十二神将の章 | Just One of Those Things

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十二神将は、天部に属し、薬師如来の眷属(けんぞく)の十二夜叉(じゅうにやしゃ)をさします。



十二神将とは薬師如来の眷属である十二夜叉の総称で、別名を十二薬叉大将(じゅうにやしゃたいしょう)、十二神王ともいいます。



玄奘(げんじょう)訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経(やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう)』では、釈迦が薬師如来の本願と功徳について説法を行ったとき、感動した12の夜叉が各自7000の眷属を従えて、「今後、この経の流布する所、さらには薬師如来の名号を唱える者があるならば、これを守護して一切の苦難を除くとともに諸々(もろもろ)の願を成就させよう」と、声をそろえて誓ったといいます。



その12の夜叉を名前にあげると、以下のとおりであります。


宮毘羅(くびら)・伐折羅(ばさら)・迷企羅(めいきら)・安底羅(あんちら)・摩に羅(まにら)・珊底羅(さんちら)・因達羅(いんだら)・波夷羅(ばいら)・摩虎羅(まこら)・真達羅(まだら)・招杜羅(しょうとら)・毘羯羅(びから)です。



ちなみに、わが国・日本の十二神将の造像は奈良時代までさかのぼり、現存最古の作例として奈良・新薬師寺の塑像(そぞう)群が有名でありますが、これに先行して、奈良・薬師寺金堂本尊(白鳳時代)の台座の四方にもうけられた窓枠から姿を見せる合計12の夜叉を、十二神将の最も古い例とみる説もあります。



なお、わが国の造像例は、唐風(とうふう)の甲冑(かっちゅう)を着けた姿(神将形)が多いですが、先にあげた『薬師瑠璃光如来本願功徳経』には十二神将像の形についての言及がなく、具体的な形が説かれるのは、中国・元(げん)代に沙ら芭(しゃらば)によって漢訳された『薬師瑠璃光王七仏本願功徳経念誦儀軌(ねんじゅぎき)』においてであります。


とすると、当初の十二神将の造像は、経典・儀軌等の規制を受けず、比較的自由に創作が行われたものとみなされるでしょう。



ただし、平安時代末期ころになると、定型化の方向が進んだようで、『覚禅鈔(かくぜんしょう)』が収録する十二神将の「世流布(せるふ)像」はそのことをよく示しているといえるでしょう。