ある日の山手線ホームにて
お父さんのお父さん、つまり君たちのおじいちゃんは、広島県の呉市という海軍の街で、9人兄弟の長男として生まれました。
おじいちゃんの家は貧しかったので、おじいちゃんは小さい頃から海軍で働いて家計を助け、夜、学校に通って一所懸命勉強したそうです。
おじいちゃんは旧制中学の夜間部を卒業したあとも引き続き海軍に勤務し、19歳のころに海軍東京監督官事務所というところに配属されました。
そしておじいちゃんはそこで東京大空襲を経験し、終戦を迎えました。
おじいちゃんは海軍時代、測距・航速を専門にしていたそうです。
また、戦艦大和のマストにも命綱を付けずに登ったことがあったそうです。
いずれも、おじいちゃんが亡くなる少し前に、おじいちゃん本人から聞きました。
おじいちゃんは終戦後、昼間は日本製鋼所の赤羽作業所というところで働き、幼い弟や妹のために実家へ仕送りを続けながら、仕事が終ってから早稲田大学の夜間部に通いました。
そして早稲田大学を卒業して国家公務員となり、30歳を何歳か過ぎた頃におばあちゃんとお見合い結婚をしました。
そうして生まれたのが、マスクの小父さんやお父さんです。
君たちのおじいちゃんは頭が良い人でした。
おじいちゃんの大学時代の成績表が残っていますが、卒業までの全期間を通じて、一般教養に1科目「良」があるだけで、それ以外は全て「優」です。
いつか君達が大きくなったら見せてあげたいと思います。
またおじいちゃんは、苦労や努力を重ねてきた人だけあって、人格的にも優れた人で、温厚で思い遣りに溢れ、感情を露わにしたり、人の悪口や陰口を言ったりすることが一切ない人でした。
実はお父さんもその昔日本で一番難しい資格試験に合格して業界で働いていますので、仕事で関係する人たちはみんな頭の切れる極めて優秀な人たちばかりです。
でも、決して誇張ではなく、これまでお父さんは、おじいちゃん以上の人格者と思えるような上司や先輩には一度も巡り会ったことがありませんでした。
それくらいおじいちゃんは立派で男らしく尊敬できる人でした。
君たちをおじいちゃんに一目でいいから会わせたかった、今でも事あるごとにそう思います。
おじいちゃんも一目で良いから君たちに会いたかったことでしょう。
おじいちゃん、おばあちゃんのことはまた少しずつ書き留めていきます。