2012.6.3 因島 (光明寺) | 東京君

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さっきまで尾道

帰り道にずっと以前から気になっていた因島の光明寺へ

この光明寺の名は以前探検した子持権現山ホンガケ道で知った。

このホンガケ道にある2つの看板と石標には「因島光明寺石峰団」と

書かれてあり以前から子持権現山との関係に興味を持っていたのだ。

夕方光明寺に到着、駐車場には役小角・不動明王像があり石鎚山と

の関係を確信し、境内をうろうろしていると女性の方から「本堂でお参

りをどうぞ」と声をかけくださった。

女性の方に石鎚山との関係を聞いてみると、何と聞いてびっくりこの

お寺の御本尊が「石土蔵王大権現」と言うのだ。

この場合の石土とは現在の瓶ヶ森の事なので瓶ヶ森の蔵王大権現と

言う事になる。

本堂に上がり石土蔵王大権現を拝ませていただくと、既に隠居された

御住職が出てこられ、「ただ子持権現山の看板を見て来ました」と言う

と、まあまあと言う事で隣の部屋で接待を受けた。

身の上話に始まり子持権現山・瓶ヶ森・石鎚山・蔵王大権現様の

体験談を聞かせていただいた。

ぜひとも後世に伝えていただきたい貴重な内容のお話であった。

毎年一度は団体で登山道整備を兼ねて子持権現山ホンガケ道を登っ

ていたらしいが、ここ4・5年程は中止していると言う。

理由は登山道整備にも営林署の許可が必要らしく難しくなったとか、

何より各鎖場の鎖元が腐り滑落の危険がある事らしい。

行った事がある者からするとこれには納得できる。

その他にも御住職は石土蔵王大権現の左手の事も詳しく知っておら

れ「石土山入峰経典」と書かれた小経典をいただき石土蔵王大権現

の事が詳しく書かれてあった。

早い話が御経本だが石土蔵王大権現・子持権現・瓶ヶ森・笹が峰など

文字もあり謎であった蔵王大権現の左手の事も書かれてある。

この小経典には左手の指は挙印 (丸) の事を胎拳 (丸) と表記されて

いた。

この場合の笹が峰は瓶ヶ森の女山の事で、かなり昔はこのように呼ば

れていた時期があるようだ。

いただいた小経典にも石土山とは「父なる彌山 (おやま) 剣石山瓶

が森の大権現 (男山) 」「母なる彌峰、笹が峰の大権現 (女山) 」

「陰陽合体の霊岳、子持が嶽の大権現 (子持権現山) 」

と書かれてあり、昔はこの三山を合わせて石土山としていた。

たしかにこの三山にはすべて蔵王大権現の祠がある。

特に男山の蔵王大権現は少し変わっており石土山総本山石中寺の

印が頭にある。

当時はこの瓶ヶ森の男山が山頂だったのだ。

石鎚山も天狗岳ではなく弥山が山頂であった。

この瓶ヶ森、元々石鎚蔵王大権現は石土山 (瓶ヶ森) にあり、天長5

年 (828年) に石鎚山へ移したとある。

結局、石鎚蔵王大権現 (石鎚山) と石土蔵王大権現 (瓶ヶ森) は同じ

姿格好の蔵王権現様と言う事になる。

しかし本当にタイミングよく自分にとって貴重な物をいただいたもんだ

と思う。

今日は四国ではない所で石鎚山の真髄に触れたような気がする、

まさか因島のお寺でこのようなお話を聞けるとは思ってもいなかった。

 

 

 
 

 

これがホンガケ道にある看板
「兵平岩 (先達供養塔) 因島光明寺石峰団」
と書かれてある。

 

赤いクレパス君の日記 (>_<)

子持権現山の看板
赤いクレパス君の日記 (>_<)

登山道を示すアルミ看板
「石土山参道」とある
石土山とは現在の瓶ヶ森の事である
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
兵平岩下にある
先達供養塔
裏には同じ文字がある
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
因島の光明寺へ
ナビにも出てこないが地図にはある
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
駐車場の奥には神変大菩薩 (役小角) と不動明王
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
光明寺由緒
このパンフの石土蔵王大権現は胎拳 (丸)
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
これが御住職より頂いた小経典
こう言う物なので中の写真は写さないが
自分的にはいい物を頂いたと思っている。
赤いクレパス君の日記 (>_<)
この経典の中には
「御身は青黒色にして、面上に三目あり。
頭に三股の冠を戴き、右手に三鈷杵を振りかざし
左手に胎拳 (たいけん) なして腰に安て、右足は高く空を蹴り、
左足は盤石を踏まえたり」
といった内容の事が書かれてある。
この小経典は光明寺で売られている物なので
興味のある方は行けば購入する事ができる。
たぶん数百円?であった。