恩を知り恩に報いるのが人間の正道 | 創価三代の誉れ

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報恩の人生  



 日蓮大聖人の仏法では、「恩を知り、恩に報いる」生き方の重要性を教えています。今回の「人生を生き抜く羅針盤」では「報恩の人生」について考えていきましょう。

日本に伝わる説話

 アサヒグループホールディングスお客様生活文化研究所は2011年、インターネットで、家族への感謝に関する意識調査を実施しました。
 その結果によると、家族に感謝の気持ちを「十分伝えている」と回答した人は26・9%。一方、「あまり伝えられていない」(55・5%)と「伝えられていない」(17・6%)を合わせ、7割以上(73・1%)の人が心で思っていても、家族に十分に感謝を伝えられていないことが分かりました。
 感謝の気持ちを、うまく伝えられない理由として最も多かったのは「感謝の気持ちを伝えるのが、気恥ずかしいから」(58・9%)で、以下「感謝の気持ちは言葉で言わなくても、分かると思うから」(16・6%)などが続いています。
 日本人は元来、欧米人などに比べると感情表現が苦手で、なかなか自分の感情を表さないといわれます。
 一方で若い世代の中には、両親へ感謝し、「早く成長して、恩返しをしたい」と考えている人が増えています。
 日本には、もともと「鶴の恩返し」や「猿の恩返し」「かえるの恩返し」といった、動物が主人公となった「恩返しの説話」が数多くあります
 他者の恩に感謝し、その行為に報いていくという行動の重要性を、多くの日本人は古くから実感してきたのでしょう。

「感謝の心」が成長の源泉
人間性の証しを示す

 日蓮大聖人の仏法では、「恩を知り、恩に報いる」という意味の「知恩」「報恩」の重要性を教えています
 “今の自分があるのは、誰のおかげなのか”――その自身の“原点”を知ることが「知恩」です。そして、自身を支え、育んでくれた人々や、あらゆる存在に感謝し、その恩に報いていくことが「報恩」です。
 大聖人は「畜生すら恩を知り、恩に報いる。まして人間が恩を知り、恩に報いないでよいはずがあろうか」(御書293ページ、趣旨)と仰せです。
 恩を知り、恩に報いることは、人間を人間たらしめる不可欠の条件であり、人間としての正しさ、人間性の証しを示すものにほかなりません。逆に不知恩とは、動物にも劣る行為であることを知らなければなりません。
 また、別の御書では「仏法を修学する人は、知恩報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩するべきである」(同192ページ、通解)とも述べられています。
 人間らしい生き方の究極を教えているのが、仏法なのです。
 大聖人は修学時代の師匠であった道善房の死去の知らせを受け、建治2年(1276年)7月、身延で「報恩抄」を著されました
 道善房は大聖人が安房国の清澄寺で仏教を学んだ若き日に、師匠となった人物でした。この師匠の恩に報いるために、清澄寺時代に兄弟子であった浄顕房と義浄房に本抄を託し、清澄山と道善房の墓前で読むよう指示されたのです。
 本抄で大聖人は、恩を知り、恩に報いた狐や白い亀の例を挙げて、まして人間が不知恩であってはならないと示されます。
 さらに、古代の中国で命を捨てて主君への報恩の誠を貫いた「賢者」の例を通し、まして仏教を習う者は、父母、師匠、国の恩を忘れてよいわけがあろうかと、大恩ある存在への報恩の大切さを述べられています。
 まさしく、大聖人御自身が報恩の道を貫き通されていたのです。

忘恩から社会の乱れが

 大聖人は恩について、さまざまな御書で「父母の恩」「一切衆生への恩」「師匠の恩」「社会への恩」「三宝(仏宝・法宝・僧宝)への恩」などを教えられています
 とりわけ、仏法を教え、人生の規範を示す「師匠の恩」こそ、根本の恩といえます。
 先に述べた道善房は、大聖人が立宗宣言の後、南無妙法蓮華経の題目を弘め始められてからも、迫害を恐れ、なかなか念仏の教えから離れることができませんでした。それでも大聖人は、かつての師の恩に手厚く報いていかれたのです。
 御書に「父母を知るも師の恩なり」(同1327ページ)とあるように、真の人間としての生き方を教えてくれる師匠こそ、非常に大切な存在なのです。ゆえに創価学会も三代の会長を師と仰ぎ、師弟の精神を根幹としながら日々、前進しています
 戸田第2代会長は「現在の世相を見ると、人の道である知恩・報恩を貫く者は、ごく稀となってしまった。忘恩から、社会の乱れが生ずるのである」と、語っていました。
 また、池田名誉会長は「報恩の人生に、行き詰まりはありません。父母や師匠をはじめ、今の自分を築かせてくれた一切の人々への感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となります」「報恩は、人間の根源の力を引き出す源泉となるのです」と述べています。
 自分自身を支えてくれる周囲の存在に感謝する。恩を知り、恩に報いていく――。こうした当たり前の行動に、人間として忘れてはならない根本の精神があります。私たちは、「報恩の人生」こそ、最高に尊い人間の正道であることを確信していきましょう。



理解のために 
「不知恩」とは?

 日蓮大聖人は、「知恩」「報恩」を説く一方で、恩を忘れた“不知恩の輩”を厳しく糾弾されています。
 具体的には、「不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし」(御書895ページ)、「不知恩の者は横死有」(同1147ページ)などと述べられています。
 仏法は、人間にとって一番大事な「恩」を教えていますが、法華経の重恩に報いようとしない人間を、日蓮大聖人は「不知恩の畜生」(同204ページ)と厳しく断じられています。
 知恩・報恩の道を最大に重んじる仏法の世界にあって、忘恩の悪行は、あまりにも罪が深いのです。ゆえに、自らが“恩に報いる”生き方を貫くだけでなく、忘恩の者を看過しないことが重要なのです。知恩・報恩を大事にする社会を築くことは、結果的に民衆の境涯を高めていくことになります。
 池田名誉会長は語っています。
 「恩を知る。そして恩を報ずる――この知恩・報恩の道こそ、幸福の道である。平和の道である。ゆえに、恩を忘れ、人間社会を乱す『不知恩の輩』とは、人間として、仏法者として、決然と戦わなければならないのである
 不知恩・忘恩は、人間として最も恥ずべき行為なのです。