こんにちは、ブルーム桜原の前田です。
年号も新しくなって、早1ヶ月。
ついに来たかと待ちに待った10連休もいつの間にか終わって、気づけば今年も半年が過ぎようとしています。
10連休中、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。
私はというと、連休ということで、利用者様と一緒にたくさん行事に参加させて頂くなど、楽しい日々を過ごさせていただきました。
そんな中、連休中の平成最終日から、令和初日である4/30と5/1はどのテレビも「年末か!」と言わんばかりの特番ばかり。
新聞も一面退位と即位の話で飾られ、周囲も新しい年号に変わるという、なかなか味わえない出来ごとのためか、うきあしだってそわそわしている時、一人の利用者様より質問されました。
「平成、また会えますか?」
・・・・・・(´ω`私)ウン?
どういう意味なのだろうか?(汗
平成はそもそも年号だし、「会う」「会わない」といったものではないしなぁ…;
「会うって、どういう意味?」
と本人に質問で聞き返してみたところ、本人も少し考えて、もう一度同じ質問が。
「平成、また会えますか?」
う、うぅ~ん?…よくわからない;
多分、「会う」のニュアンスが、本人が表現したい意味と、私たち周囲の人が「会う」で受け取る意味で微妙にズレている気がする。
しかしながら。
よくよく考えてみると、価値観や感情といった形にない自分の気持ちの表現というのは、とても曖昧で、実はすごく難しいことなのだなと改めて感じた瞬間でした。
よく「ものは言いようでかどが立つ」と言いますが、自分はそんなつもりはないのに、伝え方が拙くて、知らないうちに相手を傷つけてしまったり、逆になんとなく言ったことが相手に良いように解釈されて、意外に良い結果となるなど、話し方、言葉選びで、結果が全く異なるものとなる。
特に私たちのような「人」相手の仕事では、コミュニケーションという部分が支援でも重要な部分となってくるため、「いかに自分の伝えたいことを表現できる的確な言葉を瞬時に選べるか」ということが求められるものだなと感じました。
また、今回のように上手く表現することが難しい方とのコミュニケーションを行う上でも、相手が何を言いたいのかを予測したうえで、いくつかの候補を考え、相手に「今言った意味って、○○ということ?」と意思疎通が図れるようにたくさんの語彙力や創造力も、実は必要なんだと気付きました。
そもそも私自身、周りが「新年号だ!何かよくわからないけど新しい年号が来るぞ!とりあえず喜んどくか!!」ぐらいで、周りの空気にのまれてよくわからないままに浮かれていた部分もあり、
「じゃあ、何が嬉しいの?」
と具体的問われても、
「・・・なんだろうね?」
と漠然としたモヤッとした感想しか出て来なかったもので、
良く言えば、ポジティブに未来を楽しみにしているとも言えますが、
悪く言えば、楽観的過ぎるといったところ。終わる平成を顧みることも無かったわけです。
逆に質問された利用者さまは「平成」が終わることを思ったのだとすると・・・
「平成が終わるの、寂しいですか?」
と尋ねたら、
「寂しい」
とのこと。
正解かは分からないものの、多分過ぎゆく「平成」を顧みて「寂しい」と感じたことからくる、「また会えるかな」という気持ちだったのかなぁ。
「○○さん、平成が終わるのは寂しいけど、新しい令和が始まるよ!楽しいといいね!!」と話してその時はお話が終わったのですが、翌日、令和初日に朝の挨拶もそこそこに、
「令和が来るから、気合い入れたほうがいいですよ!!」
とやる気満々なアドバイスを頂きました。
何に気合を入れようか悩みどころですが、新しい「令和」をどう楽しく過ごそうか、考えている毎日です^^
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