子どもたちの間で答えに窮する質問をするのが流行っている。

 

たとえば先日子③(小2女児)は、「おとうさん、ウ〇コ味のカレーとカレー味のウ〇コとどっちがいい?」と聞いてきた。

 

どっちも何も、どう考えたってどちらも嫌だから「どっちも嫌。」と正直に答えたのだが、子③は納得せず「ダメ。どっちかにして。」と追及してきた。

 

似たような質問は子②(小4女児)や子①(小6男児)からもしょっちゅう繰り出されてくる。

 

おそらく、ユーチューブかなんかでそういうのが流行っているのであろう。

 

 

 

昨日、子①が「お父さん、二択いくよ。死ぬ間際、お花畑から綺麗な女の人が『おいでおいで。』と呼ぶ声と、後ろから死んだおじいちゃん・おばあちゃんが『こっちに来なさい。』と呼ぶ声が聞こえたとしよう。お父さんならどっち選ぶ?」という質問をしてきた(ちなみに、「二択」というのは「二者択一」あるいは「二肢択一」の略と思われる)。

 

これを聞いて思わず「そりゃ綺麗な女の人の方に行くに決まってんだろうが。」と答えそうになったが、グッと堪えて子①に諭してやった。

 

「教えてやろう。そもそもおじいちゃん・おばあちゃんは、そんな生きるか死ぬかの間際のときに『こっちに来なさい。』とは言わないさ。おじいちゃん・おばあちゃんだったら絶対に、『○○、こっちに来ちゃダメだよ。まだ子どもも小さいんだから。お前、子どもを悲しませたらいかんよ。』と言うと思うよ。」

 

そしてついでに子①に臨死体験の科学的研究の話などをしてやった。

 

 

 

亡き母は生前、「お前、健康に気ィ付けて長生きせにゃいかんよ。子どもを悲しませたらダメだよ。」と事あるごとに言っていた。

 

母は、高等女学校在学中の17歳の時に病気で父を亡くし、戦時中ということもあって経済的に困窮し、薬専(今の薬学部)に進学する夢を諦めた。

 

更にその後、神戸の大空襲で焼け出され、大変な苦労をしながら生き延びてきた人であった。

 

母の前記言葉はそれらの労苦に裏打ちされたものである。

 

私はこの母の言葉を母の遺言として肝に銘じ、スマホにもメモとして残している。

 

そして、お金や資源の無駄遣いが多く、自己中心的で夫を雑役夫の様にこき使って省みない子④(妻)に腹が立って「もうこれ以上コイツとは暮らせん!」と思うたびに、スマホを開いて母の遺言を眺め、心を落ち着かせて子どもたちのために我慢するようにしている。

 

神戸の空襲を生き延びた母

 

通信教育で正教員の資格を取った母

 

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