(仮)アホを自覚し努力を続ける! -21ページ目

(仮)アホを自覚し努力を続ける!

アウグスティヌスの格言「己の実力が不充分であることを知る事が己の実力を充実させる」

 非正規雇用者の増加が社会問題とされて久しいが、その正確な実態を把握することは政府統計においてもなかなか難しい。これは一つには、統計ごとで設問方法が様々であることや、調査目的によって労働者区分が異なる、または同じ区分でも微妙に定義が異なっているなどの事情による。有識者でつくる内閣府統計委員会でも、非正規雇用者の把握方法の見直しや、統計ごとに異なる労働者区分の統一を進める必要性などが指摘されているところである。


 非正規雇用者を把握するうえで最も重要な政府統計は、総務省の「就業構造基本調査」(以下、「就調」)と「労働力調査」(以下、「労調」)の二つである。「就調」は5年に一度、世帯主15歳以上の45万世帯100万人を対象に調査している。調査対象数が多いため、非正規雇用者の人数を把握するのに有用である。後者の「労調」は、毎月4万世帯を対象とし基礎調査票を用いた基本集計と、四半期毎に1万世帯を対象とし特定調査票を用いた詳細集計とがある。「就調」に比べ、調査対象数は少ないが実施頻度は多いため、非正規雇用者の比率の変動を把握するのに有用である。


 この二つの調査はともに、①実際に職場で呼ばれている「呼称」と、②雇用契約の「期間」とによって実態把握を行っている。図1は、「就調」の結果から「呼称」による把握方法で非正規雇用者の数と比率の推移をみたものである。最新の2012年調査では非正規雇用者は2千万人を超え、その比率は4割に達しようとしている。後者の「期間」による把握方法については、長らく一般常雇、臨時雇、日雇の区分による把握が行われていた。これについては、ここ数年、よりきめ細かい把握方法に変更されている。まず、「労調」では、それまで一般常雇を「1年を超える又は雇用期間を定めない契約で雇われている者…」と定義して調査していたため、1年を超える有期契約者の人数を把握することができなかったが、2013年1月調査から「常雇(無期の契約)」と「常雇(有期の契約)」の区分を新たに設けることによって、その把握が可能になっている(表1)。次に、「就調」については、2012年調査から上記3区分による設問を止め、より具体的に雇用契約期間の定めの有無や1回当たりの雇用契約期間などを尋ねる方法に変更している(表2)。


 このように、徐々にではあるが非正規雇用者に関する統計整備が進みつつある。今後、一層の進展を期待したい。









 1995年5月に当時の日経連が報告書『新時代の「日本的経営」―挑戦すべき方向とその具体策』を発表してから20年近くが経とうとしています。同報告書によって提言された、長期蓄積能力活用型、高度専門能力活用型、雇用柔軟型の3タイプの雇用を組み合わせた効果的な雇用ポートフォリオの導入や、職務にリンクした職能資格制度の導入、年功的定期昇給制度の見直しなどは、当時の社会に大きな影響を与えるとともに、その後の雇用の流動化や成果主義型賃金の普及を加速させる契機となりました。


 そこで本号では、経営者側が同報告書に込めた思いや労働側に与えた影響、同報告書が日本の雇用・処遇政策に果たした役割などについて考える特集を企画しました。


 成瀬氏には、同報告書の作成に関わった経験から、当時の時代背景や同報告書に込めた思いなどを振り返っていただき、成川氏には、同報告書が発表された当時の連合の担当者として、当時の連合の運動課題は何であったか、それら運動課題に対して同報告書がどのような影響を与えたかなどを中心に振り返ってい ただきました。また、北浦氏には、当時の経済環境を振り返りながら、提起された経営改革ビジョンを再考するとともに、その後における影響と評価などについて論じていただきました。


 本特集を通じて、当時の日本の状況や雇用や処遇をめぐる労使の考え方をあらためて再確認するとともに、現在の雇用・処遇問題を考えるうえでの参考にしていただければ幸いです。







(出所)日本経営者団体連盟『新時代の「日本的経営」』32頁より。

自由と自立を支えるつながりと労働組合の可能性
(連合総研研究員 高山尚子)


 現在の日本では企業や家族、地域コミュニティといった中間集団が弱体化し、個人化が進行していると言われている。そしてそれは「孤独死」や「無縁社会」と言い表されるような、社会的リスクにつながるものとしてネガティブにとらえられている。

 歴史をさかのぼれば、戦前における中間集団はイエ・ムラと言われ、個人を縛る前近代的で封建的なものであった。戦後においては、イエ・ムラからの解放は、個人の自由な選択と自立をもたらすポジティブなことと理解されていたはずだ。

 戦後の日本社会で新たな中間集団として機能したのが企業、家族であった。性別役割分業をベースに、男性は会社に従属し、女性は家庭に押し込められた。つまり、個人の自立は果たされず、結局イエ・ムラの代わりに別の集団に帰属し縛られることになったに過ぎないと言える。

 その後、一時的ではあるが企業への従属から離れて自由に生きる新たな働き方として「フリーター」がもてはやされた。また、女性の社会進出が進み、「必ずしも結婚する必要はない」、「結婚しても必ずしも子どもをもたなくてよい」と考える人の割合は年々増えている。(NHK放送文化研究所「日本人の意識調査」)

 しかし、自由で多様な働き方の大多数は不安定で低賃金の非正規雇用にしかならなかったし、社会制度のほとんどはいまだに標準的な家族をモデルとしている。ワーク・ライフ・バランスは遅々として進まず、事実婚や一人親、婚外子といった多様な家族のあり方は制度的に不利な立場に置かれたままであり、相変わらず旧来型の家族形成への圧力は強い。企業や家族を前提とした社会保障の機能低下が言われるなかで、新しい社会保障のあり方が提言されてはいるが、現実にはなかなか進んでいない。

 中間集団が弱体化した結果、個人の選択の自由は自己責任に還元され、個人の自立の強要につながっている。生活保護受給者へのバッシングに典型的に見られるように、社会的な問題も個人の責任に還元され、企業や家族に守られた恵まれた人々以外は、連帯の輪から外れ、孤立化してしまう。現在は、企業や家族が時代に合わなくなっているにもかかわらず、新しい仕組みが作れなかった結果、旧来の企業や家族にしがみつくしかないような状況だと言える。社会保障を組み直すとともに、企業や家族といった旧来の中間集団だけでなく、さまざまな関係性を複数持ち、ゆるやかなつながりの中で、自由でありながら自立を支え合うような社会をめざすべきではないだろうか。

 そうしたゆるやかな連帯として労働組合を位置付けて考えてみたい。労働組合も組織率が低下し、活動の弱体化が言われる中間集団のひとつである。その要因には、経済・雇用の変容によるものもあろうが、個人化した労働者の多様なニーズに対応できなかったこともあるだろう。

 労働者が連帯するためには、自立を支える「誰もが安心して働ける社会」が不可欠である。そのうえで、個人化した労働者を連帯に巻き込むために、労働組合も地域社会に開き、ゆるやかなつながりを作ることが必要だろう。

 また、自立を支え合うには、「あのとき協力してもらったから今回はこちらが力になろう」というような「お互い様」の関係を作っていくことも大事ではないか。組合に「してもらう」だけの一方的な関係では、組合への帰属意識はわかないだろう。個人の自由は尊重されなければならないが、「放っておいてくれ」という態度では支え合う関係はできない。連帯を作るには、多少の煩わしさをみんなで分け合う必要がある。

 最後に、他者への想像力を持つことである。職場は様々な生活を抱えた人々の集合体である。多様性を受け入れ、個人の「生活」への目線を持ちながら、職場・地域・社会で起きている課題をすくい上げていくことが必要ではないだろうか。