仏像の誕生と伝播 | Just One of Those Things

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仏教徒がその信仰にもとづく造形活動を開始したのは、釈迦の遺骨を祀ったストゥーパ(仏塔)の造立でありますが、ここですぐに仏像が製作されたわけではありませんでした。



釈迦がはじめて具体的な姿、つまり仏像として登場するのは、1世紀中ごろのガンダーラ地方(現パキスタン)においてであります。


インドから北へ向かった仏教文化と東漸(とうぜん)したヘレニズム文化が融合し、神像を人間的な姿でつくるギリシャ・ローマの造形技法の影響を受けて、はじめて人間的な姿の仏像が誕生したのであります。



その後、2世紀には、マトゥラー(現インド北部)でも仏像がつくられはじめ、ガンダーラ仏の西方色の強い様式に比して、純インド的な表現が行われました。



さらに、マトゥラー仏は、5世紀にサールナート(現インド北部)を中心として、均整のとれた美しい体軀(たいく)と薄く等間隔に刻まれた衣のひだの表現をもったインド仏像彫刻の完成形ともいうべき仏像様式に展開しました。


やがて、こうした仏像様式は、仏教の伝播とともに周辺諸国へ波及しました。



インドからの仏像の伝播は、南インドを経てスリランカ、さらには東南アジア諸国へといたる海上ルートと、インドから北へと伝わり、シルクロードを経由して東伝するルートとが大きな流れでありますが、さらに時代が降り、7世紀、後期密教のころには、チベットへも伝えられました。



わが国・日本へは、インドからシルクロードを経由するルートにより、中国・朝鮮半島を経て伝わりました。


中国に仏教(大乗仏教)が伝わったのは、2世紀ころで、北魏(ほくぎ)時代には大規模な仏寺や石窟(せっくつ)寺院が造営され、唐時代には仏像の表現に人体の理想美が追求・反映されました。



こうした中国の仏教様式は、朝鮮半島やわが国・日本にも伝えられ、それぞれの国ではまた独自の様式を発展させて、仏教美術の花を咲かせたのであります。