東京湾に浮かぶ猿島

 

 

その昔、年上の女性及びその女性の思春期の子ども2人と10年余りの間一緒に暮らし、その2人の子どもの父親代わりとなって多大な経済的援助をした。

 

その結果2人とも私立の4年制大学を卒業することができ、それぞれ人が羨むような職業に就いた。

 

それを見届けて私はその生活に終止符を打ったわけだが、そのことを私に決意させた切っ掛けの一つに、父の叙勲に関するある小さな出来事があった。

 

 

別の機会に触れたいと思っているが、父は勲章を授かっている。

 

もっともそれは、何というか大変ささやかなものではあった。

 

しかし、貧乏人同士が一緒になってゼロから築き上げて来た父・母の人生にとっては、文字通り何者にも代え難い勲章であった。

 

 

私は、年上女性及び2人の大学生と一緒に私の実家に赴いたある機会に、母が実家で大切に保管していた勲章や証書の類を3人に見せたことがあった。

 

そのことについて私には色々な思いがあった。

 

しかし残念なことに、3人の反応は心底がっくり来るものであった。

 

確かに、私だって他人の家に行ったときに他人の勲章の類を見せられても、本心を言えば退屈なだけだろう。

 

しかし、それはもしかすると、自分と遺伝的に繋がらない他人の功績を云々されても自分たちの存在や本質には全く関係がない、という意識がどこかにあるからではないか。

 

そうだとすれば、前述した3人の反応は至極当然なものであり、彼女らには何ら咎められる要素はない。

 

しかしこの時の小さな出来事は、実の祖父母が居る2人の大学生にとって私の父の叙勲はやはり他人事に過ぎないのだ、ということを再認識させる結果となった。

 

そしてそれは同時に、時の経過とともに私という存在もまた彼らや彼らの子孫の脳裏から忘れ去られ、私という存在に興味や関心を抱く人間もいずれ地球上から居なくなってしまうというのだ、ということまで暗示するものであった。

 

 

後日、母にもそれとなくこのときの3人の反応を伝えたが、母も本心は残念だったようだ。

 

それやこれやあり、思うところあって、その後私は年上女性ら3人との生活に終止符を打つことになった。

 

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