≪学校≫が果たすセーフティネット機能と可能性
金井 利之(東京大学法学部教授)
小中≪学校≫のセーフティネットとしての意味
以上の他にも、「大綱」の誤謬は枚挙に紙幅がないのであるが、しかし≪学校≫に着目したことは意味が大きい。≪学校≫は子どもの貧困対策の総合的な基盤となる。「総合的な」とは、教育は一義的な機能とは限らない、という意味である。
有名な話は、≪学校≫給食の一日一食が貧困家庭の子どもの命綱になっており、夏休み明けには子どもが痩せてしまう、と言う実態である。衣食住は子供(人間)にとっての不可欠サービスであるが、≪学校≫はその最後のセーフティネットである。1年約1000食のうち、≪学校≫給食が提供しているのは約200食に過ぎないとしても、ゼロよりはましである。申請主義と世帯主義と保護者責任主義のブラックボックスに委ねる生活保護制度は、決してセーフティネットではない。
小中≪学校≫の意義は、第1に、6歳から15歳世代に対して、悉皆性に最も近い唯一の共通基盤制度であることにある。勿論、その前提となるのは、市区町村が全住民を悉皆して把握していることである。貧困対策とは、貧困の実態などの把握なしに、普遍的にセーフティネットを掛けなければ、実現しない。ニーズ調査やアウトリーチは、重要ではあるが、基本的にできないと考えた方がよい。表面的には無駄が多いように見えても、要は、必要性調査をせず、ユニバーサルに現物給付を行うことが、最も合理的なのである。「緊急度の高い子供に対して優先的に施策を講じる」(「基本的な方針」2)は建前論では成り立つが、現実には把握が遅れるだけである。
第2に、小中≪学校≫は、保護者から窒息しかねない子育て責任を解放し、社会全体で子育てする場である。同時に、子どもにとっては、閉塞・沈滞・殺伐とした家庭および保護者から解放される居場所にもなり得る。
勿論、学校教育=公教育の建前は、保護者によるその保護する子女に対する教育を受けさせる義務を、現物給付によって、社会全体で組織化して共同して行うものである。伝統的には「私事の共同化」と言われてきたが、今日的な用語で言えば、「普通教育の社会化」である。これは、介護保険制度によって、家庭内に介護責任を押し付けていた状況を、社会全体で介護する「介護の社会化」に変えたのと、論理は共通である。
しかし、今日の小中≪学校≫にとって重要なのは、学力保障による貧困からの脱出だけではない。雇用情勢の改善なき学力保障は、他の子どもとの相対関係での椅子取り競争での勝敗を左右するだけであり、特定の子(単数形)を手助けする可能性はあるが、社会全体の子ども(複数形)の貧困対策とは無縁である。個人レベルの分配問題に過ぎない。そうではなく、子どもの貧困対策として≪学校≫に期待されるのは、子育て責任を社会や国家が家庭・保護者に押し付けてきた状況から、保護者を解放し、子どもを保護者の生活監護から解放し(民法第820条)、社会全体で子育てすることである。いわば、「普通教育の社会化」から「介護の社会化」を経て「子育ての社会化」に至る経路である。そのための基盤となり得るのは、小中≪学校≫しかない。
≪学校≫が果たすセーフティネット機能と可能性
金井 利之(東京大学法学部教授)
「大綱」の誤謬
「大綱」が学校に着目したのは、非常に評価できる。しかし、その観点が完全に筋違いである。第1に、そもそも、子どもの貧困をなくしたいのではなく、社会主義計画経済のノルマ主義のように、「子供の貧困に関する指標」を改善したいという目標設定自体が、「子供に視点を置いて」(「基本的な方針」2)おらず、観念的である。指標設定が実態を反映していないと、名目的な指標改善は、実質的な改善につながらない。貧困問題は、PISA型テストのような単純な問題ではない。適確な指標設定は非常に難しい。教育業界に根強い点数主義・偏差値信仰に呪縛される可能性は強く、「大綱」はそれを助長している。
第2に、「子供の貧困の実態を踏まえて対策を推進する」(「基本的な方針」3)という発想が現実的でない。「実態を適切に把握した上で……施策を推進していく」ことは正論である。しかし、「大綱」自身も認めているように、「子供の貧困の実態は見えにくく、捉えづらい」。しかも、それが、「子供の養育について、家族・家庭の役割と責任を過度に重く見る考え方などの影響」によって、促進されている。こうした従来の通弊の改善なくして、実態把握もあり得ない。
従って、当面は、貧困の実態把握なしに実行できる政策でなければ、貧困対策としては意味がない。例えば、生活保護受給世帯の子どもへの対策を打つという発想は、生活保護受給決定が適切なことを前提にする。しかし、漏給があった場合には、対策は画餅に帰す。つまり、適切に把握できないという「行政の限界(limits of administration)」に脆弱な施策体系である。実態把握を重視するという「科学」的発想では、結局、研究者・調査シンクタンクの「貧困調査ビジネス」に資源を投ずるだけに終始しかねない。
第3に、学校教育による学力保障が、貧困対策になると考えられている。勉強をして能力を向上させ、仕事にありついて、または、自ら仕事を起こして、貧困から脱出する、というのは、「学問のすゝめ」的な立身出世物語としては魅力的である。また、人的能力形成が、社会全体の経済力の底上げをする可能性もあろう。しかし、学校を出てもろくな働く場所がないのが、渡る世間の現実である。
従って、第4に、子どもの貧困対策に最も重要な大人の就労構造の改善という視点が完全に欠落して、矮小化した「小綱」になっていることである。労働規制解体の結果、仮に景気改善によって労働力需要が増えたとしても、非正規・不安定雇用に過ぎず、人的能力育成は蓄積されない。そもそも、労働力としての人材育成・能力構築は、学校教育のような非職場でなされるのではなく、安定した職場環境において、長期的な視座のもとで、なされる。人的能力形成における学校教育や学力の意義を、過大評価してはならない。
≪学校≫にとって重要なことは、子どもに高度の学力や実業能力を構築することなく、斉一的悉皆的に就職に送り込むことである。そのうえで、人的資本形成は企業が行う。そのために、使用者側に解雇権濫用規制をかけ、雇用した以上は使える人材になってもらわないと企業経営として困るというインセンティブを使用者側に付与して、かつ、人的投資が長期的には回収できるという見込みを確保することが必要である。企業経営と雇用現場を変えない限り、事態は改善しない。学校現場でのキャリア教育などは、単なる為政者や企業の気休め行為で無意味である。
ましてや、「保護者に対する就労の支援」(「重点施策」3)などは、労働現場が変わらなければ、全く逆効果である。「親等の保護者が働く姿を子供に示すことによって、子供が労働の価値や意味を学ぶことなど、貧困の連鎖を防止するうえで大きな教育的意義が認められる」(「基本的な方針」7)などは、机上の道徳論である。現状のままでは、一所懸命に仕事に就こうと真面目に努力しても、ろくな扱いを受けずに辛酸を舐めて、打ち拉ひしがれて意欲と自尊感情を失う姿を子どもに見せて、やるだけ無駄という諦観を与えるだけであり、家庭教育的にも有害無益である。
金井 利之(東京大学法学部教授)
「大綱」の誤謬
「大綱」が学校に着目したのは、非常に評価できる。しかし、その観点が完全に筋違いである。第1に、そもそも、子どもの貧困をなくしたいのではなく、社会主義計画経済のノルマ主義のように、「子供の貧困に関する指標」を改善したいという目標設定自体が、「子供に視点を置いて」(「基本的な方針」2)おらず、観念的である。指標設定が実態を反映していないと、名目的な指標改善は、実質的な改善につながらない。貧困問題は、PISA型テストのような単純な問題ではない。適確な指標設定は非常に難しい。教育業界に根強い点数主義・偏差値信仰に呪縛される可能性は強く、「大綱」はそれを助長している。
第2に、「子供の貧困の実態を踏まえて対策を推進する」(「基本的な方針」3)という発想が現実的でない。「実態を適切に把握した上で……施策を推進していく」ことは正論である。しかし、「大綱」自身も認めているように、「子供の貧困の実態は見えにくく、捉えづらい」。しかも、それが、「子供の養育について、家族・家庭の役割と責任を過度に重く見る考え方などの影響」によって、促進されている。こうした従来の通弊の改善なくして、実態把握もあり得ない。
従って、当面は、貧困の実態把握なしに実行できる政策でなければ、貧困対策としては意味がない。例えば、生活保護受給世帯の子どもへの対策を打つという発想は、生活保護受給決定が適切なことを前提にする。しかし、漏給があった場合には、対策は画餅に帰す。つまり、適切に把握できないという「行政の限界(limits of administration)」に脆弱な施策体系である。実態把握を重視するという「科学」的発想では、結局、研究者・調査シンクタンクの「貧困調査ビジネス」に資源を投ずるだけに終始しかねない。
第3に、学校教育による学力保障が、貧困対策になると考えられている。勉強をして能力を向上させ、仕事にありついて、または、自ら仕事を起こして、貧困から脱出する、というのは、「学問のすゝめ」的な立身出世物語としては魅力的である。また、人的能力形成が、社会全体の経済力の底上げをする可能性もあろう。しかし、学校を出てもろくな働く場所がないのが、渡る世間の現実である。
従って、第4に、子どもの貧困対策に最も重要な大人の就労構造の改善という視点が完全に欠落して、矮小化した「小綱」になっていることである。労働規制解体の結果、仮に景気改善によって労働力需要が増えたとしても、非正規・不安定雇用に過ぎず、人的能力育成は蓄積されない。そもそも、労働力としての人材育成・能力構築は、学校教育のような非職場でなされるのではなく、安定した職場環境において、長期的な視座のもとで、なされる。人的能力形成における学校教育や学力の意義を、過大評価してはならない。
≪学校≫にとって重要なことは、子どもに高度の学力や実業能力を構築することなく、斉一的悉皆的に就職に送り込むことである。そのうえで、人的資本形成は企業が行う。そのために、使用者側に解雇権濫用規制をかけ、雇用した以上は使える人材になってもらわないと企業経営として困るというインセンティブを使用者側に付与して、かつ、人的投資が長期的には回収できるという見込みを確保することが必要である。企業経営と雇用現場を変えない限り、事態は改善しない。学校現場でのキャリア教育などは、単なる為政者や企業の気休め行為で無意味である。
ましてや、「保護者に対する就労の支援」(「重点施策」3)などは、労働現場が変わらなければ、全く逆効果である。「親等の保護者が働く姿を子供に示すことによって、子供が労働の価値や意味を学ぶことなど、貧困の連鎖を防止するうえで大きな教育的意義が認められる」(「基本的な方針」7)などは、机上の道徳論である。現状のままでは、一所懸命に仕事に就こうと真面目に努力しても、ろくな扱いを受けずに辛酸を舐めて、打ち拉ひしがれて意欲と自尊感情を失う姿を子どもに見せて、やるだけ無駄という諦観を与えるだけであり、家庭教育的にも有害無益である。
≪学校≫が果たすセーフティネット機能と可能性
金井 利之(東京大学法学部教授)
はじめに
2013年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が、議員提案に基づき全会一致で可決され、翌年1月に施行された。同法に基づいて、2014年4月には首相を会長とする「子どもの貧困対策会議」が開催され、「子どもの貧困対策を総合的に推進するための大綱の案の作成方針について」を決定し、関係者の意見聴取の会議体の設置が盛り込まれた。そこで、内閣府特命担当大臣のもとに「子どもの貧困対策に関する検討会」が開催され、6月20日に「大綱案に盛り込むべき事項について(意見の整理)」が提出された。これを受けて、政府は「子供の貧困対策に関する大綱」(以下、「大綱」)を8月29日に閣議決定した。
「大綱」では、「第2子供の貧困対策に関する基本的な方針」(以下、「基本的な方針」)の10項目のなかで、「5教育の支援では、「学校」を子供の貧困対策のプラットフォームと位置付けて総合的に対策を推進するとともに、教育費負担の軽減を図る」としている。そして、「第4指標の改善に向けた当面の重点施策」(以下「、重点施策」)の「1教育の支援」「(1)「学校」をプラットフォームとした総合的な子供の貧困対策の展開」において、○学校教育による学力保障、○学校を窓口とした福祉関連機関等との連携、○地域による学習支援、○高等学校等における就学継続のための支援、が掲げられている。このように、子どもの貧困対策において、学校の果たすべき役割が着目されている。
金井 利之(東京大学法学部教授)
はじめに
2013年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が、議員提案に基づき全会一致で可決され、翌年1月に施行された。同法に基づいて、2014年4月には首相を会長とする「子どもの貧困対策会議」が開催され、「子どもの貧困対策を総合的に推進するための大綱の案の作成方針について」を決定し、関係者の意見聴取の会議体の設置が盛り込まれた。そこで、内閣府特命担当大臣のもとに「子どもの貧困対策に関する検討会」が開催され、6月20日に「大綱案に盛り込むべき事項について(意見の整理)」が提出された。これを受けて、政府は「子供の貧困対策に関する大綱」(以下、「大綱」)を8月29日に閣議決定した。
「大綱」では、「第2子供の貧困対策に関する基本的な方針」(以下、「基本的な方針」)の10項目のなかで、「5教育の支援では、「学校」を子供の貧困対策のプラットフォームと位置付けて総合的に対策を推進するとともに、教育費負担の軽減を図る」としている。そして、「第4指標の改善に向けた当面の重点施策」(以下「、重点施策」)の「1教育の支援」「(1)「学校」をプラットフォームとした総合的な子供の貧困対策の展開」において、○学校教育による学力保障、○学校を窓口とした福祉関連機関等との連携、○地域による学習支援、○高等学校等における就学継続のための支援、が掲げられている。このように、子どもの貧困対策において、学校の果たすべき役割が着目されている。