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(仮)アホを自覚し努力を続ける!

アウグスティヌスの格言「己の実力が不充分であることを知る事が己の実力を充実させる」

雇用社会の危機と労働法制の課題
毛塚 勝利(法政大学大学院客員教授)


1 安倍政権の「雇用改革」の論理的整合性の欠落

 安倍政権は、規制改革実施計画を2013年6月閣議決定し、「雇用改革の4つの柱」を掲げた。①ジョブ型正社員の雇用ルールの整備、②企画業務型裁量労働制やフレックスタイム制等労働時間法制の見直し、③有料職業紹介事業の規制改革、④労働者派遣制度の見直しである。これは、正規・非正規の二極化構造の是正、労働者の能力に見合い努力が報われる賃金上昇、ライフサイクル・ライフスタイルに応じた多様な生き方の創造、人口減少社会が進む中での経済再生と成長力強化のため「人が動く」ように雇用の多様性、柔軟性を高め「失業なき円滑な労働移動」を実現させるためのものだという。

 安倍政権が、雇用改革の柱として二極化構造の是正、正規と非正規の壁の撤廃を掲げたことは評価していい。しかし、具体的に提示された政策は、これと矛盾するものばかりである。

 (1)まず、限定正社員制度は、二極化の是正というより新たな身分的雇用管理である。多様な働き方とは、雇用形態を多様にすることではなく、期間の定めのない労働契約のなかで働き方の選択可能性を広げることである。したがって、これまで、パート社員や契約社員等、雇用形態の異なる労働者として扱ってきたものを、すべて無期契約にして職務限定や勤務地限定の社員として扱う、多様な正社員制度は、それ自体は、間違っていない。しかし、規制改革会議が提起しているジョブ型正社員の議論には、職務や勤務地が限定されている社員には当該職務や勤務地がなくなる場合には解雇される旨を就業規則等で明記することで雇用保障を相対化することが盛り込まれている。これは理にあわない。整理解雇法理は、雇用調整リスクを労使間・労働者間において公正・公平に負担することを求める法理であるから、契約締結時の合意で職務や勤務地の限定者に雇用調整リスクを優先的に引き受けさせ、乗換え可能性をも排除するのは平等原則に反する身分的管理そのものだからである。

 (2)正社員改革のもう一つの柱として提起されているのが労働時間法改正である。目玉は、「高度プロフェッショナル制度」という、年収要件による労働時間規制の適用除外の導入にある。この制度の問題点は、仕事の裁量性とは関係なく、もっぱら年収基準のみで労働時間規制を外すことにある。労働者が仕事の段取りや時間の配置を自由に決めることができるのであれば、健康や生活時間の確保に支障はない。しかし、使用者の指揮命令を残したまま年収が高いことを理由に労働時間規制を外せば、労働者の健康も生活も犠牲となることは明らかである。

 そもそも、労働時間法制を議論するうえで、ホワイトカラーの賃金は時間ではなく成果によりて決めるものという賃金論、換言すれば、賃金算定基礎としての労働時間(賃金時間)をもって、長時間労働による肉体的精神的疲弊を防止するための労働時間(肉体的精神的負荷時間)規制を外す議論は論理のすりかえである。成果主義賃金であろうと、年収が高かろうと、肉体的精神的疲弊の防止は求められるからである。年収が高い人は、交渉力があるから長時間労働に甘んじることはないというのは、日本の企業と労働市場の現実を考えれば絵空事にすぎない。

 (3)理論的整合性のなさは、非正規問題のかなめである派遣法でも際立っている。日本の派遣法は、専門職派遣として出発し、1999年にテンポラリー派遣にするなど、時代によって大きくその性格を変えてきたが、今回の改正は、およそ論理的整合性がない。「専門職派遣」を廃止したものの、一時的業務の派遣に純化することなく、派遣労働者の派遣元で無期雇用か否かで分け、無期雇用されていると永続的に派遣を認め、派遣元で有期雇用の場合には3年に限定する。しかも、派遣元には派遣労働者の入れ替えを認め、受入事業所には過半数労働者代表の意見聴取のみで際限なく利用の更新を認める。これでは、派遣労働法というより間接雇用促進法である。
雇用社会の危機と労働法制の課題
毛塚 勝利(法政大学大学院客員教授)


はじめに

 現代社会の根幹をなす雇用の劣化は著しい。1990年代以降、規制緩和政策に後押しされ、非正規労働者は急速に拡大し、雇用労働者の4割近くを占めるに至った。雇用の不安定に加え、まともに働いても生活を維持することが困難な労働者が増大している(平成24年就業構造基本調査によれば、非正規の7割を占めるパート・アルバイトの男性8割、女性の9割が年収200万円未満である)。他方、正規労働者は、長時間労働により疲弊し、過労死やうつ病等の危機のみならず、家族や社会との「接触障害」の危機にも晒されている。その意味で、雇用の正規・非正規への二極化は、時間の貧困と賃金の貧困の拡大にほかならない。では、安倍政権の労働政策は、このような雇用の劣化を防止するものであろうか。とてもそうとは思えない。では、求められる政策とはなにか。議論の俎上に乗っていない政策を含め、今後の労働法制の課題を追うことにしたい。

「標準」でなければだめですか?
(連合総研研究員 前田 藍)


 日本ではさまざまな社会制度が「家」を基本に構築されている。その「家」とは、男性が外で稼ぎ、女性が家庭内でケア労働を担うという性別役割分業の考え方に基づいている。このような家族政策が想定してきた標準モデルの「家」は、実際には社会の鏡として変化を続け、90年代には共働き世帯が専業主婦世帯を超え、その差は年々拡大している。また、「家」の解散を意味する、離婚者数もなだらかな山谷が存在するものの、増加傾向は続いており、今では結婚した3組に1組が離婚を選択している。

 

 このような現状を受け、ひとり親家庭向けの福祉政策にも変化がみられる。ひとり親への支援策は、従来の家族像に基づき、シングルで子どもを育てるのは女性であるという前提から、性別による取り扱いの違いが色濃く残ってきた。父子家庭が児童扶養手当の支給対象になったのは2010年、子どもの修学資金を借りられる母子福祉資金は2014年に父子が加わった。加えて、昨年の4月から遺族年金の受給対象が父子家庭にも拡大されるようになり、性別による取り扱いの違いは解消に向けてようやく動き出したようにもみえる。

 

 一方で、子どもを持つことについては、父母の婚姻関係を前提にした制度設計が依然として残っている。いまだに法律婚を経ず出産した場合は「嫡出でない子」として子の出生届を出さなければならない。父母の婚姻関係の有無によって子が区別されるという明らかな差別を生み続けており、現在でも日本の家族政策は法律婚に強い優遇措置を持たせているといえる。

 

 なかでも、寡婦(夫)控除は法律婚至上主義に則った政策の典型といえるだろう。寡婦(夫)控除は離別・死別した世帯に対し、年間27万円の控除が適用されるだけでなく、保育料や公営住宅の家賃などの算出基準ともなっており、男女問わず支給対象となるが、法律婚を行った人だけに限られている。子どもに対してではなく、親に対する支給であるため、親の婚姻歴の有無によって支給の可否が決まる仕組みとなっており、民法上の婚姻歴がない場合は寡婦(夫)控除の適用外となる一方で、未婚や非婚で出産、その後結婚し、離別・死別した場合は適用となるなどの矛盾が、法の下の平等に反すると問題視されている。

 

 「でき婚」「授かり婚」といわれる、妊娠・出産を機にした法律婚の件数は、近年の結婚観や家族観の変化にともない上昇している。厚生労働省「出生に関する統計」(2010年)によれば、妊娠期間よりも結婚期間の方が短い割合は、1980年には10.6%だったが、2009年では25.3%と倍増しており、結婚にまつわる意識の変化と法律婚に対する強いインセンティブとの狭間で葛藤を抱える人も多い。また、ひとり親の9割を占める母子家庭の相対的貧困率は54.6%に達する。ひとり親がたやすく貧困状態にまで滑り落ちてしまう現状は、標準モデルの「家」から外れた親と子どもに対する社会からのペナルティのようにも受け止められる。

 

 自治体では、貧困に陥りやすいひとり親への支援策の一環として、非婚・未婚者も寡婦(夫)控除の対象として、みなし適用する動きもでてきている。また、島根県邑南町のように、「日本一の子育て村」として、まちぐるみでひとり親支援を展開している自治体の出現は、在住であるかを問わず勇気づけられる人も多いだろう。

 

 世界に視点を移してみても、家族の在り方は変化を続けている。6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は同性婚を認める判決を下し、結婚の歴史を塗り替えた。判決後も国を二分する議論は続いており、大統領選の争点のひとつに浮上する勢いだ。かたや日本では、共働き世帯への支援策として、配偶者控除を見直し、新たに「夫婦控除」を創設する案が浮上している。また、夫婦別姓をめぐる訴訟は最高裁大法廷に回付されている。アメリカで繰り広げられている議論と熱量の差を感じずにはいられないが、日本においても多様化する家族像へどのように対応していくのか、幅広い議論を展開していく必要に迫られている。アメリカにはためいたレインボーフラッグは、なにが標準であるかは常に人々の力によって導きだされるものであることを物語っていた。わたしたちは、新たな家族像をどう導きだせるだろうか。