他人の釣果です(12月初め)
もう何十年も前のことになる。
ある年上女性とその女性の子ども2人と、10年余り一緒に暮らしていたことがあった。
一緒に暮らし始めたとき、既に彼女の2人の子どもは思春期に突入しており、微妙な年齢となっていた。
しかも、彼女と子どもたちとの間には相応の歴史や思い出、それに付随する強固な絆が形作られていた。
中途半端な年齢の他人の私が入り込む余地はほとんどなかった。
私以外の3人は、よく、昔の写真を見付けては、「思い出地獄だわ」などと言って昔話に花を咲かせていた。
それは例えていえば、学校では一応仲良しの4人組ということにはなってはいるのだけれど、実は私以外の3人は休みの日に誘い合って買い物に行ったり3人だけでLINEのグループを作ったりしており、学校でも私の知らない話題で盛り上っていて、人数合わせ要員に過ぎない私は横で作り笑いをしながら仲良しの振りをしている、そんな感じであった。
これを図で表すと、年上女性と2人の子どもたちは太い線の正三角形で繋がっているのに対し、私は彼女とだけ細い線でチョウチンアンコウの提灯みたいに繋がっているというような状況となる。
何か自分に非があってこういう状況に陥ってしまっていたのであればそれはそれで納得する余地もあるが、自分の若気の至りであったとはいえ、私に非があったわけではなかった。
その分結構淋しい思いもした。
「お前は自分から苦労を選ぶ子だね。」母はそんなことを言っていた。
あれから長い年月が経った。
しかし実は今も仲間外れの様相がない訳ではない。
子④(妻)と2人の娘は物欲を軸とした太い線で繋がっている。
子①(小4男児)は、空気を読みながら、時にオヤジに気遣いをしてくれることはあるが、まだ基本的には子④派閥である。
ただ、言葉は乱暴だが優しいところがある子②(小2女児)は、子④物欲同盟の重鎮でありながらも、少しずつ、一人ぼっちの私を気遣ってくれるようになって来てはいる。
もちろん、子④は私のことを使用人兼務のATMくらいにしか思っておらず、言ってみれば蜘蛛の糸でギリギリの義理で繋がっている希薄な関係に過ぎない。
まあそんなこんなで、子①~④が連れ立って買い物や映画に行くのを横目に、1人家で読書に勤しむようなことも少なくない。
現在も子①~子④は泊りがけで某所に行っており、私は仕事という自主トレに励んでいる。
ただ、同じく仲間外れではあるのだけれども、かつて味わったような淋しさ・疎外感を感じていないのは確かである。
それはたぶん、今の私がこの歳になって父や母に感謝し、会ったこともない祖父や祖母に思いを馳せているように、子どもたちもいずれは成長して私や私の父母のことに思いを馳せてくれるであろう、との淡い期待があるからだと思う。
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