弁才天(3) | Just One of Those Things

Just One of Those Things

Let's call the whole thing off

弁才天 』から『弁才天(2) 』より。



一部の弁才天は、蛇を従え、財や富をもたらす女神ともいわれています。



弁才天といえば、美と智慧と音楽の神として知られています。


そしてまた、鎌倉の銭洗い弁天のようにお金を増やしてくれる神でもあります。



弁才天は、インド神話において「サラスヴァティー」と呼ばれます。


もとはインドのサラスヴァティーという河を神格化したもので、穀物を豊かに実らせる河の神です。


サラスヴァティーは水多き地といった意味で弁才という意味はありません。


弁舌の神ヴァーチと結合して同一視され、弁舌、学問、音楽の神となったとも、川の流れのすずやかで美麗な音から美音天、弁才天と訳したともいわれています。


日本の弁才天信仰は奈良時代に始まりますが、単独に祀られるようになったのは、中世になって財と福の神としての性格が加わってからであります。


七福神の一神として数えるときには「弁財天」と、「弁才天」を「弁財天」に書いて、財と福をもたらす女神であることが強調されています。



弁才天は、神道では「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」と同一視されています。


また、仏教では観世音菩薩の化身だとも考えられています。


また、梵天の妃であるとも娘であるともいわれています。


弁才天が福の神の仲間入りをしたのは、弁才天が蛇を使いとして用いることに由来しているとも考えられています。


蛇は洋の東西を問わず財宝の守護神であり、弁才天の福の神としての一面は、蛇に対する信仰の方から強められていったのだろうと推測されています。


もっとも、インドの最古の聖典『リグ・ヴェーダ』には、この神に関して「世界の富を知る」・「富を伴侶とする」などと述べられており、はじめから福や富の神としての要素は持っていました。



江戸時代になって、十二支の蛇、すなわち巳の日に弁才天の守り札が出され、その霊験あらたかなことが大いに宣伝されたために、弁才天信仰が民間に広まりました。


それ以来、巳の日は弁才天の縁日となりました。



近江の竹生島弁天、相模の江ノ島弁天、安芸の厳島弁天、陸前の金華山弁天、大和の天河弁天を「五大弁天」といい、今でも広く信仰されています。


もともと水の神であることから、水辺に弁才天を祀るのが一般的ですが、高野山のように、最高峰に祀っている例もあります。



通常、弁才天は琵琶を持った女神像として知られていますが、8臂(8本の腕)に武器を持つもの、あるいは人頭蛇身の弁才天もあります。



弁才天に関する奇瑞(きずい)はいろいろと伝えられています。


その一つ、江ノ島の伝承によれば、かつて江ノ島は海で、そこに悪龍が住み着き人々を苦しめてしました。


ところが、欽明帝のころ大地が震え動き、海上に孤島が浮かび上がりました。


その島に弁才天が降臨し、人々に災いをもたらす悪龍を退治したといいます。