信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・14(松平元康の独立) | 株式投資家の暮らしと夢

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今川義元、死す。

 

 

 

その知らせは、これまで今川家の尖兵として献身的に働いてきた、松平元康に大きな衝撃を与えた。

松平元康:ば、馬鹿な!

    :本当なのか、その知らせは!

兵士:間違いございません。

  :進軍中に奇襲を受け・・・・・・

松平元康:そうではない!そんなことはどうでもいい!

:本当に、織田信長がやったのかと聞いているのだ!

兵士:は、はい・・・・・・

確かに、織田信長が自ら手兵を率い、今川本陣を強襲したとのこと。

 

 

 

 

松平元康:やったのか・・・・・・信長殿。

    :それに引き換えわしは、一体何をしているのだ・・・・・・

 

 

 

 

松平元康:聞け、三河の者ども!

    :我らは帰る!

    :我らの三河へ!

    :岡崎を、三河を、松平を取り戻す機は、今をおいて他にないぞ!

    :・・・・・・信長殿とは、今は事を構えぬようにせねばな。

 

 

 

 

こうして、松平元康は先祖伝来の地である三河を取り戻すべく、岡崎城で独立した。

義元の死により、今川家の支配体制は、早くも崩壊し始めたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天文24年5月、大友家の立花道雪隊は佐土原城を攻略し、伊東家は滅亡した。

九州地方南部において、相良家に続き、伊東家までも滅ぼした大友家。

その先には、九州統一も見えてきていた。

 

天文24年4月、尾張国の今川家の支城は、全て織田家にくだった。

 

 

豊かな濃尾平野を持つ織田信長は、天下にも手が届く大名の一人として名が知れ渡り始めた。

 

岡崎城にで独立した松平元康だったが、周りは強国ばかりだった。

織田家との同盟は、生存のための絶対条件だった。

 

尾張国と三河国を失った今川家だったが、依然として強国であることには変わりなかった。

 

我らが最上家は、本城の山形城の開発にとどまらず、支城の開発にも手を付け始めていた。

 

 

今川家は氏真の代になっても、度々西進した。

今川家の攻撃先になった松平家は、その度に織田家に救援を要請し、辛うじて領地を守り通した。

 

天文24年5月、九州地方では、龍造寺家が大内家の平戸城を攻撃し、攻略した。

これにより、龍造寺家は西方に兵を割く必要がなくなった。

 

 

天文24年5月、伊達家の家臣となった相馬盛胤隊は、飯野平城を攻略し、岩城家は滅亡した。

軍監として参陣していた遠藤基信は、盛胤の勇猛さを当主の晴宗に伝えた。

猛将の少なかった伊達家にとって、飯野平城攻略以上に、良い知らせだった。

 

 

ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html  )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は

「岡崎城」を検索してみましたら、97件の画像がヒットしましたよ。

http://amanaimages.com/keyword/result.aspx?Page=Search&KeyWord=%89%aa%8d%e8%8f%e9&ImageID= 

 

 

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