今日、子供と一緒に元姑のところに行ったら、彼女はえらく怒っていた。その理由はこうである。

数日前、バスの中で近所に越してきた中東人と乗り合わせた。イラン人だかイラク人だか知らないが、その男は隣町の大手製薬会社に勤めている。元姑がかなりボケが入ってきた元舅と一軒の家に二人で住んでいるのを知って、その男は高齢者用のアパートに引っ越したらどうかと言ったのだそうだ。年を取ってくると掃除や食事を作るのも大変になるし、そういう高齢者アパートにはホテルのように居住者交流の場所や食堂があり、Social gemenskap、つまり社会との繋がりができるから、というのだ。

それを聞いて元姑は激怒したプンプン。彼女らはその地域に40年ぐらい住んでいて、近所関係も良好、子供や孫、親戚も遊びに来る。

「家を所有している者に向かって、年とってるから引っ越せなんて、なんて生意気なことをいうんでしょうパンチ!

中東人にとっては、年寄りは子供と同居して当たり前、それをしないスウェーデン人の年寄りは、特別施設に入るべきと思っているのだろう。それに、「スウェーデンの高齢者は孤独である」というメディアの刷り込みもある。その中東人は、元姑が孤独で何日も誰とも話さないので社会との繋がりを作る場所が必要だと考えたのだろう。
しかし、意に反してその発言が元姑の怒りをかって驚いたのか、元姑はそれ以来彼の姿は見かけないというから、私はおかしくてたまらない。

ああ、そういえば、私にもそういうことがあったな。在宅の仕事ばかりしていた時、私が外国人なので、一日誰とも話さないだろうと心配していた馬鹿男がいた。それを言われたとき私も激怒した。まったく余計なお世話だ。

どうしてそんなに腹が立ったのか分析してみると、それは、「年寄りだから」「外国人だから」という弱者を救済してあげよう的上から目線を感じるからではなかろうか。

元姑はけっこう交友関係広いし、私は一人でいるのが大好き。身寄りのない老人や望郷の異国の花嫁がいつも孤独で涙に暮れているみたいなステレオタイプで私たちを括ってほしくないんだよな~

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