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(仮)アホを自覚し努力を続ける!

アウグスティヌスの格言「己の実力が不充分であることを知る事が己の実力を充実させる」

人材ビジネス成長戦略?
(連合総研副所長 龍井葉二)


 労働移動支援金という制度がこの3月から変わった。

 これまでは、中小企業が人材ビジネス会社に再就職支援を委託した際に、再就職の実績を条件にその費用の一定割合を助成するというものだったが、①対象を大企業にも広げ、②助成割合を増やすとともに、③再就職の実績がなくても人材ビジネスに支給されることになったのである。

 しかも、このための予算は、雇用調整助成金の大幅削減とセットで、大幅に増額され、「人の移動」ならぬ人材ビジネスへの「カネの移動」というべきものである。

 とくに、③の要件緩和は、委託を受けるだけで一定の助成がされるということであり、大企業で横行している「追い出し部屋の外注化」となる危険性をはらんでいる。

 それだけではない。

 労働分野の規制緩和を論議している産業競争力会議の場では、「労働移動支援助成金とセットでの解雇」ルール見直し(長谷川・武田薬品工業社長)という提案もなされている。

 つまり、予算を確保しただけでこの制度が広がる保証はない。「希望しない人」もこの制度に乗せていく仕組みが必要となる。そのための解雇ルール見直し…。この種の問題は「意図」を詮索しても意味がない。意図せずとも「結果」は生じるからである。

 人材ビジネスにとっての本命は、いうまでもなく労働者派遣法の改悪である。

 周知のように、今回の法改正審議の場には、人材ビジネス代表がオブザーバーとして加わった。労働者を使用しない経営者を加えた「四者構成」の審議。前代未聞のことだ。

 近年の労働者派遣法見直しの論議で、忘れられている、あるいは意図的に忘れさせられていると思われることがある。それは、日本の法律(職安法)では、「業としての労務供給は(労供事業を除き)禁止されている」ということである。

 これは、戦前に組請負や人夫貸が広がり、中間搾取、人身拘束、労働法逃れ、労使関係逃れなどの「無権利」状態が広がったため、戦後の労働法制において、人材派遣そのものを禁じたのである。

 しかし、その後も違法派遣はどんどん広がっていき、行政監察でも、その違法状態を認めざるを得なくなった。ところが、当時の職安審議会と労働省は、取り締まりは事実上、不可能と判断し、この違法状態を追認した上で、一定の規制をしていくという道を選択してしまった。こうして生まれたのが、職安法の例外措置として制定された労働者派遣法である。

 それでも、あくまで例外なので、高度専門業務、常用代替防止などの「原則」が盛り込まれていた。その後、対象業務が広がり、1998年には、対象業務について原則自由化に転じてしまうのだが、その際にも「臨時的・一時的」という「原則」が規定されていた。

 さらに、製造業務への拡大、その後の「派遣切り」などの事態を受けて一定の保護措置も盛り込まれてきたわけだが、今回の改悪は、これまでの流れとはまったく「異次元」のものだと断定せざるを得ない。審議会報告の前文に盛り込まれていた「臨時的・一時的」の文言が改正法案から消えてしまっただけではない。禁止→追認→例外→原則という議論の土俵が全面的に覆えされ、戦後の出発点であった直接雇用原則そのものがかなぐり捨てられようとしている。

 派遣先企業にしてみれば、雇用責任なしの使用、団交応諾義務の回避、労働者への通告なしの派遣契約解除などが「例外」ではなくなることを意味し、労働法逃れ、労使関係逃れの「戦前回帰」にすらなりかねない。

 正社員無用ともいうべき今回の改悪について、自民党や維新の会の一部の議員からも懸念の声が上がっているという。人材ビジネス成長戦略に抗して「すべての労働者」の視点に立った運動が展開できるかどうか。その真価が試される状況がくる、いや、きている。
派遣労働はどの産業のものか
(労働政策研究・研修機構 調査・解析部 情報統計担当部長 石原典明)


 労働者数を産業別に集計する際、派遣労働者の産業を派遣先事業所のものにするか、派遣元事業所のもの注1)にするか。従事しているのは派遣先の事業であるから、派遣先の産業と考えるのが普通かもしれない。総務省「労働力調査」は、2012年以前は派遣元の産業で集計していたが、2013年1月分以降は派遣先の産業で集計するようになった。

 これに関し、長年、頭に引っかかっていることがある。かつて派遣法ができた頃、私は事業所経由で行う賃金統計の調査に携わっていた。事業所の記入担当者に従業員の賃金を記入してもらう調査である。調査事業所では、受け入れている派遣労働者の賃金は本人に訊かない限りわからない。本人に訊いてもらうわけには行かないので、派遣労働者の賃金は、派遣元の事業所で記入してもらい、派遣元の産業で集計せざるを得ないことになる。派遣元に、派遣先ごとに派遣労働者分の調査票を作成してもらえれば、派遣先産業での集計も可能となるが、派遣元の負担が大きく現実には無理である。

 そこで当時の上司に、「やむを得ず派遣元の産業で集計するのですね」と言ったところ、上司から予想外の反論があった。派遣労働者は派遣という形で派遣元の事業に携わっているから、派遣元の産業で集計するのも理に適うというのである。やむを得ずではなく、合理的である、というわけである。

 そのときは腑に落ちなかった。派遣事業に従事していると言えるのは派遣会社の人であって、派遣されている人は違うのではないか、きっと言い訳のための理屈だろうとも思った。しかしその後、折に触れ考え、上司の思いを忖度すると(遅いので恥ずかしい限りであるが)、次のようなことであろうか。

 派遣労働者の賃金は派遣元が払う。賃金は付加価値を分配したものである。ということは、派遣労働で作られる付加価値は、派遣元の事業のものということになる。派遣元の付加価値を作っているのであるから、派遣労働者の賃金も、派遣元の産業で集計すべきことになる。労働者数の統計も、賃金と併せて使うのであれば、派遣元の産業で集計すべきとなる。ちなみに、付加価値の集計である国民経済計算では、派遣労働は「対事業所サービス」と整理されている。産業連関表も同様である注2)

 賃金は派遣元との関係で決まり、派遣元の付加価値が分配されたものである。賃金や賃金と併せて使う労働者数の統計は、派遣元の産業で集計することに理があるのではないか。労働者数を派遣元の産業で集計することにすると、派遣先の産業は派遣労働者を増やせば、同じ生産量を得るのに投入する労働の量が(統計上)少なくて済むことになり、おかしくなるのではないか?と考える向きもあるかもしれない。しかし、生産量を付加価値でとらえれば、派遣労働者を増やすと派遣元に払う派遣費用が増え、その分付加価値が減るので、この問題は生じないと思われる。

 もちろん、派遣先の産業で集計した労働者数統計も、実際に働いている産業の状況がわかるという意味がある。労働安全衛生に関する統計など、派遣先も責を負う労働条件に関する統計であれば、派遣先の産業で集計する方がよいと考えられる。

 結局、どちらの産業で集計するかは、統計の内容や用途をよくよく吟味の上、判断すべきことなのであろう。多様化時代の統計は扱いが複雑である。


注1)派遣元事業所の産業は日本標準産業分類にいう「労働者派遣業」とは限らない。例えば情報通信業の事業所が派遣元となる場合もあり得る。

注2)産業連関表では、産業は通常の統計調査のような事業所単位ではなくアクティビティ(生産活動)単位で考えられている。労働者派遣は「労働者派遣サービス」という一つのアクティビティとされる(例えば附帯表の一つ「雇用表」は、派遣労働者はすべて「労働者派遣サービス」に属するという考え方で作成される)
「成果主義」とやる気・不安
井川 静恵(帝塚山大学経済学部准教授)


■はじめに

 本稿では、「成果主義」とやる気・不安について考察する。分析にあたっては、ある日本企業の人事マイクロデータとアンケートデータを結合したデータセットを使用した。人事に関するさまざまな問題については、すでに経済学や経営学を中心に学術的研究が蓄積されている。しかし、企業の人事部等が管理・作成し、企業内で実際に用いられている個々人の人事データ(人事マイクロデータ)を用いて、人事の実態を明らかにした研究は日本ではあまり多くない。このたび、筆者らの研究グループでは、複数の日本企業の人事マイクロデータを使用して統計的な分析を行い、その研究成果をまとめた(『人事の統計分析』ミネルヴァ書房、2013年5月)。本稿では、その中で筆者が担当した研究をもとに、「成果主義」を織り込んだ「従業員のやる気と不安」について考察したい。


■90年代の「成果主義」の検証

 本稿では従業員の「やる気」を分析対象のひとつとするが、このやる気(労働意欲)については、さまざまな文脈と多くの先行研究でとりあげられてきた。とくに90年代には、日本企業における人事制度改革との関連で議論が積み重ねられてきた。人事制度改革のなかでも、いわゆる「成果主義」的人事、つまり、短期的な貢献度に基づいて早期に格差をつけるようなインセンティブ・システムが導入される場合には、従業員(その中でも優秀な人材)の労働意欲が高まるかどうかが問題とされる。それについては、制度の導入状況や導入条件の把握から、具体的な制度改定の内容や移行過程、運用実態の調査、受容の条件となる「手続き的公平性(過程の公平性)」に関連する議論、従業員の満足度との関係性、そして目的とされている労働意欲の向上の測定まで、さまざまな段階における課題が理論的・実証的に分析されてきた。

 この90年代のいわゆる「成果主義」が奏功したのか否かについては、既にいくつかの議論が展開されているが、中村(2006)も指摘するように、正確な検証のためにまず重要であるのは、実態の変化を捉えることであろう。つまり、ある企業が行った「『成果主義』的な制度改革」は、どのようなものだったのか、かけ声だけで実態は何も変わらなかったのか、それとも、従業員が制度改定の意図通りに意識や行動を変え、その結果として賃金や労働意欲の実態が期待通りに変化したのか、あるいは、従業員は予期せぬ行動をとり、目的とは異なる実態が立ち現われたのか、それらの点を確認することが不可欠である。たとえば、「成果主義を導入したが、実態を調べると賃金格差が縮小していた」という研究(前掲書『人事の統計分析』第1章)は、システムを変えることと実態が変わることがイコールでないことを示す重要な証左である。しかし、このような研究はデータ収集の制約もあっていまだ少なく、「成果主義」の導入が実態をどう変えたのかを十分に検証できていないのが現状である。実態の変化の検証が進んだうえで、「成果主義」的な人事制度が、真に日本企業の復活や成長に資するものだったのかを議論する必要があろう。


■「やる気」と「不安」という2軸

 本研究では、「やる気」に加え、従業員の「不安」にも注目した。「成果主義」的人事制度のもとでは、やる気だけでなく、不安やストレスのマネジメントも重要であると考えられるからである。その理由として、以下のような点が指摘される。まず、「成果主義」は、従業員の間により競争的な状況をつくりだすであろう。また、プロセスよりも結果を重視する制度では、一定期間内に形にあらわれた成果を出す必要があるために、こなさなければならない仕事の質や量が上昇・増加する可能性もある。成果と報酬が直結することで、個人に大きな心理的負荷がかかることも想像できる。さらに、成果のみが評価されるのであれば、仕事の選択や自己裁量の付与が必要な前提条件となるが、このような機会が保障されていなければ従業員の不安を増大させることになろう。

 高い不安は単に低意欲のことではなく、高意欲・高不安の従業員の存在も考えられることから、やる気と不安は異なる分析軸であり、2つを明示的に区別して分析することは重要であるといえる。特に、「成果主義」的なインセンティブ・システムを実施する企業は、やる気の高低だけでなく、不安やストレスの高低についても考慮する必要があろう。また、近年メンタルヘルスの重要性が強く認識されており、メンタルヘルスと「成果主義」との関連性についても言及されつつあるものの、統計的実証分析はあまりなされていない。「不安」という軸からこの点についての示唆を得ることは意義があるといえよう。

 同一の研究対象について、やる気と不安の両方を分析している点は本研究の特色でもある。やる気が高くても、同時に不安が大きければ企業にとっても従業員にとっても望ましい状況とはいえない。また、それぞれに影響を与える要因や人事施策が異なっていれば、やる気の向上と不安の解消には異なるマネジメントが必要であることが指摘できる。