そして音楽部にまで | 「冒険への誘い」

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栗原邦夫のアメブロへようこそ

ほんとに謳歌していた中学校時代。

ついには音楽部にまで進出します。


当時は、「アリス」ブームが吹き荒れており、

クラスの3人に1人がギター弾いてたんじゃないか?

というくらいの流行りようでした。


で、そこはやっぱりノりますでしょ?


というわけで、まあ、弾いてましたね、歌ってましたね。

で、音楽部に入ると、音楽室が使えるってんで、

やっぱりいつもの、「特権欲しさ」に入部するわけです(笑)

今にして思えば、真面目にやっていた方には失礼だったかもですね。

ごめんなさい。


そして、ある日、俺にとっての音楽における絶対的存在、

「Yellow Magic Orchestra」

YMOがこの世に登場するのです!


ギターは速攻で卒業し、

小学校で叩いてたドラムを復活させて、

高橋ユキヒロのもろコピーに走ったわけです。


前回書いた、天体好きの大親友がキーボード弾けたので、

そして、都合よくこれまたどっぷりYMOハマりしたので、

2人でコピーバンドを結成。

来る日も来る日も、狂ったようにYMO三昧な日々でした。

お昼休みとかも練習してましたね。


音楽室で活動する音楽部本体とは離れて、

音楽準備室で、ひたすらYMOでした。

思えばほんとにこのころから自由だったんだなぁ・・・


あのころも今も、俺を許して付き合ってくれてるまわりのみなさん、

本当にありがとうございます。

みなさんのおかげで、それはそれは幸せな人生を過ごしております。


結局このバンドは卒業まで続き、

卒業時には、当時としては画期的だった、

中学生の分際で、ホールを借りて(市民会館だから無料ね)自主LIVE興行をするという、

まあ、生意気な中学生活のフィニッシュを迎えたのでした。