現実の社会で勝利の実証を | 創価三代の誉れ

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 仏法は勝負




 人生とは生活や仕事など、日々、戦いの連続です。さまざまな苦難に直面しながらも乗り越えていく先に、人間としての成長や勝利があります。今回の「人生を生き抜く羅針盤」では「仏法は勝負」をテーマに考察していきます。

自分自身の弱さに挑む

 創価学会の機関紙である「聖教新聞」では、「戦う」「勝利」「勝負」といった言葉をよく見かけます。また、具体的な勝利の実証(=確かな証拠)を示す、信仰体験が数多く掲載されています。
 「平和を目指す仏教団体が、なぜ、戦うことを強調するのか?」と、不思議に思う人もいるかもしれませんが、実はこの点に日蓮仏法の大きな特長が示されています。
 仏法は、誰もが等しく仏の生命を具え、それを現し、この一生の中で仏の境涯を築いていけるとする教えです。その意味では、万人が人生を勝ち開き、勝利者になれるのです。
 その上で、学会員が訴える「勝利」とは、決して人と比較しての「勝敗」を指しているのではありません。むしろ、自分自身の弱い心に打ち勝っていけるかどうかが重要です。
 本来、平和な社会を築くといっても、その根本は、一人の人間が変わり、幸福になることから始まります。その意味では、創価学会が目指す「広宣流布」とは、“人間の幸福を妨げようとするもの”との戦いであるともいえるでしょう。
 その相手は遠くにいるのではなく、自身の生命に内在すると、仏法は洞察します。
 仏法では、一人一人の「生命」に限りない可能性を見いだします。
 一方で人間には、その可能性を信じられない心(元品の無明)も存在します。
 自身の可能性を否定する心を打ち破り、自身に秘められた限りない力を引き出す根本法則が妙法です。そして、この信心を根本に勇気を持って、粘り強く実践していく中に勝利の道が開かれるのです。

四条金吾への励まし

 創価学会の牧口常三郎初代会長は、現実に現れる「結果」こそ「宗教の生命」というべきものであると述べ、「仏法は生活法」であると提唱されました。自身の弱い心に打ち勝つとともに、現実の上でも勝利していけるのが日蓮大聖人の仏法です。
 大聖人が門下の四条金吾に送ったお手紙には、「そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を本としている。ゆえに、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである」(御書1165ページ、通解)と綴られています。
 王法とは、社会を支配し、律する力です。王は、規範や法律に基づいて、称賛したり、罰したりします。その賞罰の基準は、時代、社会によって変わりますが、仏法は永遠不変の真理に基づいた絶対の法です。
 当時、このお手紙を頂いた四条金吾は、主君の江間氏から、“信心を捨てよ。さもなければ所領を没収する”と迫られていました。
 しかし、金吾は、断じて信心を捨てないことを大聖人に誓います。
 大聖人は、そうした金吾の信心をたたえた上で、この御文を認められました。正しい仏法の教えを根本に、強盛な信心を貫いていけば、どんな迫害に直面しても必ず勝利していけると励まされたのです。
 また、この御文に出てくる「世雄」という言葉にも深い意味があります。
 すなわち、「世」とは現実社会、「雄」とはその中で人々をリードしていく存在、リーダーという意味です。仏は一切の煩悩に打ち勝ち、社会で最も雄々しい存在であることから、「世雄」の別称で呼ばれました。
 さらに、仏(釈尊)は社会の真っただ中で、先頭に立って民衆のために戦い抜き、断固と勝ち抜く英雄である、との意です。
 魔を打ち破って成仏するか、障魔に負けて不幸の人生を歩むか――。仏法の眼目とは、全てに勝つことであり、仏とは「社会の勝利者」「絶対勝利の人」の異名なのです。
 誰人も妙法を根本に、生命を変革できる。どんな生活や人生でも、現実の中で必ず生命変革の結果が現れ、勝利していける――。その妙法の力を引き出すのが信心です。

信心とは行き詰まりとの戦い
一度も退く心なく前進

 この御書をはじめ、大聖人から折あるごとに指導・激励を受けた四条金吾は、やがて主君の信頼を回復し、所領も加増されました。まさに信心根本に進むなか、現実の社会で“勝利の実証”を示したのです。
 では、具体的に勝利を得るための要諦は何でしょうか。
 大聖人は「日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心はない」(同1224ページ、同)と、妙法流布に立ち上がられてから、一度も退くことなく障魔と戦い前進してきた、と仰せです。
 また、別の御書では「今に至るまで軍やむ事なし」(502ページ)、「然どもいまだこりず候」(1056ページ)とも述べられています。
 大聖人は、命に及ぶ「竜の口の法難」や「佐渡流罪」など、幾多の大難も厳然と勝ち越えられました。すなわち、大聖人御自身が示された、どんな状況においても勝利を信じて、戦い続ける「勇気」「諦めない心」にこそ、人生を勝ち抜くための重要なポイントがあるといえるでしょう。そうした地道な積み重ねの先に勝利の結果も現れるのです。
 「聖教新聞」に掲載されている、信仰体験にも、信心を根本に苦境を乗り越えて社会で勝利した人、病に打ち勝った人、一家和楽の家庭を築いた人など、あらゆる勝利の実証が示されています。そこに共通するのも、決して諦めない心であり、弛まぬ前進や努力の姿です。
 創価学会の戸田城聖第2代会長は、「信心は、行き詰まりとの永遠の闘争である。仏と魔との闘争が信心だ。それが“仏法は勝負”ということである」と語られました。
 また、「『仏法は勝負』である。本当の仏法は社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下であり、真の革命児ではないか。これが創価学会だ」とも語っています。
 あらゆる苦難や環境の変化に負けず、現実社会で勝利の実証を打ち立てていく――。そこにこそ日蓮仏法の偉大さも証明されるのです。




理解のために 「三証」とは?

 日蓮大聖人の仏法では、さまざまな宗教を見極める基準として、「文証・理証・現証」の「三証」を説きます。
 具体的には、教えに文献的な裏付けがあるかどうか(文証)、また道理にかなっているかどうか(理証)、そして実際に、その教えを実践しての功力が現実の生活・社会の上に現れるかどうか(現証)、ということです。
 この三証のどれか一つが欠けても正しい宗教とはいえません。
 日蓮大聖人は「日蓮が仏法の優劣を判断するのに、道理と証文とに過ぎるものはない。さらに道理・証文よりも現証に勝るものはない」(御書1468ページ、通解)と仰せです。
 ここでいう「道理」とは理証、「証文」とは文証のことです。この御文に明らかなように、大聖人が最も重視されたのが現証でした。
 牧口常三郎初代会長は、この御聖訓を拝して、「道理も証文ももちろん大事だが、論より証拠で、生活の中に功徳の実証を示すことが、それ以上に大事である」と語られています。仏法は、どこまでも現実に苦悩と格闘する人間を救うためにあるのです。