ホテルから見えた耳成山
 
 これは畝傍御陵前駅から、正面に見えた畝傍山
 
天香久山の写真はないけれど、畝傍山、耳成山とで大和三山という。
標高があまり高くなく、優美な感じの山々。
 
ちなみに、浅間山、白根山、赤城山は我が群馬県では上毛三山という。ウインク
(雰囲気違いすぎびっくりマーク
 
 
 
こちらは甘樫丘
 
甘樫丘は、若かりし頃の思い出の丘でもあります。
仲間達と甘樫丘からほど近い民宿に泊まっていた時、夜遅くに皆でワイワイしながら登りました。
なんでわざわざ夜に登るかなぁ。お月様
昔から若者はバカ者、ろくな事はしないと相場は決まっています。
しかも時は3月、東大寺ではお水取りを控え、まだまだ寒い季節でした。
暗い夜道を懐中電灯で灯しながら登った甘樫丘は、ツーンと静まり返り、見下ろす村の灯りは、今よりももっと少なかったはず。
でも飛鳥時代、この地を本拠地としていた蘇我入鹿達が生きていた頃は、さらに暗くて星が綺麗だったに違いない、などと当時に生きて活躍した人達に思いを馳せながら、おバカな若者達は無事甘樫丘を後にしたのでした。
 
あれから40年以上過ぎ、今はこうして車上から写真を撮るだけ、昼間でも登る元気も体力も失われ、思い出だけが残りました。
 
 
 
蘇我入鹿繋がりで、入鹿の首塚
正面は飛鳥寺
 
 
 
入鹿が最期を迎えた日は、大雨が降っていたと『日本書紀』には記されている。
飛鳥板蓋宮で斬られた入鹿の首が、ここまで飛んできたと伝わる。
 
蘇我氏の専横政治に対して、密かに入鹿暗殺計画を立て、実行に移した中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足。(乙巳の変)
この政変によって蘇我家は滅亡し、『大化の改新』へと歴史は進む。
 
そんな入鹿の首が、恨みを残して彷徨い落ちた所。
 
 
 
周りは自然が残されている
首塚から見える、正面は飛鳥寺
推古天皇の時代に、蘇我馬子が創建
 
609年に造られた日本最古の仏像
平安、鎌倉時代の大火災により補修
アーモンド形の目元が、飛鳥時代の特徴
 
飛鳥寺正門
 
 
二泊三日の旅は無事に終わりを告げましたが、まだまだ続く『旅の途中』 ニコニコ