齋藤 圭介(武蔵大学非常勤講師)
男性が稼ぐという規範(男性稼ぎ手モデル)を、男性本人はもとより、そうした男性のパートナーや家族、そして地域社会も共有している。男性は家族を養うべしという規範はいまだ根強く、その裏返しとして、この世代の男性が平日の昼間に家にいることへの社会的な眼は、いまだ厳しいものがあることも残念ながら事実である。
自分だけの生活ならまだしも、「男らしく」会社を辞めるという選択肢もあろう。しかし、家族がいる場合、この世代の男性は、長時間労働をものともせず、また有給休暇を返上して仕事に邁進せざるをえない。自分だけが、こうした働き方から降りるわけにはいかない。長時間労働の働き方から1人だけ降りるのは、その個人にとっては非合理的な選択となるからだ。周りが出世競争をしているなかで、毎日定時に帰り、無理をしない働き方をしてしまえば、出世を望めないし、周りとの軋轢も生じるし、場合によってはリストラの対象にすらなるだろう。仕方がなく長時間労働を甘受せざるをえない。皆も心の底では長時間労働は嫌だし、もっと人間らしい生活を送りたいと思っているはずだ。しかし、皆がいっせいにそうした働き方を変えるならば大きな問題は生じないが、個人的選択として働き方を変えることは、その個人が不利益を被ることになり、その個人にとっては合理的な選択とはいえない。
労働時間について、ワークライフバランスの観点からも社会的に合理的な解は長時間労働を皆がやめることだ。しかし、各個人の合理的な解は、長時間労働をやめないことだ。こうした現状から過労死・過労自殺が起こる。社会にとって合理的な解と、個人にとっての合理的な解が食い違うことを、社会学の分野では社会的ジレンマと呼ぶ。社会的ジレンマを解決する場合は、個人の行動の変革に期待することは難しい――周りが長時間労働を厭わず働くなかで、個人がいくら定時退社・有給休暇の取得促進をしても昇進や評価の点で不利益を受けるだけである。
法制度、組織のトップダウンで長時間労働の規制を臆せず積極的に行うべきであろう。男女共同参画社会の旗印のもと、女性の社会進出と同時に――むしろより積極的に――、男性の家庭進出を促す方策を法制度の水準で整備することが急がれる。



