ライブ写真追加してみました。
月とくればウサギ。
近藤君の記事に続けてる感じですかな。
地元開催の先輩として、心中を察するところでもある。
そういえば、ぼくも地元開催でやりたかったことあったなあ、
などと、次回の浜松公演を夢みてたりする。
南青山マンダラに向かう途中で
変なパイを入手。
で、会場に着きました。
今回、久しぶりに率いられてみた。
かつて、17、8年前からの数年間は
栗原さんの笛ブームに率いられて、
栗コーダーが進められていたのだが、
いつからか、イベントごとに船頭が入れ替わって、
率いたり、率いられたりするようになった。
未だに、たぶんウェキペディアなどでは、
栗原率いる~と書かれてたり、
最近では、5000 SONGSって本で、
松前公高くんが栗コーダーを取り上げてくれて、
その中で、久しぶりに栗原率いる~と紹介されている。
結成当時の我々を知ってる人ほど、その傾向が強く、
10周年記念のベスト盤の解説でも野村辰寿さんが、
栗原率いる~と書いてます。
バンドにおける率いる問題は案外根深く、
私はかつて、その件で揉めてバンドを
解散したこともあります。
実は率いられる方が楽なんですよ。
なので、率いられていないのに、率いられてる
ってされると、え~こんなに大変なのに~、
率いられてるなら、もっと楽出来るってばさ、
なんて気持ちになるのであった。
率いてる人がいないってことは、みんなで物事を
考えるってことで、時間も労力もかかるんだよねえ。
それによってチカラのあるものが出来上がるんだけど、
一方、強力なひとりに率いられている形態も、
それはそれですごいチカラが出たりするんだよねえ。
なので、栗コーダーは出来る限り、担当性にして、
各人がチカラを発揮しつつ、協力もできるという
システムで進んでいるのであった。
バンドのメンバーとしての立場で率いられるのと、
サポートメンバーとの違いは何かって
はなしも深めると深まる話で。
また別のテーマとして、ジャズにおけるバンドの
概念とロックにおけるバンドの概念も大きく
違う気がする。
あっしは古い人間なんでござんして、
バンド、って言ったからには家族も同然~
的になっちゃうんだよねえ。
渋さ知らズと栗コーダーはそれぞれすでに
家族同然とも思ってますがね。
さあ、デビューライブを果たした矢口バンドは
どこに向かって行くのでしょうか。
ことMCに関しては率いられ切れずに、今回は
口を挟んでしもうた。
このところ人前で話す事に慣れちゃったからねえ。
矢口さんの緊張が伝わり過ぎて、もっと早く
ちゃちゃ入れてたら良かった気がするのう。
あと、慣れたっていえば、うまい演奏家がいる場所、
その彼らに聴かれている状態で、自分が演奏することも
ずいぶん慣れたなあ。彼らとは別物って思わないと、
そんなのビビってやってらんないですからねえ。
吉沢先生と一緒になんか、とても演奏できませんわ。
Darieさんと矢口さんとトリオで演奏してるってこと、
それ自体が恐れ多くて。
芸大卒のミュージシャンたちと対バンでも、もう安心。
(写真はアンコールの共演部分)
打ち上げのとき、彼らは何か、ほめるところを探してくれます。
今日もなんだか褒められちゃった。
いい年まで、演奏を続けていると、そんないい目に遭う事が
増えてきますなあ。
さて、ヨーロッパとのやりとりもそろそろ華僑、
いや佳境。別府とのやりとりもまた然り。
ライブから戻って、ついさっきまでもメールのやりとり。
もちろん、ライブに向かう前もメールのやりとり。
気持ちは完全に制作サイドであります。
ぜんぜんミュージシャンモードに戻れない。
そんな中で、人に誘われて音楽をしているときは、
実にありがたく、率いられ、演奏しております。
なかなか演奏、それ自体に集中できる状況って
少ないんだなあ。
このバンド始めて楽器がうまくなった気がする。
ウクレレも、サックスも。
でもって、ツアーに出ちゃうと、また演奏者の気持ちに
戻れたりするわけで、明日からが楽しみだったりする。
楽器が日に日に体に馴染んでいくのって気持ちいいんだよね。
ミュージシャンっていい仕事だな、なかなか。
川口
月とくればウサギ。
近藤君の記事に続けてる感じですかな。
地元開催の先輩として、心中を察するところでもある。
そういえば、ぼくも地元開催でやりたかったことあったなあ、
などと、次回の浜松公演を夢みてたりする。
南青山マンダラに向かう途中で
変なパイを入手。
で、会場に着きました。
今回、久しぶりに率いられてみた。
かつて、17、8年前からの数年間は
栗原さんの笛ブームに率いられて、
栗コーダーが進められていたのだが、
いつからか、イベントごとに船頭が入れ替わって、
率いたり、率いられたりするようになった。
未だに、たぶんウェキペディアなどでは、
栗原率いる~と書かれてたり、
最近では、5000 SONGSって本で、
松前公高くんが栗コーダーを取り上げてくれて、
その中で、久しぶりに栗原率いる~と紹介されている。
結成当時の我々を知ってる人ほど、その傾向が強く、
10周年記念のベスト盤の解説でも野村辰寿さんが、
栗原率いる~と書いてます。
バンドにおける率いる問題は案外根深く、
私はかつて、その件で揉めてバンドを
解散したこともあります。
実は率いられる方が楽なんですよ。
なので、率いられていないのに、率いられてる
ってされると、え~こんなに大変なのに~、
率いられてるなら、もっと楽出来るってばさ、
なんて気持ちになるのであった。
率いてる人がいないってことは、みんなで物事を
考えるってことで、時間も労力もかかるんだよねえ。
それによってチカラのあるものが出来上がるんだけど、
一方、強力なひとりに率いられている形態も、
それはそれですごいチカラが出たりするんだよねえ。
なので、栗コーダーは出来る限り、担当性にして、
各人がチカラを発揮しつつ、協力もできるという
システムで進んでいるのであった。
バンドのメンバーとしての立場で率いられるのと、
サポートメンバーとの違いは何かって
はなしも深めると深まる話で。
また別のテーマとして、ジャズにおけるバンドの
概念とロックにおけるバンドの概念も大きく
違う気がする。
あっしは古い人間なんでござんして、
バンド、って言ったからには家族も同然~
的になっちゃうんだよねえ。
渋さ知らズと栗コーダーはそれぞれすでに
家族同然とも思ってますがね。
さあ、デビューライブを果たした矢口バンドは
どこに向かって行くのでしょうか。
ことMCに関しては率いられ切れずに、今回は
口を挟んでしもうた。
このところ人前で話す事に慣れちゃったからねえ。
矢口さんの緊張が伝わり過ぎて、もっと早く
ちゃちゃ入れてたら良かった気がするのう。
あと、慣れたっていえば、うまい演奏家がいる場所、
その彼らに聴かれている状態で、自分が演奏することも
ずいぶん慣れたなあ。彼らとは別物って思わないと、
そんなのビビってやってらんないですからねえ。
吉沢先生と一緒になんか、とても演奏できませんわ。
Darieさんと矢口さんとトリオで演奏してるってこと、
それ自体が恐れ多くて。
芸大卒のミュージシャンたちと対バンでも、もう安心。
(写真はアンコールの共演部分)
打ち上げのとき、彼らは何か、ほめるところを探してくれます。
今日もなんだか褒められちゃった。
いい年まで、演奏を続けていると、そんないい目に遭う事が
増えてきますなあ。
さて、ヨーロッパとのやりとりもそろそろ華僑、
いや佳境。別府とのやりとりもまた然り。
ライブから戻って、ついさっきまでもメールのやりとり。
もちろん、ライブに向かう前もメールのやりとり。
気持ちは完全に制作サイドであります。
ぜんぜんミュージシャンモードに戻れない。
そんな中で、人に誘われて音楽をしているときは、
実にありがたく、率いられ、演奏しております。
なかなか演奏、それ自体に集中できる状況って
少ないんだなあ。
このバンド始めて楽器がうまくなった気がする。
ウクレレも、サックスも。
でもって、ツアーに出ちゃうと、また演奏者の気持ちに
戻れたりするわけで、明日からが楽しみだったりする。
楽器が日に日に体に馴染んでいくのって気持ちいいんだよね。
ミュージシャンっていい仕事だな、なかなか。
川口