新しい法王ベネディクト16世の言葉だそうです。
愛は依存ではなく、私たちを生かしてくれる贈り物です。
なるほどなあ。
どういうとき夫または妻がいてよかったと思うかといったら、やはり相手の「頼りがい」を感じたときではないかと思う。
相手がいても何の頼りにもならない、と思ったとき、浮気心を越えて別れ心がむくむくと動き出すのでは。
経済的に頼りにならない
子育てや家事に協力してくれない
相手の家事内容に不満である
相談しても取り合ってくれない
自分の意見がまったく取り上げられない
いつも留守 ・・・ などなど。
これでは自分が生かされているとは感じられない。
もちろん「愛は依存ではない」と言うからには、自分も相手を生かすために、つまり相手のためになることをしてあげるために、行動を起こさないといけないのだけれど。それは一方的な犠牲ではなく、「お互い様」でなくてはいけないし、また互いに負担になるもたれかかり方ではなく、互いがより幸せになるよう、向上するような助け合いでなくてはいけないのだ。
考えてみよう。自分は相手に生かされているか、そして自分も相手を生かしているか。