟り⇒バランス
↓
の並びの公案を
クリアしなければならないのですが🔑
⬛️現次元で
生命はすべて同じである
と強く意識する☀️🚩❤️🐶🧑🦲
🟥そして心の内側へと向かい🚩
一元的な立ち位置で
時空間をキュッとさせる❤️🌀
🟥すると生命が出てくるあたり❤️⬇️
生命が還っていくあたりは🌀⬆️
有無の中間の循環するカタチ♻️
であるのがみえてくる
🟨そのよーな循環する中で♻️
現次元が有ることとなり❤️⬇️
高次元へと還元していく🌀⬆️
流れを直観できるので⚡️
現次元は愛でできていて❤️⬇️
みんな同じモノで🎁
愛に還っていくもの🌀⬆️
↓
それが
悟りの意味や命の意味だと
わかるから
↓
ロジックにはまってるヒマはないし🏴
愛を解き明かし❤️
みんな同じくなるよーにして🌀
↓
犬と人も皆同じ仲間🐶🧑🦲❤️
この世で人を癒し❤️
楽しくやることで🌀😆
悟り⇒神様の宿題を解く
ことができるね!🎁🔑
↓
とゆー回答になりますし!
↓
そこに至るよーに
弟子を全体性に組み込むよーに🌀
仕向けるために🚩
↓
弟子の中でも腑に落ちるよーにする
ダイナミックな公案となっているのが
【狗子仏性】のすごいところですね!
🟦🌰
なんだかよくわからないけれども
↓
わからないのが答えとゆー感じですかね?
ビミョーなバランスを楽しむ
🟥🧑🦲
禅では
究極の心のバランスを⚖️
試されるので
🟥🧑🦲
バランス感覚がむずかしー
とゆーのは
まーありますけれども
↓
まずは
二元性の固定観念を外して🏴⇒🚩
↓
心の奥底の大元に還る道:
菩薩道を歩んで🚩🌈
↓
そのよーにして
腹の底や深淵を覗くと⚫️👀
↓
虚無ではない⚫️
有無という相対的な考え方でもない🏴
↓
対立的概念の一切ない🚩
究極のバランス点の🌀
中観に至るから✨
↓
そこでこそ
様々な争いは解消されて🚩
↓
無我無心の境地にいて
心が真に自由になって
心の平安が得られる
ことになるから
↓
ビミョーなバランスを
楽しみながら
↓
本当の自分の仏性も
一元的なものである✨
と悟ることができる
↓
とゆー教えになってます!
🟦🌰
なるほど!?!?
🟥🧑🦲
そしてムモンエカイさんは
第一則の最後の漢詩で(頌)
↓
「纔渉有無 喪身失命
(わずかに有無に渉れば
喪身失命す)」
と書いていて
🟥🧑🦲
纔渉有無のイミは
↓
ほんのわずかでも
有↔️無という相対的で
二元的な感覚におちいれば
とゆー意味で
🟥喪身失命のイミは
↓
自分の本来の姿である
仏性を失い✨
禅の命を失ってしまう
↓
と注意喚起してるみたいですね!
🟥🧑🦲
なので
無心になり🔵
すべてを包み込む❤️
すべてを救う慈悲心が🌈🌀
禅の世界観であるとゆーこととなり
↓
禅の修行はバランスが大事だし⚖️
↓
天地と我は同根であり❤️
万物と我は同一体となるもの🌀
↓
その修行が
禅であるといってるよーですし
↓
このあたりは道元さんの解説する
↓
色即是空🌀⬆️
空即是色とも❤️⬇️
一致する内容ですね!
🟦🌰
なるほどー!ちなみに
道元さんは狗子仏性に対して
どーゆー答えをだしてましたっけ?
道元さんなどの回答
🟥🧑🦲
道元さんは
正法眼蔵の「仏性」巻などで
【狗子仏性】については
↓
単なる「有か無か」の二元論を否定して
いて🏴
↓
狗子(犬)の
存在そのものが
「無」であり
その無自体が仏性である
といってて
↓
これは
仏性とゆーのは
すべての存在に
当たり前に備わっている
静的に受け取るだけのもの🏴
ではなくて
↓
日々鍛錬して
修行して現れる
救済と癒しと楽しみの先にみえてくる
↓
循環するよーな♻️
昇降するよーな↕️
動的な愛のかたまり✨
のよーなものとして捉えていて
↓
したがって犬にかぎらず
↓
愛のあるものは❤️
愛に向かって生きて❤️⬇️
愛とともにあり✨❤️
愛に還っていき🌀⬆️
愛をプレゼントで残す🎁✨
↓
そーゆー
今の今時空間が
キュッとするよーな
瞬間の存在全般が
仏性の現れである✨
と説きましたので
↓
まー
さすが天才とゆー感じですね!
🟥またあとででてくる
王昌齢の漢詩とも
かかわるものとしては
↓
趙州真際禅師語録(趙州録)とゆー
語録に出てくる
「狗子仏性無話」では
↓
弟子問う
「狗子にも還はた仏性有りや。」
師云く
「家家の門前、長安に通ず」
↓
すべての門前の道は
長安に通じていると説く
(何者も仏性を持たぬものはない)
↓
とゆー天才趙州の表現もありますが
↓
このあたりも
今後の公案の解読に
役立つものとなりそーです🔑
🟦🌰
どうもありがとーございました!
鍵をもらった感じですね!🔑
よーくわかりませんでした
↔️よくわかりました
とまー
ブログが長くなりましたので
また続きを書きますので
よろしければご拝読ください!
最後までお付き合いくださいまして
誠にありがとうございます!
ご縁に感謝いたします⭕️
それでは!また👋














