アニバーサリ‐が多いです。

今日は鉄道150周年。

もう歴史の世界ですね。


50年前の鉄道100年の時もよく覚えています。

あの頃はまだ国鉄でしたね。



列車の側面にあったこの国鉄マークを見るたび、震えてました。素晴らしいデザインです。


昭和62年に民営化してJRになった時、センスのなさにガックリした覚えがあります。いまだにJRのロゴは私の中には入ってきません。

ちなみに私はJRバスのことを普通に国鉄バスと言うことがあります。さらに呉線で広島行く時、「汽車で行く!」とつい言ってしまいます。

電車という代物は主に呉市電や広電の路面電車であり、国鉄の列車は黒い塊が牽引するマルーンやブルーの客車のイメージが強く残っているからでしょうか。


煙を吐いて黒の鉄の塊が呉駅のホームに入ってくる姿は圧巻でした。

万博の時も寝台急行「音戸」で大阪まで行きました。C59が牽引だった…と思う。 

その年の10月に呉線は電化され、湘南色の電車が闊歩するようになりました。複雑な気持ちでしたね。


昭和47年、鉄道100周年のとき、それを記念してTVで「大いなる旅路」をやっていました。

明治の黎明期から昭和の高度成長期までの鉄道一家の物語でした。

小椋佳さんのテーマ曲が郷愁をそそり、今でも瞼に浮かびます。


https://youtu.be/K-WFEMOUrlM 



今はグレーの艦を追うオヤジになりましたが、鉄分はまだまだ残っているようです。

最後の望みは呉線に再びC59、C62を走ること。


強力なリーダーシップを持った人が出て実現してくれたらええんですけどねぇ…