四天王(2) | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

四天王 』より。



その姿は、インドでは上流貴族の姿で、表情も柔和に表されましたが、中央アジアを経由して中国へもたらされたころには、しだいに甲冑(かっちゅう)を着けた武人の姿へと変化しました。


わが国・日本においては、いずれも忿怒形(ふんぬぎょう)の武人の姿で表されることとなりました。



ちなみに、わが国では現存最古の作例として、奈良・法隆寺金堂四天王像(飛鳥時代)が有名でありますが、以後、この法隆寺金堂四天王像にならい、「広目天(こうもくてん)」が筆と巻物をとり、「多聞天(たもんてん)」が宝塔を捧(ささ)げ戟(げき)を手にするという伝統が形成されていく一方で、「持国天(じこくてん)」・「増長天(ぞうちょうてん)」の2天は比較的自由な造形が行われたと考えられています。



なお、信仰的には、四天王を本尊として息災のために修する四天王法があり、わが国では、『金光明経(こんこうみょうきょう)』に説かれるところから、古くから尊崇されました。


しかし、多聞天(毘沙門天)を除くと、各尊を単独に信仰することはなかったようであります。