いまなぜ男性学なのか~男性学・男性性研究から見えてきたこと~
田中 俊之(武蔵大学助教)
4. 男性の「生きづらさ」の顕在化
それでは、現代の日本で、なぜ男性学が求められているのかを考えていくことにしよう。「男は仕事、女は家庭」というスタイルは、多くの男性が会社に雇われて働くようになって一般化した。したがって、この男女の役割分業を「伝統的」とするのは明らかな誤りである。高度経済成長期を通じて、学校を卒業後は正社員として就職し、結婚して妻子を養うのが「普通の男性」の生き方というイメージが定着していく。
オイルショック以降の低成長の時代を迎えると、夫だけの収入で家計を維持するのが厳しくなり、はやくも男性稼ぎ手モデルは危機を迎える。その後、専業主婦はその数を減らし続け、すでに1990年代には共働き世帯が専業主婦世帯の数を上回っている。パートもしない厳密な意味での専業主婦は、すでに20年近く前から既婚女性の中で多数派ではない。
バブル崩壊後の1990年代には、新規の採用が抑制されたことで若年層の男性が就職難や非正規化といった問題が発生した。また、中高年層においてもリストラが「社会問題」となり、「サラリーマン的な生き方」の危うさが露呈した。こうした経済状況の変化に合わせて「普通の男性」の生き方を新しいものにしなければならなかったが、現在でも「フルタイム労働に従事しながら妻子を養う男性像」は根強く残り続けている。
冒頭で紹介した『平成26年度版 男女共同参画白書』の特集に記載された一文が、現在の男性が置かれた状況の厳しさを物語っている。「男性は、建設業や製造業等の従来の主力産業を中心に就業者が減少し、平均所定内給与額も減少しているが、労働力率では世界最高水準となっている」。平易な表現に言い換えるならば、これまで多くの男性が雇用されてきた職場は失われつつあり、給与も減る一方であるが、それでもほぼすべての男性は働き続けているということになる。
加えて、男性は正社員というイメージが強かったが、とりわけ若年層においてはそうした前提が崩れつつある。総務省の労働力調査によれば、2013年におけるフリーターの数は前年より2万増の182万人であった。男女別では、女性が98万人と前年と同数だったのに対して、男性が2万人多くなって84万人となっている。
なお、厚生労働省はフリーターを「15~34歳の男性又は未婚の女性(学生を除く)で、パート・アルバイトとして働く者又はこれを希望する者」と定義している。パート・アルバイトとして働く35歳以上の男性は、若者向け就労支援の対象から外れるだけでなく、統計的に把握されない存在になってしまう。
社会構造や経済状況が変わったにもかかわらず、学校を卒業後は正社員として就職し、結婚して妻子を養うのが「普通の男性」というイメージは残ってしまっている。これは、個々の男性にとってみれば、「普通」と考えていた人生を実現できないことを意味する。「男性の生き方に対するイメージ」と「男性の置かれた現実」の間に大きなギャップがあるために、多くの男性たちが「生きづらい」と感じている。そして、男性の「生きづらさ」が顕在化しているために、男性が男性だからこそ抱えてしまう「男性問題」を考察する男性学が求められているのだと考えられる。
いまなぜ男性学なのか ~男性学・男性性研究から見えてきたこと~
田中 俊之(武蔵大学助教)
3. 英語圏における男性学・男性性研究
世界的レベルでこの分野の研究を牽引しているのが、オーストラリアの社会学者レイウィン・コンネルである。コンネルはMasculinities(1995)で、男性性を単数形(masculinity)ではなく複数形(masculinities)として認識するべきであると主張した。いまだに日本では、男性を一つの同質的な集団として見なす傾向が根強いが、先ほどの多賀の指摘にもあったように、英語圏の男性学ではmasculinitiesという表記は常識となっており、多様な男性性の存在は議論の前提になっている。
なぜ、masculinityではなく、masculinitiesなのか。その理論的な背景を説明していこう。コンネルはジェンダー研究の成果によって、どこにでも見られるような普遍的な男性性の形態は存在しないことが明らかになったと述べている(Connell 2000:10)。日本では「男は黙ってサッポロビール」の三船敏郎や任侠映画における高倉健のように寡黙な男性が「男らしい」と評価された時代もあった。現在では、SMAPや嵐を典型として、コミュニケーション能力の高さや面白さが男性性として称揚されるようになっている。時代によって何が男性性なのかが変化する以上、単数形ではなく複数形として認識する必要がある。
実はこうした解釈のみであれば、ジェンダー研究の基本的な考え方であり、コンネルの主張にオリジナリティはない。コンネルは男らしさの歴史性に加えて、「ジェンダー、人種および階級の相互作用が発見されるにつれて、多様な男らしさ(multiple masculinities)という認識が普及するようになった」(Connell 1995:76)と指摘する。
コンネルの主張が重要なのは、同時代および同一社会の内部においても、複数の男性性が存在している事態に着目した点である。現代の日本でも世代や階級、あるいは学歴などによって、男性性は変わってくる。近い将来には、現在よりもさらに人種という要素は見逃せなくなるだろう。日本社会でも、男性を理解するためには、「男性内の多様性」をいかに捉えるかが重要なのである。
M.メスナーはアメリカの男性運動を「制度化された特権」(institutionalized privilege)、「男性の間にある差異と不平等」(differences and inequalities among men)、「男性性のコスト」(costs of masculinity)という3つの視点から評価した。多賀が重要視した「複眼的な視点でのアプローチ」は、このメスナーの議論を参照したものである。メスナーは単に男性を複数としてとらえるだけではなく、男性間の不平等をみている。この視点は、男性の非正規雇用者が増加し、正規雇用者との間の待遇に著しい格差が生じている現代の日本社会では、とりわけ重要であると考えられる。
初期フェミニズムの主張が白人中産階級女性の意見でしかないことを鋭く指摘したのが、黒人女性によるブラック・フェミニズムであったように、70年代の男性解放運動が白人中産階級で大卒の「異性愛」男性の経験を「男性の経験」として一般化しようとしたことは、批判の対象となった(Messner,1997:40)。こうして、英語圏では女性/男性という性別だけを分析の軸にするのではなく、男性性を多元的・複眼的にとらえようとする研究が展開されているのである。
田中 俊之(武蔵大学助教)
3. 英語圏における男性学・男性性研究
世界的レベルでこの分野の研究を牽引しているのが、オーストラリアの社会学者レイウィン・コンネルである。コンネルはMasculinities(1995)で、男性性を単数形(masculinity)ではなく複数形(masculinities)として認識するべきであると主張した。いまだに日本では、男性を一つの同質的な集団として見なす傾向が根強いが、先ほどの多賀の指摘にもあったように、英語圏の男性学ではmasculinitiesという表記は常識となっており、多様な男性性の存在は議論の前提になっている。
なぜ、masculinityではなく、masculinitiesなのか。その理論的な背景を説明していこう。コンネルはジェンダー研究の成果によって、どこにでも見られるような普遍的な男性性の形態は存在しないことが明らかになったと述べている(Connell 2000:10)。日本では「男は黙ってサッポロビール」の三船敏郎や任侠映画における高倉健のように寡黙な男性が「男らしい」と評価された時代もあった。現在では、SMAPや嵐を典型として、コミュニケーション能力の高さや面白さが男性性として称揚されるようになっている。時代によって何が男性性なのかが変化する以上、単数形ではなく複数形として認識する必要がある。
実はこうした解釈のみであれば、ジェンダー研究の基本的な考え方であり、コンネルの主張にオリジナリティはない。コンネルは男らしさの歴史性に加えて、「ジェンダー、人種および階級の相互作用が発見されるにつれて、多様な男らしさ(multiple masculinities)という認識が普及するようになった」(Connell 1995:76)と指摘する。
コンネルの主張が重要なのは、同時代および同一社会の内部においても、複数の男性性が存在している事態に着目した点である。現代の日本でも世代や階級、あるいは学歴などによって、男性性は変わってくる。近い将来には、現在よりもさらに人種という要素は見逃せなくなるだろう。日本社会でも、男性を理解するためには、「男性内の多様性」をいかに捉えるかが重要なのである。
M.メスナーはアメリカの男性運動を「制度化された特権」(institutionalized privilege)、「男性の間にある差異と不平等」(differences and inequalities among men)、「男性性のコスト」(costs of masculinity)という3つの視点から評価した。多賀が重要視した「複眼的な視点でのアプローチ」は、このメスナーの議論を参照したものである。メスナーは単に男性を複数としてとらえるだけではなく、男性間の不平等をみている。この視点は、男性の非正規雇用者が増加し、正規雇用者との間の待遇に著しい格差が生じている現代の日本社会では、とりわけ重要であると考えられる。
初期フェミニズムの主張が白人中産階級女性の意見でしかないことを鋭く指摘したのが、黒人女性によるブラック・フェミニズムであったように、70年代の男性解放運動が白人中産階級で大卒の「異性愛」男性の経験を「男性の経験」として一般化しようとしたことは、批判の対象となった(Messner,1997:40)。こうして、英語圏では女性/男性という性別だけを分析の軸にするのではなく、男性性を多元的・複眼的にとらえようとする研究が展開されているのである。
いまなぜ男性学なのか ~男性学・男性性研究から見えてきたこと~
田中 俊之 (武蔵大学助教)
2. 日本における男性学の歩み② -2000年代以降
1990年代の男性学はまだ理論的な面で十分な考察がなされていなかったが、2000年になると英語圏の研究成果を取り入れこうした弱みを克服していく。2006年に出版された『男らしさの社会学』の中で、多賀太は男性を分析するためには、「複眼的な視点でアプローチ」することが重要であると主張している。「男性性を性役割としてとらえる立場においては、男女それぞれのあり方は画一的なものと見なされがちであった。しかし、男性性の定義には様々なものがあり、男性の存在形態には様々なタイプがある。したがって、今日の英語圏の研究においては、『男性性』はmasculinitiesと複数形で表記されるのが通例となっている」(多賀 2006:21)。
2009年には、村田陽平が『空間の男性学』で、「中年シングル男性の居場所」や「たばこ広告の男性身体と空間表象」といったテーマを、「空間の諸問題を男性学的視点からとらえる『空間の男性学』というパースペクティブ」(村田 2009:ⅰ)から分析した。同年、田中俊之が『男性学の新展開』で、複数形としての男性性という視座から、日本における理想的な男性のイメージが、「フルタイム労働に従事しながら妻子を養う男性像」であることを明らかにした。
いずれも英語圏の理論研究の成果を踏まえて議論が展開されており、研究対象は男性から男性性へとシフトしている。次節で詳しく説明するが、男性を固定的な実体として見るのではなく、ある社会においてどのような男性性が男性と関連づけて想定されているのかを分析しているのである。したがって、2000年代以降の研究は、男性学ではなく男性性研究という名称の方が相応しいと考えられる。
政策面に目を向けると、1999年の男女共同参画社会基本法の制定にともなって多くの女性センターが男女共同参画センターへと改組され、女性だけではなく男性にたいしても対応が求められていく中で、男性を対象とした講座は重要性を増していった。
ただし、「男性問題」が「社会問題」として取り組むべき課題として本格的に認識されるようになったのは、ようやく2010年代に入ってからである。国が策定した第3次男女共同参画基本計画では、「男性、子どもにとっての男女共同参画」が重点分野として新設された。これをきっかけに、現在では、各自治体が男女共同参画の計画に、男性を対象とした数値目標や施策を盛り込むようになっている。
田中 俊之 (武蔵大学助教)
2. 日本における男性学の歩み② -2000年代以降
1990年代の男性学はまだ理論的な面で十分な考察がなされていなかったが、2000年になると英語圏の研究成果を取り入れこうした弱みを克服していく。2006年に出版された『男らしさの社会学』の中で、多賀太は男性を分析するためには、「複眼的な視点でアプローチ」することが重要であると主張している。「男性性を性役割としてとらえる立場においては、男女それぞれのあり方は画一的なものと見なされがちであった。しかし、男性性の定義には様々なものがあり、男性の存在形態には様々なタイプがある。したがって、今日の英語圏の研究においては、『男性性』はmasculinitiesと複数形で表記されるのが通例となっている」(多賀 2006:21)。
2009年には、村田陽平が『空間の男性学』で、「中年シングル男性の居場所」や「たばこ広告の男性身体と空間表象」といったテーマを、「空間の諸問題を男性学的視点からとらえる『空間の男性学』というパースペクティブ」(村田 2009:ⅰ)から分析した。同年、田中俊之が『男性学の新展開』で、複数形としての男性性という視座から、日本における理想的な男性のイメージが、「フルタイム労働に従事しながら妻子を養う男性像」であることを明らかにした。
いずれも英語圏の理論研究の成果を踏まえて議論が展開されており、研究対象は男性から男性性へとシフトしている。次節で詳しく説明するが、男性を固定的な実体として見るのではなく、ある社会においてどのような男性性が男性と関連づけて想定されているのかを分析しているのである。したがって、2000年代以降の研究は、男性学ではなく男性性研究という名称の方が相応しいと考えられる。
政策面に目を向けると、1999年の男女共同参画社会基本法の制定にともなって多くの女性センターが男女共同参画センターへと改組され、女性だけではなく男性にたいしても対応が求められていく中で、男性を対象とした講座は重要性を増していった。
ただし、「男性問題」が「社会問題」として取り組むべき課題として本格的に認識されるようになったのは、ようやく2010年代に入ってからである。国が策定した第3次男女共同参画基本計画では、「男性、子どもにとっての男女共同参画」が重点分野として新設された。これをきっかけに、現在では、各自治体が男女共同参画の計画に、男性を対象とした数値目標や施策を盛り込むようになっている。