知久寿焼君とのツアーが4月13日(月)から始まります。栗コーダーカルテットが誕生するきっかけとなった知久君と一緒にツアーをするのは初めてです。名古屋周辺の方、関西の方、この貴重な機会をぜひお見逃しなきようにお願いしますね!本当におすすめですから。京都はまだ席の余裕があります。名古屋はチケットぴあの販売は終了しましたが、店売り等のチケットはまだあります。

さて、3月28日に座・高円寺で同じ顔合わせのコンサートがありました。当日のパンフレットにちょっとした一文を寄稿したのですが、知久君と栗コーダーカルテットの馴れ初めを知っていただけたらと、ここに再録してみたいと思います。


「知久寿焼と栗コーダーカルテットの覚え書き」

今から21年前の1994年4月5日のこと、栗コーダーカルテットの結成のきっかけとなる出来事がありました。サックス奏者梅津和時さんのセッションライブが終わった後の打ち上げの席で、その日のライブに出演していた知久君と僕、そして聴きに来ていた栗原、川口がひとつのテーブルに顔を合わせたのです。そして、よもやま話の中で知久君はリコーダーの音が好きだということが判明して、知久君の歌の伴奏をリコーダーでやったら面白いのではないかという話が持ち上がりました。それはまさに絶好のタイミングだったと言えましょう。というのも、前年から栗原、川口、関島は、一緒にサポートしていたハイポジ(もりばやしみほと近藤研二のユニット)のライブで音色の素材としてリコーダーを使い始め、12月には栗原が最初の木製リコーダーを購入、年が明けてハイポジのアルバムでリコーダーアンサンブルを使った曲を録音、ちょっとしたリコーダーブームがきていたからです。

その後、ハイポジの近藤が参加してカルテットの体裁が整い、7月15日に決定した「知久寿焼と栗コーダーカルテット」のライブに向けて猛練習を始めました。ライブの後の打ち上げの席で面白いことを思いついて盛り上がるのはよくある話ですが、たいていはお酒の席の与太話として終わり、翌日になると忘れてしまうのが普通です。このライブが実現に至った理由は、栗コーダーの4人が知久君とはぜひ共演してみたいと考えたことに加え、栗原が自分のアレンジを発表する場を作りたいと前年くらいから考えていたため、とても勢いがあったということもあると思います。最初の知久君とのライブのアレンジはすべて栗原が書き下ろしていますが、そのこともあってか、かなり凝ったアレンジが多かったように感じます。当時のアレンジは僕がテューバを吹くことはあるものの基本的にリコーダーのアンサンブルが中心、知久君がギターを弾くので近藤は全くギターを弾かずほとんどリコーダーのみ。リコーダーパートの割り振りも曲によって変わるなど、最近とずいぶん違っているのが今となってはかなり新鮮です。そして、栗原のメロホンや川口のバスクラが音色の変化をつけていました。

今回の再演にあたり久しぶりに音を出してみましたが、今の自分たちにも難易度の高いフレーズも多々ありました。それが当時うまくいったのは、少々へっぽこな音色も面白がってくれる知久君の嗜好と、立ち入ったアレンジも許容する知久君の楽曲の器の大きさが幸いしていたのでしょう。その後に栗コーダーカルテットを長く続けられた要因は、最初に一緒にやったのが知久君だったということが大きいと思います。

1994年7月15日の「知久寿焼と栗コーダーカルテット」のライブから20年が過ぎました。栗コーダーカルテットの4人と知久君、今でも元気に音楽を続けていて、また一緒に演奏できるのはとてもうれしく、そして楽しみなことです。時がたっても、一緒に演奏してのワクワクする感じは最初にやった時と変わりません。本日は栗コーダーカルテットのまさに原点の音をお楽しみ下さい!

栗コーダーカルテット 関島岳郎