書庫を整理していたら、母の葬儀・納棺のときに旅立つ母に渡した手紙の下書きが見付かった。

 

亡くなった人に手紙を書いても、読んでもらえるはずなどない。

 

しかし頭ではそう分っていても、一方では、「もしかすると、いつかどこかで読んでくれるかもしれない。」というようなかすかな望みを心の片隅に抱いてしまうものだ。

 

母が亡くなったときも、母宛の最後の手紙を書いて封緘し、火葬場に出発する直前の母の胸のあたりに置いた。

 

 

母はこの手紙を読んでくれただろうか。

 

手紙の中で息子は色々と母に謝っていた。

 

亡くなってから謝るくらいなら最初から謝るようなことはしなければいいのに。

 

それはそうなのだけれども、「しかしこの機会を逃すともう二度と謝る機会がなくなってしまうからな。」などと考えて謝ったのを思い出した。

 

 

母はあの世で父と再会できたのだろうか。

 

息子のあれこれを父に報告してくれたのであろうか。

 

 

ときどき、魂というものは永遠に生き続けており、死後も、前世の記憶を消し去った状態で現世の誰かとして生きているのではないか、と思うことがある。

 

どうしても説明できないような既視感とか、なぜだかわからないが無性に感じる懐かしさなどは、前世の記憶の一部がどうしても消し去られないで残ってしまっているからではないか。

 

私もいずれこの世を去るときが来る。

 

そのときは、前世の記憶すべてが消し去られていても良いから、もういちど、父や母の魂が生れ変ったどこかの夫婦のもとに生まれて来たい。

 

父の最後の日の出来事

 

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