人口減少社会における地域と保育サービス | (仮)アホを自覚し努力を続ける!

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人口減少社会における地域と保育サービス
大石 亜希子(千葉大学法政経学部教授)


はじめに


 日本の人口は2008年をピークに減少局面に入ったが、地域別にみると人口減少の主因である少子高齢化のスピードにも大きな差がみられる。2000年代の社会福祉基礎構造改革とそれに続く三位一体改革により、福祉サービス供給における地方自治体の役割は拡大した。その半面で、福祉サービス供給における地域間格差も顕在化している。そこで本稿では、保育サービスを巡る3つの地域間格差に着目し、格差の実状とその背後にある要因を考察する。


少子化で保育サービスへのアクセスが改善


 格差の第1は、待機児童問題にみられる、保育サービスへのアクセス格差である。厚生労働省の「保育所関連状況とりまとめ」によると2014年4月1日時点での待機児童数は2万1371人となっている。待機児童の78%は大都市に集中しており、なかでも東京の待機児童数は全体の41%を占めている。


 待機児童を抱える多くの自治体は、保育所の定員拡大や自治体独自基準による保育施設の拡充などの対策を講じている。しかし、経済学的にみれば待機児童は、保育サービス市場で価格メカニズムが働かないために生じている超過需要を示しているのであるから、固定的な保育料制度を維持したままでこれを解消することは容易ではない(Zhou and Oishi2005)。しかも待機児童数は、実際に保育所の申し込みをした世帯の子どものうち入所できなかった人数だけを把握したものである。保育所を利用する意向を持ちながらも、申し込みを諦めている世帯の保育需要はとらえていない。このため、保育所の定員を拡大しても、潜在的な保育ニーズが顕在化するだけで待機児童数は一向に減らない、という現象が各所で生じている。実際に、2013年に待機児童ゼロを達成した横浜市では保育所の申込者数が大幅に増加し、2014年4月には20人の待機児童が生じている。


 このように、待機児童数は地域における保育サービスへのアクセスの指標として問題を含んでいるといえる。これに代わる指標としてよく取り上げられるのが、就学前児童数に対する保育所定員数の比率、すなわち保育所定員率である。1990年の「1.57(1989年の合計特殊出生率)ショック」以降に繰り出された数々の少子化対策では、保育サービスの量的拡大が重点施策の一つとされてきた。事実、1990年に全国で198万人であった保育所定員は、2014年には234万人へと増加している。この間に少子化が加速したことを考えれば、全国的にみれば保育サービスへのアクセスは改善したはずである。簡単化のため、就学前児童数を0~5歳人口に相当するとして保育所定員率を計算すると、全国では1990年の25.0%から2010年の32.0%へと7ポイント上昇している。それにもかかわらず、依然として待機児童問題を抱える自治体があるのは、定員拡大と少子化のスピードに大きな地域差が存在するためである。図1は、過去20年間の保育所定員率の変化を、定員拡大の寄与と少子化の寄与に要因分解して都道府県別に示したものである。参考として、各都道府県の2010年における0~5歳人口も要因分解のグラフの下に示している。はじめに全国(右端)についてみると、定員率の変化7ポイントのうち実に6.2ポイントまでが少子化の寄与であることがわかる。県別にみても、定員率の上昇幅の大きい県のほとんどは0~5歳人口が少なく、少子化の寄与が大きくなっている。なかには子ども数の減少に対応して保育所の定員を減らした県もあり、そうした県では定員拡大の効果がマイナスに寄与している。



 一方、東京・千葉・埼玉・神奈川などの首都圏では少子化の寄与が小さいため、定員率の上昇は小幅にとどまっている。また、同じ首都圏でも神奈川県や埼玉県では定員拡大の寄与が大きいのに対し、東京都と千葉県では小さい。1990~2010年の間に、神奈川県では2万3000人、埼玉県では1万5000人の保育所定員拡大が実施された。一方、0~5歳人口が全国一多く、待機児童の4割以上を抱える東京都の定員拡大は、7500人弱にとどまっている。建築物の密集度が高く、地価の高い東京都では、国基準を満たす保育所の新設は難しく、東京都独自の認証保育所の設置で待機児童問題に対応してきたわけである。 「1.57ショック」以降の少子化対策で、保育サービスの供給が拡大し、アクセスが改善したものと一般では思われてきた。しかし、神奈川県など一部の県を除いて、実際の定員拡大は控えめなものにとどまっており、むしろ少子化によってアクセスの改善が実現されてきたのである。