遠藤周作さんの小説「沈黙」を原作とする「Silence」という映画を見ました。
江戸初期、厳しいキリシタン弾圧下の日本に潜入したポルトガル人宣教師が、日本人信徒たちに加えられる凄惨な拷問を目の当たりにして、神に、救いを求め、祈る。
いくら祈っても、なぜ神は、「沈黙」し続けるのか。
神は、「沈黙」しているのではない。踏絵を踏まざるを得なかった弱い人間と共に苦しんでいる。
私には、難解ですが、人間は弱いからこそ神に愛される、ということのようです。ならば、私は、神様に愛されまくり??
昨秋のことですが、奈良県生駒の周辺の城、北田原城と田原城をめぐる歴史ハイキングに参加しました。
北田原城跡には、関西電力の鉄塔が立っており、その建て替え計画に伴って、新たな発見も、あったそう。
城跡に向かっている途中に、そこだけ江戸時代なのかと見紛う独特の雰囲気を醸しだす墓地がありました。
その付近で、十字が彫られた墓碑も、見かけました。
そのあと訪れた田原城跡。田原城主の田原礼幡(レイマン)は河内キリシタンの代表格の人物で、出土された現在確認されている日本最古(1581年)のキリシタン墓碑は、禁教令での破壊を恐れて、誰も近寄ることのない土塀の下に移し、埋めて隠してあったそうです。
田原礼幡は、1575年、織田信長に挨拶に行っていて、礼幡が亡くなった翌年の1582年、本能寺の変があった、、、そうか、昔々、習った、フランシスコ・ザビエル。日本に初めてキリスト教を伝えたのが、1549年。礼幡が洗礼を受けたのが、1574年、、、少しだけ、私の頭の中で、歴史の点と点が、繋がりました。