与(あた)えられるよりも
与(あた)える方(ほう)が幸(しあわ)せ。
与(あた)えられると
与(あた)えられた瞬間(しゅんかん)は
満足(まんぞく)をするけれど
しばらく経(た)つと
飽(あ)きたり
飽(あ)きなくても
もっといいものを
と
思(おも)ったり。
飽(あ)きたから他(ほか)のものを。
もっといいものを。
瞬間(しゅんかん)は満足(まんぞく)するけれど
満(み)たされることが無(な)い。
与(あた)えると
相手(あいて)が喜(よろこ)ぶ
笑顔(えがお)になる
ありがとうと言(い)われる
それだけで
満足(まんぞく)する
満(み)たされる
与(あた)えられるよりも
与(あた)える方(ほう)が幸(しあわ)せ。
もしかしたら人(ひと)は
必要最低限(ひつようさいていげん)のものがあれば
満(み)たされるのかもしれない
こんなことを教(おし)えられたりして
知(し)っているのに
時(とき)に物欲(ぶつよく)まみれです←
1ヶ月(いっかげつ)に1回(いっかい)でも
外食(がいしょく)は外(はず)せません\(^^)/
でも
ある心理学(しんりがく)の実験(じっけん)で
貧(まず)しい
富(と)んでいる
に関(かか)わらず
「自分(じぶん)のためにお金(かね)を使(つか)うよりも、他(ほか)の誰(だれ)かのためにお金(かね)を使(つか)った時(とき)の方(ほう)が満足感(まんぞくかん)を得(え)られる」
という結果(けっか)が報告(ほうこく)されているそうな。
もう1つ。
あなたがなにかを与えられたとき。
「ありがとう」は「礼儀だ」とか「常識だ」とよく言われるけど
それは間違いではないと思う。
でも
あなたが「ありがとう」と言ったとき。
あなたは相手に「ありがとう」という言葉を
与えてるのですよ。
大切なことは、忘れたくないものですね。
今日は、与えられたお話。