如来 | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

如来とは、サンスクリット語のタターガタの略語で、「真理より来た者」「真実に赴いた者」「真理に到達した者」などの意味を持ちます。


仏教の真(物事の成り立ちや、ありのままの物理の実)の悟りを得た者という意味で、仏といい、ブッダないし仏陀とは知恵者(智慧を得ている者)という語と同義であります。



仏教が成立した当時は、如来となったのは、歴史上実在していた「釈迦牟尼(しゃかむに)」(釈迦族の聖者、という意味で略して釈迦ととばれる)のみでありました。


釈迦は紀元前7~5世紀頃に、現在のインド・ネパール国境付近の釈迦族の王子として生まれ、幼少時代を何不自由なく恵まれた境遇で、内省的ともいえる繊細なアイデンティティを抱えながらも日々を送りました。人生の苦悩について深く考えていた王子は、自身の子が誕生した後、29歳のときに世の中の問題の解決策を求めるに、解脱を求めて出家しました。


仙人について教えを乞うたり、断食をしたりと苦行を行いましたが、結局解脱に至らず、35歳のときに苦行を捨てて尼連禅河のほとりの菩提樹の下で瞑想に入り、悟りを開きました。


その後、梵天の問いをきっかけに、その後、80歳で入滅するまで各地で説法を行い、多くの衆生に仏教の真の悟りを説きました。


ここでは簡潔に説明しているので、簡単に成し得たように見えてしまうでしょうが、実際はずいぶんと大変だったようです。


ブッダの人や思想については中村元著作の書籍でこと詳しく述べられています。


それまで口伝であったため、釈迦の滅後、十大弟子の一人の呼びかけから、その説法を実際に聞いた人々が集まり、ブッダの教えをまとめようという動きがおきました。その過程で、多くの経典が編纂されましたが、十大弟子が関わったのは第一回目のときまでで、それ以降は十大弟子は関わらずに編成されました。


ブッダの教えが根付かずであることをアーナンダが嘆いていたという話によると、編成されていく中で、さまざまな思想が入り乱れてのものであるのも事実、あったようです。


衆生を真の覚りに導くために語られた様々な仏、菩薩のことが、その中に記述されています。