『明王 』から『明王の役割 』より。そして『明王の形 』…と見てまいりました。
しかしながら、実際の作例に目を向けてみると、インド・中国・日本というそれぞれの地域性、或いは、それぞれの時代というものを超越して、明王における異形・憤怒の表現は、たんに相手を威嚇・屈伏させるものではありません。
その姿は、あくまでも迷える衆生を救い、仏の教えに導くという究極の目的のための手段に過ぎない、ということが言えます。
即ち、明王の造形化に際して、作家たちに求められたのは、いかに異形の相(憤怒の相。或いは、怒りの表情など)の中に、仏の慈愛の心をにじませるかにありました。
そのことは、作家それぞれの明王に対するイメージの表現へとつながり、同じ尊であっても、画一的でない、個性豊かな作例を多く生み出すことになったのです。